目の前でぱっと細かい火花が散るようだ。痛いというより熱い。でもやっぱり痛い。じんじんと少しずつ痺れるように痛む。口の中まで切れて血の味がした。思わず吐き出そうとして、寸でのところで思いとどまる。どうしようもなくて飲み込んだ。喉にねっとりと絡んで苦しい。
頭がぐわんぐわんと揺れる。立っていられず倒れるように座り込めば、加減をせずに腹を蹴られた。ぐ、と喉が鳴って胃液の味がする。無理矢理飲み込んで体を丸めた。喉が痛い。思わず咳き込む。血と胃液の味がして本当に苦しい。涙で視界が霞む。
呼吸の仕方も分からなくなって喘ぐようにした。細かく息を吸って、吐くが、肺にまで酸素が届いている気がしない。はっは、と犬のような呼吸を繰り返し視線を巡らせれば、侮蔑するような目がこちらを見ていた。
そこで怒るより怯えるより先に、みっともない姿をお見せしてすみませんと思う自分は、一体何なんだろう。わからないままで、山崎はだらしなく垂れているであろう唾液をぐい、と拭った。
「……お前、もう死ねよ」
土方が苦しそうな声を出して、山崎の胸倉を掴む。手荒く起こされ山崎の顔が歪んだ。
土方の手が山崎の手首をきつく掴む。骨が軋む。跡は絶対に残るだろう。これが首なら確実に死んでいる。死ねというなら殺せばいいのに。
「逃げろよ……!」
なんでそんな泣きそうな声を出すんですか。そんな感情をぶつけられた山崎の方こそ泣きたかった。逃げろといいながら、土方の手はきつく、きつく山崎の手首を握っている。逃がさない、と言うように指先にまで力を込めている。死ねと言うなら殺せばいいし、逃げろと言うなら離せばいい。醜いと思うなら追い出せばいいし、愛しいと、思うなら。
目を閉じた山崎の唇に、そっと土方が唇を寄せた。既に切れている唇の傷を抉るように歯が立てられる。肩を強張らせた山崎に構わず、やわやわと唇を噛み、時折力を込め、食い破るような素振りを見せた。
ゆっくりと唇を離し、今度は滲んだ血を丁寧に舌で舐め取っていく。
「……俺は、ときどきたまらなくなる。お前を見てると、たまらなくなるんだ」
どうしようもなくなってわけがわからなくなる。懺悔のように、土方が低く呟いた。そのまま山崎の顔を覗き込む。許されたがっているような目をしている。
「愛ですね」
「茶化すなよ」
「茶化してないです」
目にかかっている土方の前髪を、山崎は空いている手で優しくよけてやった。そのまま頭を撫でるようにすると、土方が少し安心したような、落ち着いたような顔をする。山崎の手首を握っていた手から、ゆっくりと力が抜けていった。
「……怖えんだ。お前がいつか、消えていなくなるんじゃないかって、」
聞き取れないほど小さな声で土方が呟く。山崎は土方の髪を柔く撫で続ける。
だからですか、とは、聞けなかった。馬鹿ですね、とは言えなかった。
消えるのが怖いから、消える理由を作ろうとしているのだ。ああしてひどくしたから消えたのだ、と、訪れもしない未来を正当化する準備をしている。どこまでひどくしたらいなくなるのだろう、と山崎を試している。そして、山崎が全てを許すことで安心しているのだ。
これだけしても消えない、いなくならない、許してくれる、大丈夫。
愛されている、愛してもいい、傍に置いていて構わない、傷つけてしまうかもしれないと怯えなくてもいい。
馬鹿みたいだ。馬鹿にしている。頭が悪いのだ。愛しい。
死ねと言って逃げろと言って、それで本当に山崎が死んだり逃げたりしたら、狂ったようになるくせに。結局、そんなことはないと確信しているから、ひどいことができるのだ。馬鹿にしている。
薄く血の滲む山崎の唇に再び土方が舌を伸ばし、「痛ェか」と聞いた。
ひり、と痛んだので、山崎は自分で舌を伸ばして唇を舐めてみる。血の味。ひりひりと痛い。体中痛い中で、微かにびりびり痺れるようなその痛みがひどく鮮明だ。
「……いてえっスよ。あたりまえでしょ」
それでも、
(それでも俺は、あんたを許すんだ。許して、甘やかして、いつまでだって傍にいてあげる)
それが土方の正当な判断をじわじわと奪っていくことだと、山崎は知っている。土方の傍からいっそ消えてしまう方が土方のためになるということは百も承知で、全てを許そうと思っている。
じわじわと狂わせていく。ギリギリのラインを少しずつ引き上げていく。釣られて土方は足を踏み出すだろう。遅効性の毒のようにゆっくりと、甘やかして、とろけさせて、そして。
そうしてどろどろになっていく土方は、山崎の愛する彼なのだろうか。分からない。山崎自身も土方の毒でじわじわと殺されているのだ。少しずつ、正当な判断が奪われていく。何が普通で、何が異常なのか分からない。今、この状況がひどく異常なことも、実感としては分かっていない。
狂ってる。顔を顰めた山崎を見て、土方が後悔を滲ませ顔を歪めた。あんたのせいじゃあないです、と山崎が弁解をするのに構わず、先ほど山崎を殴った土方の腕が、壊れ物を扱うような繊細さで山崎を引き寄せる。
そのまま緩く抱きしめられて、山崎はそっと目を伏せた。
「ごめん」
土方が、低い声で言った。山崎は首を横に振る。
そんな簡単に謝らないで。謝らなければならないとしたら、それはきっと自分の方だ。
土方に縋りつくように腕を回せば、山崎を抱きしめる土方の腕にきつく力が籠る。
限界まで抱きしめられて、骨が軋むようだ。溶け合うことができないので押しつぶされそう。切なくて息ができない。
「……痛いです」
詰るようにそう言った。
ごめん、と謝る土方の腕からは、なのに少しも力が抜けない。
どうせならこのままバラバラにしてくれたらいいのにな。骨が折れて残骸になるまで粉々に抱きしめてくれたらいいのに。
目を閉じた山崎は、唇に滲んだ血で土方の首筋を赤く汚した。