俺はこいつが嫌いなのだ。大嫌いなのだ。
だってこいつは最初の最初っから土方の持ち物であって、土方を骨の髄から尊敬していやがるのだ。俺が近藤さんに対して持っているような気持ちを、土方に向けていやがる。意味わかんねえ。気持ち悪い。
こいつは絶対俺のものには、ならないのだ。むかつく。
俺がこれだけ睨みつけているというのに、当の山崎はちっとも気にしていないようだった。水に浸した布をきつくしぼって丁寧にたたみ、俺の額に乗せる。
ひんやりとする。気持ちがいい。冷たい山崎の指が、そっと俺の頬を撫でた。
「熱、下がりませんねえ」
心配そうな声を出す。やわらかそうな髪が肩にかかって流れた。うっとうしい長さだ。切ればいいのに。
「おめえが、」
罵ろうと思って口を開いたら、喉の奥から何かがせりあがるような感じがして、ごほ、と咳が出た。それがきっかけになってげほげほと激しく咳き込む。喉が痛い、頭も痛い、咳をしすぎて背中も痛い。
体を丸めて咳き込む俺の背中を、山崎の手が優しく撫でた。安心させるような動きに、俺の呼吸が少しずつ落ち着いていくのを知る。むかつく。むかつく。山崎の癖に。
「……おめえが傍にいたら、治るもんも、治らねえよ」
声は少し掠れたが、言おうと思っていた言葉をやっと全部言えた。ごほ、と小さく咳をしながら睨みつけてやる。のに、山崎は少しも気にした素振りを見せない。
落ちてしまった布をもう一度たたみ直して、俺の額に再度乗せる。
「うん、ごめんなさい。でも、俺は、今日はここにいなきゃ」
「……ンでだよ」
「それが俺の今日の仕事です」
りんご食べますか? と聞かれたので、思わず頷いた。
山崎はちょっと嬉しそうな顔をして、じゃあうさぎにしてあげますね、と余計なことを言った。
俺は山崎を見ていたくなかったのでさっさと寝返りを打って山崎に背を向ける。額を冷やす布がぺそりと落ちたのを見て、山崎が「あ」と間抜けな声を出した。
冷えピタのがやっぱりよかったかなあ。今日熱下がんなかったら明日買ってきましょうか。
俺は無視した。けれど山崎は全然気にしてないように「そういやポカリもなくなりそうだし、誰かに電話して、今日買ってきてもらってもいいな」と、独り言にして続けている。
俺は、こいつが、山崎退が大嫌いなのだ。
いつもへらへらしていて、殴られても蹴られても怒鳴られても堪える様子を見せない。鈍感なのだ、きっと、頭が悪い、空気が読めない。腹が立つ。生き死にに対する覚悟なんてちっともしていないように見える。
嫌いだ。だいきらいだ。
いつもへらへらしていて何をされてもこたえなくて誰に対しても平等にうわべだけで接しているこいつがきらいだ。こいつが本気を出すのは土方がらみのときだけだ。みんなに平等に優しいくせに、みんなに平等に冷たい。ねえそれってやさしいって言わないんじゃねえの? ひどいやつっていうんじゃねえの?
生き死にに対する覚悟なんてちっとも持っていないように見えるくせに、ときどき見せる目がまっすぐな光を持っているのでぞっとする。
以前、山崎と一緒に動いていた隊士が一人死んだことがあった。殉職ってやつだ。別に山崎は悪くなかった。判断は間違っちゃいなかったし、別に山崎はそいつの上司でもなんでもなかった。たまたま一緒にいただけの、事故みたいなもんだった。
誰もがそう思っていたけれど、その隊士の母親だけはヒステリックに山崎を責めた。アンタが死ねばよかったのに、と叫んで湯のみを山崎の顔めがけてぶんなげた。山崎は避けなかった。少しも避けなかった。柔い皮膚が切れて血が流れた。それが顎に伝って落ちた。
山崎は泣かなかった。怒らなかった。まっすぐな目でそのクソババアを見つめて、申し訳ありませんでした、と頭を下げた。
なんだこいつ全部持ってんじゃねえか、覚悟も矜持も全部、持ってて、見せないのは何でだよ。
簡単なことだ。こいつは土方のもので土方を心底尊敬していて土方以外はどうでもいいと思ってるからだ。クズだと思ってるかもしれない。とりあえず、山崎退には土方さえいればそれでいいのだ。だからそれ以外にこいつは労力を大して使おうとしないし、優しさだって薄っぺらいものしか見せやしない。
だからおれはこいつがきらい。
ここに今いるのだって、風邪ひいて倒れてる俺の看病してるのだって、土方に頼まれたからで、それが仕事だからで、別に俺のことを好きだからじゃあ、ねえんだ。くそ。
俺は、こんなに、
「沖田さん?」
「……っ」
急に声をかけられて思わずびくっとしてしまった。それに山崎がちょっと笑ったのでむかついた。ていうか何だ俺今何考えてたんだ、こんなにってなんだよ。
「りんご剥けましたよ。今食べれます?」
言われてちょっと顔を向ければ、宣言どおりのうさぎりんごが4匹並んでいた。ばかじゃねえの何で四分の一なんだ。病人相手だからもっと食べやすくしてくれたらいいのに。
呆れたようにまな板の上に並ぶうさぎを見る俺に、山崎が「それとも後にします?」と声をかける。
むかつく、むかつく、むかつく、お前なんでここにいんのなんでそんな優しい声だすのなんでりんごとか剥いてくれんのなんで俺の言葉をじっと待ってんのなんで。
なんでお前、おれのものになんねえの。
「……どっか行けよ」
「沖田さん?」
「どっかいけよ!」
怒鳴った拍子に喉がひゅう、と鳴った。ぐ、と何かがせりあがって、喉が塞がれる。げほ、げほ、と咳き込む俺の背中にまた山崎が手を伸ばそうとしたので、手酷く振り払った。
ぱしん、といやな音が響く。払った手が痛い。
「……お前、もう、どっか行けよ。俺の前に顔、見せんなよ。俺は、お前が、」
「…………」
「俺は、お前が、だいっきらいなんだよ」
痛む喉をこじ開けて言った。
肺が痛んだ。肺じゃないのかもしれない。心臓かもしれない。分からない。
空気が止まった。俺は、それでも山崎のことだから仕事をきちんとこなすためにここに留まるものだと思っていた。いつもみたいに何にも感じていない風にりんごを勧めなおすんだと思っていた。
なのに、止まった空気がちっとも動かない。
俺は恐る恐る振り向いて、山崎の顔を見る。俯いてしまっていて、よく見えない。怖くなって覗き込んだ。
山崎は、傷ついたような顔をしていた。俺の見たことのない顔をしていた。
心臓が痛くて死にそうだ。
「ごめんなさい、俺、全然気づかなかったです」
顔を覗き込む俺に気づいて、山崎がへらっと笑った。いつもの緩い顔だった。
「……気分、悪くなったら、誰かに電話とか、してください。携帯ありますよね? 一応、また時間置いて、誰かに見にきてもらうよう言っておきますから。あの、」
ごめんなさい、と山崎はもう一度謝って、顔を背けるようにした。
そのまま俺に背を向けて立ち上がろうとする。山崎の手がまな板にぶつかったのか、うさぎが一匹横に倒れた。
「山崎、」
「布団はちゃんと被って寝てくださいね」
「山崎!」
「じゃあ、」
「違う、ごめん、山崎! ……っ、げほ、」
再び咳き込みだした俺に、山崎が慌てたように振り向いた。そしてやっぱり傷ついたような悲しそうな顔をする。ごめんなさい、と、何が悪いのかもわかっていないくせに謝った。
むかつく。ちがうんだ。そうじゃねえんだ。そんな顔がみたいんじゃないんだ。
「……違うんでさ、俺、俺は、」
「……」
ぜえぜえと喉がなる。んん、と軽く咳払いをする。ぎゅう、と布団を握る。緊張をしている。声が震える。だって俺はこんなことに何の意味もないなんて知ってんのに、わかってんのに。
「……すきなんだよ」
わかってんのに、こんな、こいつにこんなこと言っても意味ないってわかってんのに、こいつの特別にはなれないってわかってんのに、だからおれは、こいつが、山崎退が嫌いで嫌いで仕方ないのに、大嫌いな、はずなのに。
「好き、好きだ、俺は、山崎が、」
一度言ったら止まらなくなった。咳が出るみたいに勝手に口から言葉が飛び出す。
うそですこんなのうそです俺はお前が嫌いなんです顔も見たくないんです見つめていたって俺の方なんて少しも見ないから悲しいんです空しいんです一番上等の嬉しい顔をあいつにだけ見せるからむかつくんですまっすぐな目をしているくせにそれを隠しているから腹が立つんです。
お前は俺のものになんかちっともならないだろうのに、俺だけ好きなのなんてむかつくんです。
山崎が、困った顔をしている。泣きそうな顔をしている。困っている。
こんな顔だって、俺はこれがはじめてなのだ。俺の方こそ泣きそうだ。
困らせているのが苦しくて胸が塞がれた気がした。けれどこれは、きっと咳のせいだろう。肺がおかしくなっているせいだろう。
山崎が俺に手を伸ばしてくれたらいいのに、と思うこれも、風邪のせいだ。心が弱くなっているので、言葉が勝手に飛び出したのだ。そうに決まっている。
「俺は、お前が好きなんだよ」
山崎が少し顔を上げて、俺の顔をちらっと見た。目が合うなり逸らされて、ちくっと心臓に針が刺さったような感じがする。
この空気をどうにかしたくて、俺は少し体を起こして倒れたりんごに手を伸ばした。四分の一に切られたそれはちょっとでかくて食欲のあんまりない俺はげんなりしたけれど、仕方ないので食べた。
しゃり、と音がして、山崎がそれに顔を上げる。
「……おいしいですか?」
いつものように、何もなかったように、山崎が口を開いたので俺は少しほっとした。
山崎の声が震えてんのは、気づかないふりをした。
「うめえけどでけえ」
「大きいほうが得した気分になりません?」
「……おめえ、バカだろ」
小さく山崎が笑って、どこか歪んでいた空気を揺らした。
しゃくしゃくと俺がりんごを食べるのを見て、俺も食べていいですか? とかわけわかんないことを言う。ので、却下した。これは俺んだ。お前が剥いてくれたんだから。
ごほ、と咳き込めば、山崎が心配そうに俺の額に触れる。
食べたら寝てくださいね、と言って、冷たい指が離れるのがちょっと惜しかった。
好きです大好きですお前が好きです嫌いになりたいくらい大嫌いってうそをつかなきゃやりきれないくらいお前が好きです山崎退が大好きです。
この気持ちも風邪菌みてえに空気感染しねえかな。同じくらい苦しいんだもの。感染したっていいだろうよ。
「…………好きですぜ」
だからお前も、俺のことを好きになって。