夜勤組以外の全員が寝静まっているであろう深夜だ。居住棟は静まり返っている。
ぎし、とわざと廊下の音を踏み鳴らして、土方はしんとした廊下を迷わず歩いた。廊下を曲がって、目当ての部屋へと目を向ければ、薄明かりが付いているのが分かる。障子に映った影を見るに、どうやら文机に向かって何やら書き物をしている様子。仕事熱心なのか、それとも、と土方は口角を上げ、障子に手をかけた。
声をかけずにする、と開ける。気配と足音で気づいていたのだろう山崎は、驚くこともせず少し顔を上げ、「……お疲れ様です」と小さな声で挨拶をした。
「まだ起きてたのか」
「はあ、ちょっと……」
「何書いてんだ」
後ろから手元を覗き込めば、山崎が困ったように土方を見上げる。恋文か、と耳元で囁けば、山崎は、そうですね、と小さく笑い、広げていた紙を土方の手にあっさり渡した。
「副長宛の恋文です。監察方筆頭山崎より」
細かい字で書かれたそれは、何の変哲もない報告書だった。挙げられている名前はここ最近入隊した新人隊士三名のもの。所属は一番隊が二名、四番隊が一名。
「一番右の奴は、ついこないだも暇を取って出かけてましたよ。あまりに頻繁だから、俺でなくとも怪しんでるくらいです」
ど下手の素人ですが、粛清します? と軽い調子で聞く山崎の頭を乱暴に撫でてやれば、山崎が猫のように目を細めた。耳元に軽くくちづければ、ぴくりと肩を揺らして体を強張らせる。
「少し泳がせておけ。目は離すな。報告は逐一入れろ」
「……はいよ」
「何かあれば斬っていい。逃がすんじゃねえぞ」
睦言のように囁きながら、山崎の手から筆を奪った。代わりに自分の指を滑り込ませた土方に、山崎が戸惑ったような目を向ける。あの、と何か言いかけ口篭り、さ迷わせた視線をそっと伏せた。文机の傍にあるだけの小さな光に照らされて、決して長くない睫がその頬に微かな影を落とす。
耳の形をなぞるように唇を這わせば、山崎が土方の手をぎゅっと握った。それが少し震えている。何を今更生娘のように、と土方は鼻で笑い、左手を山崎の着物の袷へ滑り込ませた。
地肌に指を触れさせると、山崎が弱く首を振る。耳朶を軽く噛めば、一瞬体が強張って、その後簡単に力が抜けた。
肌の感触を楽しむように体を撫でる土方の手に、山崎がやんわりと自分の左手を添える。指を握りこまれた土方は、そのまま体の位置をずらし、山崎を畳の上に転ばせた。
「副長、」
山崎が戸惑ったような声を上げる。足を閉じられないように体を間に入れれば、その目が少し怯えたような色になった。
「……何、お前、今日はそういうのがいいの?」
「そういうの、って……」
「無理矢理されてます、みたいな、そういう気分なの? ド変態だな」
にやりと笑った土方に、山崎が顔を顰める。優しく握っていた手を一度離し、きつく手首を握って固定するようにしてやれば、山崎が足をばたつかせた。
「ちょ、やめてください」
「ノリノリじゃねえか」
「ばっ……違います! 俺まだ仕事が残ってんです!」
「いいじゃねーか、明日にしろよ」
「アンタに頼まれた仕事なんだよ!」
「仕方ねえな。延長してやる」
「いらないから離してください終わらせますんで」
往生際悪くもがく山崎は、土方から逃れようと捕まれている腕を必死で動かした。いつにない本気の抵抗に、土方が軽く苛立つ。握った手に力を加え直せば、山崎の顔が痛みに引き攣った。文句を言い募ろうとする唇を、歯を立てて塞いでやる。
「……なんなら、口頭で報告するか?」
「う、……ぁ、ふくちょ、……」
「名前で呼べ、馬鹿」
「や、ですぅ……」
零れた唾液を舐め取るように顎へ舌を這わせ、軽く歯を立ててやれば山崎の体が震える。
肌に触れるため手首を拘束していた手を離してやれば、山崎は自由になった手をのろのろと動かして、両腕で顔を覆うようにした。
「……おい、顔見せろ」
「やだ、や、です、もう、」
「おい」
「やだぁ……」
震える山崎の声が泣いているようで、土方は胸元へ這わせていた手を慌てて離した。隠している顔を見ようと腕を掴むが、山崎は力を入れてそれを拒む。耳へと零れた涙を見止め、土方は目を見開いた。
「お前、何泣いてんだよ」
聞くが、山崎は答えない。何のスイッチが入ってしまったのがぐずぐずと泣き出し、顔を隠す腕にますます力を込めていく。
仕方がない、と土方は溜息を吐いて、山崎の背に手を回した。そのままぐっと抱きかかえるようにして起こしてやり、頭を掴んで顔を自分の腕の中に押し付ける。
「何、そんなにやりたくねーの?」
あやすように軽く背を叩いてやれば、山崎の手がゆるゆると土方の背に回った。
拒絶されなかったことに、土方は知らず知らずの内に安堵の息を零す。軽く抱き寄せてやれば、土方の着物を山崎の指が掴んだのが分かった。
「……もう、やめませんか」
ぽつりと零すように山崎が言った。
小さな声で、くぐもっていたので、よく聞こえない。
「あ?」
「もう、やめませんか、こんな」
おかしいですよ、と言う声がまだ少し震えている。土方が山崎の肩を掴み、顔を覗き込むようにすれば、山崎は嫌がるように首を振った。頬に残る涙の跡が痛々しく見える。見たことのない山崎の顔に、土方はうろたえ舌打ちをした。
「何がだよ」
「俺は、」
見つめるうちにみるみると嵩を増した山崎の涙が、重力に逆らえずぼた、と落ちた。
拭おうと指を伸ばせば、山崎の手によって阻まれる。その手を握ってやるようにすれば、山崎が小さな溜息を吐いた。
「……俺は、土方さんの、何なんですか」
俯いたままそう言って、山崎がゆっくりと顔を上げる。視線が絡んだ瞬間、山崎の目からまた涙が零れた。それがいやに出来すぎていた。
「何って、何だよ」
自分の声が掠れているのも、どこか陳腐なドラマのようだ。冷静さを残した部分で土方はそんなことを考えている。
「こんな、……おかしいです、男同士なのに、……別に、俺じゃなくてもいいじゃないですか。女の人の方がずっと気もちいいでしょう。何好き好んで男に突っ込んでんですか。楽しい?」
「はあ? お前何言って、」
「ずるい、土方さんは、ずるいです。何で、何だよ、何で、」
「おい山崎」
「なんで」
俺ばっか苦しい。震える声で吐き出すように言って、山崎は泣き顔を隠すように土方に抱きついた。手が、躊躇うように土方の肩に乗る。
「……もう、やめましょう、おかしいですこんなこと。やめたら、アンタはきっと、きれいな人だって抱けるし、結婚だってできるし、子供だって作れるかも知れないじゃないですか。アンタには、俺じゃなくてもいいじゃないですか。俺には、アンタしかいないのに、」
ずず、と鼻をすすり上げる音がリアルだ。そこだけ、どうも、作り物ではない雰囲気がある。背中に手を回してやれば、山崎の体が少し震えたが、それは、安心して息を吐くような震えだった。
「仕事の間は、ずっと、アンタのことばっかりで、アンタに言われたことで、全部動いて、アンタのために、なるようにって……それが、そ、れがっ」
ひっ、と山崎が喉を鳴らした。嗚咽を漏らして土方にしがみつくようにする。
「それが、仕事以外の、ことで、もっ、ひ、っかた、さんばっかで、」
「……うん」
「夜、にっ、待ってる間、とか、お、俺が、どん、どんなっ、気持ちで、」
土方にしがみついている山崎の手が細かく震えている。言葉を詰まらせた山崎が肩を上下させるのに気づいて、土方は山崎の顔を覗き込んだ。
「おい」
「……っ、は、ぁ……っ」
ぼろぼろと涙を零しながら苦しそうに喘ぐ山崎に、土方は目を細める。
濡れっぱなしの頬を拭ってやりながら、酸素を求めて開かれている山崎の唇にくちづけた。
二酸化炭素を送り込まれて、山崎の呼吸が徐々に安定していく。皺になるほどきつく着物を握り締めていた指からも、ゆっくりと力が抜けていく。
「……落ち着いたか?」
「……ぁ、……はぁっ……すいません……」
「馬鹿だろ、お前。全部今更すぎんだよ」
唸り、きつく抱きしめれば、浮いた山崎の手が戸惑うようにひらひらと動いた。
それが背に回るまで、土方はじっと待つ。やっと山崎の手が土方の背におずおずと回るのを感じて、土方は無意識に詰めていた息をほっと吐き出した。
「お前なぁ、あんまふざけたことばっか言ってんじゃねえぞ」
髪をぐしゃぐしゃと乱してやれば、柔らかい髪が縺れて土方の指に引っかかった。
このままいっそ縺れて離れなければそれでもいい、と土方は目を細める。
「嫌がるのがおせえんだよ、馬鹿か。おめえの全部が俺で占められて上等じゃねえか。俺の私生活全部おめえで占められてんだ。価値としては平等だろうが」
山崎が手をぴくりと動かして、顔を上げようとする。それをぐ、と押さえ込んで、土方は山崎を抱きしめる腕に力を込める。
「おめえが俺の何かって、じゃあ、俺はおめえの何なんだよ。運命とでも言って欲しいのか」
「ふくちょ、……土方さん」
「それでも不服なら生まれたときからやり直せ。俺に一度も会わなけりゃ、間違いだっておこんねえだろ」
その代わり、と土方は山崎の耳に歯を立てる。声を直接鼓膜に刻むように。
「一度でも見つけたら、俺はおめえを攫いに行くぞ」
体を揺らした山崎が、ゆっくりと顔を上げる。濡れた目で土方を見つめて、ずるいです、と小さな声で言った。
どっちが、と詰りながら、土方は山崎の唇に唇を落とす。
自分だけが悩んでいましたみたいな顔をして勝手に泣いて嫌がって、一体どちらがずるいと言うのだ。
泣くほど好きか、と聞きたかったが、そういう自分はどうなんだと聞き返されるのが面倒で、結局聞かないままにした。
あんな風に泣かれただけで動揺するほど好きなので。