3秒前。繋がれた山崎の指に小さく力が籠った。
2秒前。山崎の睫が微かに揺れた。
1秒前。土方が、閉じていた目を薄く開けた。
全ての針が時計のてっぺんで重なり合ってから5秒程置いてやっと離れたお互いの唇を透明な糸が繋いでいて、舌を伸ばしてそれを切った土方に、山崎は薄く頬を赤らめて少し笑った。
「……いくつになった?」
濡れた山崎の唇を親指の腹で拭ってやりながら、低い声で土方が尋ねる。
「21になりました」
「そうか」
「はい」
照れくさそうに笑う山崎を優しい目で見つめてから、土方は傍らに置いていた一本の刀を引き寄せた。その動きを目で追う山崎の前に無造作に置く。
「お前にやる」
ずい、と押しやられた刀を山崎は驚いたようにしばらく見つめ、失礼します、と断ってから手に取った。鞘を外せば、研ぎ澄まされた刃が部屋の明かりに怪しくきらめく。
「大和守安定」
「これを俺に?」
何故、と困惑した風に山崎は首を傾げる。
山崎は、滅多に刀を振るわない。一応腰から下げてはいるが、それを鞘から抜く機会は殆どない。刀を振るうよりも、鍼や薬を使ってする仕事の方が多いくらいだ。勿論それは、土方とて知っている。
土方は手を伸ばし、山崎の髪にそっと触れた。零れるそれを耳にかけてやりながら、頬に唇を寄せれば山崎は拒まず目を瞑る。
柔肌にくちづけ、そのまま耳元に囁きかけた。
「俺を殺す為の刀だ」
甘い響きでもって吹き込まれた言葉に、山崎が驚き目を見開いた。
「俺は、間違うのが怖ェんだよ」
山崎の腰に緩く手を回しながら、土方は言う。
山崎は一度見開いた目をそっと伏せて、同じように土方の背に手を滑らせた。
腕に力を込めて抱き合うには、間に置かれた刀が邪魔だ。
「もし、俺が間違ったら、お前はそれで俺を刺せ」
「土方さん?」
間違うのが、何より怖いんだよ、と。
甘えるように土方が言って、土方が山崎を抱き寄せていた腕を緩める。と、山崎の腕を掴み、引き寄せるようにして己の膝の上に山崎を招いた。
逆らわず、土方の上に乗った山崎は、隙間なく抱きしめあえることに安堵して吐息を零す。
「俺は、間違うかも知れない。何が正しいのか、分からなくなるときが、ある。間違うかも
知れない。けれど、俺は間違いを許せない。揺るがないものでありたい。無理かも知れない
」
だからそのときは、と。
鼓膜を直接吐息で震わせるようにして、土方が囁く。懇願に似ている。
「……それが、あんたが俺にくれるものですか?」
21になって、最初に贈るものがそれですか? と、少し詰るようにして言えば、土方が苦笑して山崎を抱きしめなおす。
「そうだな」
「ひどい」
「そうか」
「ひどいです」
「……そうだろうな」
「だって、」
小さく笑って、山崎は土方の顔を覗き込む。頬に触れて撫でてやれば、土方が柔らかく目を細める。
どちらがどちらを甘やかしているか、分からない。
「それは、俺の役目じゃないでしょ」
ちゅ、と音を立ててキスをすれば、土方は山崎の腰に回した腕に少し力を込めた。
「局長や、沖田隊長が、そういうことはなさるでしょう。あんたの背中を守って、あんたに
背中を預けて戦う人たちが、そういうことはするでしょう。あの方たちは、副長が間違った
ら、きちんとあなたを殺すでしょうよ。けれど、俺にはできません。ご命令でもできません
」
「何で?」
山崎が土方の肩に手をかけて、ぐっと力を込めて押せば、あっさりと土方は体を倒す。
仰向けになった土方を押し倒すような形になった山崎は、楽しそうに笑って、土方の耳を軽く噛んだ。
「俺はね、」
そのまま、先ほど土方がしたように、耳元で囁く。
「俺は、何より心が弱く、ありようが間違っているので、好きになったものには甘く優しく
しておきたいんです」
そう言って、土方の顔の横に手をつき、薄く開いている唇を自分のそれで塞いだ。
煙草の匂いと味がする。毒にやられて酔いそうだ。
「……間違いだと分かっていても、それを正してあげられない。他の誰にできたって、俺が
あんたを正すなんてこと、できるはずがないんです」
一度、土方の首筋に顔を埋め、深く息を吸い込んでから山崎は体を起こした。
そのまま土方の上から降り、手を差し出して土方の体も起こす。
再び向かい合わせに座りあってから、山崎は置きっぱなしになっていた安定に手を伸ばした。
「ねえ、土方さん。俺、刀の他に、欲しいものがひとつあるのですが」
何かを思いついたように含み笑いをして、刀を掲げてみせる。
山崎の髪を梳くように手を伸ばした土方は、少し困ったように笑って、言ってみろ、と促した。
「あのね、ご許可をくださいな。この刀で、俺は精一杯あなたを守ります。間違っていても
正しくても、俺は土方さんだけを守ります」
いいでしょう? 許してくださいね。と。
笑って、山崎は刀を傍らに置き、甘えるように土方に擦り寄る。
「俺はあんたの狗になりてえな。言われたらなんでもこなすけど、主人にだけは噛み付けな
い狗になりてえな。ね、土方さん、馬鹿なことは言わんでくださいね。他の誰にできたって
、俺にだけは、あんたを殺すなんてこと、出来るはずがないんですから」
我侭を許してくださいね。ごめんね。
土方の首に腕を回し、ぎゅう、と子供がするように抱きついた山崎の背を、土方はあやすように撫でた。
ひとつ、大人になった山崎は、まったくどうして子供のままだ。
けれど、その山崎がこうして甘いことを言って、土方に抱きついているのは、もしかしたら子供な土方を甘やかしているのかも、知れなかった。