物音で起きてしまうかも知れないな、と思ったけれど、起きてもいいかと思い直して襖を開けた。山崎は行儀よく布団を被って、ぐっすり眠っているようだった。
疲れているときほど眠りの浅い山崎を知っているので、沖田はほっとして肩の力を抜く。なるべく気配を殺すようにしてそっと近づき、暗闇の中で顔を覗き込んだ。
規則正しい呼吸。安心して、力を抜ききっている。
このまま呼吸を止めて凍らせてしまいたいな、と薄く笑いながら、沖田は山崎の頬に指を伸ばした。
可愛い いとしい 閉じ込めてしまいたい
頬を静かに撫でれば、山崎の睫が微かに震える。
あ、起きる。と沖田は手を止め、薄く開いている山崎の唇にそっとくちづけをした。
唇をゆっくり離すのに合わせるように、山崎の瞼が開く。
御伽噺のようだ。
閉じ込めてしまえるだろう。これが、物語の中だったら。
「おきたさん……?」
眠たそうに目を擦って、唸るように名前を呼ぶ。可愛いなぁ。沖田はあやすように山崎の頭を撫で、ごめんな、と小さく謝った。
ごめんね、起こしてごめん。こんな深夜に訪ねてごめん。会いたくなってごめんね。
髪の毛の感触を楽しむような沖田の手の動きを、山崎は目を閉じて感じている。「本物ですか?」と、少し舌足らずな声で、山崎が言った。
「何が?」
「沖田さん、が。……俺、まだ夢見てんのかなあ」
山崎がごそごそと動いて、体の向きを沖田へと向ける。重たそうに腕を持ち上げて、それをすとんと沖田の膝の上に落とした。
「あ、本物?」
「だから、何が?」
膝の腕に落とされた手を握ってやれば、山崎の指が沖田の手を絡めるようにする。緩く引っ張られたので、つられるように山崎に少し近づいた。そんな沖田を見上げて、山崎は眠たそうにとろんと笑う。
「夢を見ました。沖田さんの」
言って、目を緩く閉じる。ふふ、と笑い声を唇の隙間から漏らす。
絡められた指に、少し力が込められた。
「二人でね、ずうっと、歩いたんです。手を繋いで。ふたりきりだったんですよ。歩いて、歩いて、逃げるみたいに走って、」
眠たそうに喋る山崎の声は、不明瞭だ。
沖田は屈みこんで、山崎の顔を近くで覗き込む。気配に気づいた山崎は少し目を開けて、もう一度小さく笑った。
「俺は、夢のなかで、沖田さんのことが好きで、好きで好きで、大好きで」
それだけでずうっと、歩いていたから。
夢の続きかと思いました。
そう、笑って言って山崎は、空いている手を沖田の髪に伸ばす。指先で軽く引っ張られたので、そっと唇を寄せてやった。触れるだけのキスを、山崎はうっとりと受ける。
ちゅ、と音を立てて離した唇に、山崎は恥ずかしそうな笑みを零した。
今更なのに。何もかも。手を繋ぐのもキスをするのも、好きで好きでたまらないのも。
今更なのに。
繋いでいた手があっけなく離される。するりと逃げ出すようなそれを追うように動いた沖田の指先に、山崎は気づかない。
ごそごそと動いて布団の端に寄ると、少し空いた隣のスペースを、ぱんぱん、と掌で叩いてみせた。
「ここ、来てください」
狭い布団の、狭いスペースだ。
人一人、満足に横になれるかどうかも、分からない。
それでも沖田は言われた通り、山崎の布団に体を滑り込ませて、その狭いスペースに横たわった。もぞもぞと山崎が動いて、沖田に近づく。腕を開いて迎え入れるようにしてやれば、当然のようにそこに収まった。
沖田の胸元に額をこすり付けるようにして、山崎は甘える。
きっと寝ぼけているのだ。まだ、夢の中にいるのだろう。
「沖田さんは、どうしたんですか?」
くぐもった声で山崎がやっと聞く。首元を擽る黒髪を梳いてやれば、これ以上無理だというくらい近づいてくる。
可愛い。閉じ込めてしまいたい。人目に触れないところにずっと隠しておいてしまいたい。
「顔が、見たくなったから」
「おれの?」
「他に誰がいるんでィ」
笑ってやれば、山崎の笑い声が返る。時間に相応しい、押し殺すような楽しげな笑い声だ。
「沖田さんも、俺の夢とか見ることありますか?」
「あるよ」
「本当に?」
「マジだって。起きた後なんてお前、パンツが大変なことに」
「うっわ、最低」
半分冷たく、半分呆れたように、呟いて、山崎は再び沖田の腕の中でもぞもぞと動く。
寝やすい位置を探しているのだろう。しばらくそうして動いていて、いいポジションを見つけたのだろう、ぴたりと大人しくなった。
緩く、髪を梳いてやると、山崎の体から徐々に力が抜けていくのが分かる。
呼吸がだんだんと深いものになっていく。
好きで、好きで、好きで、夢に見るほど大好きで。
そんなこと、今更だった。
手を繋いで、歩いて、走って、二人だけでどこかへ逃げ出したいと、願うことだって。
今更だ。手を繋げるのに、抱き合って眠れるのに、キスも、体を繋げることだってできるのに。
逃げ出したい。そうでないなら閉じ込めたい。
夢に見るほど、沖田はそう思っている。山崎は知らないだろう。甘い、幸福ばかりの恋の中で眠る山崎には、それほどの焦燥感はないだろう。
沖田の気持ちなんて、ちっとも知らないだろう。
腕の中で安心しきって眠る山崎を、きつく抱きしめてしまいたい衝動を、沖田は奥歯を噛み締めることで堪えた。だってそんなことをすれば、折角眠った山崎が起きてしまう。
今の眠りの中でも、自分の夢を見ていればいいのにな。せめて、それくらい叶えばいいのにな。
「好きで、好きで、大好きで……お前を、」
凍らせて、永遠にできたら、いいのになァ。
首を、頬を擽る黒髪に鼻先をこすりつけて、肺いっぱいに匂いを吸い込んだ。全身を、山崎の香りで、体温で満たすようにした。
腕の中のぬくもりはこれ以上ないくらい幸せで、温かいのに、沖田はちっとも眠れない。
何度深く呼吸をしても、巡る血の中に山崎が足りない。
好きで好きで大好きで、今更なのに、手に入れたくて。
どうしようもなくて逃げ出したい、手首を掴んで攫ってしまいたい、閉じ込めてしまいたい。
可愛い、いとしい、宝物のような。
「……退」
山崎が、人間でない、物語の中に出てくる不思議な生き物だったらよかったのにな。
名前を呼んで縛れるならば、何度だって呼んだだろう。