私室にも大部屋にも談話室にも食堂にも厠にも居なかった。
 もうそろそろ戻らないと、多分俺も叱られるだろう。テキトーに探し出して見つけたらつれて来いっていうテキトーな命令だったんだから。
 だからこうして屯所中探し回っているのは俺の勝手でしていることで、別に土方さんがどうとか、そういうのではない。
 ないのだけれど、じゃあそれが何かと聞かれると、途端に俺の頭は真っ白になってしまうのだ。

「……こんなとこにいた」
 道場の裏の日の当たる場所に座り込んでいる沖田さんを発見して、俺は大きく息を吐いた。俯いている沖田さんはどうやら居眠りをしているようだけれど、いつものふざけたアイマスクをつけていない。そういや土方さんが没収したとか言ってたな。アイマスク没収しても、あんま意味ないっぽいですよ副長……。
 沖田さんのことだから、少し近づけば目を覚ますかと思ったけれど、顔を覗き込むほど近くに寄っても沖田さんは目を開けなかった。アイマスクがないせいで、なかなか珍しい寝顔が晒されている。
 薄い色の細い髪が日に透けて、きらきらしている。
 長いまつげが頬に影を落としていて、薄く開いた唇の隙間から、細い寝息が零れている。


 沖田総悟はきれいな人だ。
 姿かたちもそうだけど、心のありようが真っ直ぐで、直視できないくらい眩しい。
 ふわふわといい加減に見えるくせに、芯は誰よりも真っ直ぐだ。もしかしたらその真っ直ぐさは、土方さん以上じゃないかと時々思う。潔癖なくらいに美しいのだ。
 俺なんかが近寄れないほどきれいな人。
 そんなきれいな人が、先日俺に言った言葉を思い出して、俺は小さく溜息を零した。

「……あんまり、振り回さないでくださいよ」
 前髪にそっと触れる。柔らかいそれを掬い上げ、指の間から落とす。
「俺は馬鹿だから、すぐに騙されて、期待してしまう」
 前髪を少しよけて、真っ白い額に触れた。こんな風に外で居眠りをしているから風邪など引いて、熱など出すからあんな変なことを、言うんでしょう。
 好きだなんて。
 嘘に決まっているのに。
 こんなにきれいな人が俺のことを、好きだなんて、嘘に決まっているのに。
「沖田さんのばーか」
 ふわふわさらさらとした髪を柔らかく撫でても、沖田さんは起きなかった。珍しい。余程疲れているのだろうか、目の下に隈が出来ている。
「嫌いって言って、俺が泣きそうになったから、慌ててあんなこと言ったんでしょう。沖田さんはそういうとこ、優しすぎるんです。俺みたいなの、嫌いって突き放して、放っておいてくれてもいいのに」
 そうやって優しいから、勘違いするんです。俺は、馬鹿だから。
 小さく呟いて白い頬を撫でた。日が当たる場所でいくら暖かいと言っても、こんなところでずうっと寝ていたら体も冷えるだろうに。少し冷たくなった頬に掌を当てる。
「……でも俺は、そういうところが、」
 そういう、優しいところが……

 薄く開いている唇に思わずキスをした。
 柔らかい感触にドキドキする。



「…………、」
 触れ合わせた唇をゆっくり離せば、当たり前だけど唇に沖田さんの吐息が触れた。
 ……ていうか俺はともかくこれって沖田さんのファーストキスだったりしたらどうしよう俺って最低じゃね? 完全に寝込み襲ってる形になってるよねこれ!

 自分が何をしているのか冷静に把握した途端恥ずかしくなった。違う違う違うこれは、沖田さんがあんなことを言うからちょっと乗せられただけで、もしくは、ずっと看病していたから風邪が移って熱が出ていて判断が鈍っているんだきっとそうだそうに違いないっていうか、そもそも「そういうところが」って何だよ。
 顔が熱い。頭が痛い。なんか目頭まで熱くなってきた。

 見つかりませんでしたっつって戻ろう。決めて立ち上がろうとした俺の手首を、眠っているはずの沖田さんの手がするりと掴んだので、俺は死ぬほど驚いた。
「……っ、」
「そういうところが……何?」
 びっくりして動きを止めた俺の手首を柔く掴んだまま、沖田さんがゆっくりと目を開ける。
 金色の長いまつげが太陽の光にきらっと光った。
「お、きたさん……」
「そういうところが、何? 山崎」
 続きが聞きてェな、と言う沖田さんの声が、低い。
 からかっているような言葉なのに、真剣な顔をしている。
 何と言えばいいのか分からず口を開閉させる俺の手首を沖田さんが一度強く掴んで、ぐい、と引っ張る。中途半端にしゃがんでいた俺はそのままバランスを崩して前のめりにこけた。
 うわ、と目を瞑る俺を、沖田さんの腕が当たり前のように受け止める。
「……あの、沖田さん」
「せっかくいい気持ちで寝てたのに、お姫様のキスで起きちまった」
 くすりと耳元で笑われて、体中の血液が沸騰した。
 恥ずかしさのあまり沖田さんにしがみつくようにすれば、優しく髪を撫でられてぞくぞくする。
「……お、お姫様って、何ですか」
「俺が王子様なんだから、おめえはお姫様だろィ」
「ば、ばかじゃないですか」
「だって山崎が馬鹿なことするんだもん」
 あーあ、俺はじめてだったのになあ! と沖田さんが言うので、俺はいたたまれなくなって額を沖田さんの肩にぐりぐりと押し付けた。寝顔観察して寝込み襲って俺何してんだ。
 後悔をして、少し、安心もしている。
 俺を抱きしめる沖田さんの手が優しくて、俺に囁く沖田さんの声が上機嫌だからだ。
 嫌われていないのかも知れない、と思ってしまう。
 熱に浮かされた言葉を信じそうになる。
「……いつから、起きてたんですか?」
「お前が俺を見つけた辺りかな」
「最初からじゃないですか……」
 がっくりとして体の力を抜けば、抱え直すように沖田さんが俺の体に腕を回した。
 何か俺恥ずかしいこと口走ってなかったかな、と不安になる。
「ひどいです。起きてくれたらいいのに」
 言って、沖田さんの肩をばしりと叩けば、あいて、という軽い声を沖田さんが漏らす。
 それから、あー、とか、うー、とか、考え込むようにしばらく唸って、
「……だって、どんな顔しておめえに会えばいいのか、」
 わかんなかったんだもん。と。
 小さく呟いて、沖田さんは俺を抱きしめる腕にぎゅうと力を込めた。

 触れ合っている辺りから、どくんどくんと心臓の音が聞こえている。
 これはきっと沖田さんの音だろう。
 どくんどくんと、少し速い。躊躇いながら沖田さんの背に手を回し、ぎゅっと抱きつけば、心臓の音がまた速くなった。
 これが、俺のせいなら嬉しい。
 この人が、本当に、俺のことを好きでいてくれるなら、俺はすごく嬉しい。
「……お前が悪いんだぜ」
「何がです?」
「お前のせいで、夜全然眠れねえから、こうやって仕事をサボるようになるんでさァ」
「…………」
「お前のせいだ。山崎」
 弱々しい声が耳元で響くので、多分俺の心臓も沖田さんと同じくらい速く脈打っているだろう。抱きしめられているので多分、沖田さんに、ばれているだろう。
「なあ」
「……はい」
「キス、してもいい?」
 囁くように言われて、思わず沖田さんの隊服をぎゅっと握り締めた。
 俺の返事を聞くより先に、沖田さんが俺の髪を耳にかけ、頬を撫でて顔を上げさせる。
「好きですぜ。だから、」
 俺のものになって。と、ひどくずるいことを言って。
 優しくまっすぐきれいな目で、俺の顔を覗き込むので。
「…………俺は、沖田さんの、そういうところが、」
 ときどきすごくむかつきます、と言った自分の声がびっくりするほど弱々しかった。
 好きで好きでたまらないとばれてしまうような声だった。

 目を閉じれば、唇に吐息がかかって、ゆっくりと唇が重ねられる。
 触れたそれが少し震えていたので、俺はちょっとだけ泣きたくなった。

「でも、そういうところもすきです、よ」

 自分でも聞き取れないほど小さな声で告げた言葉に沖田さんがあまりにも嬉しそうな顔をしたので、俺はもうそれだけで、どきどきしすぎて死にそうだ。

      (09.02.12)  こうしてこうすりゃこうなるものと知りつつこうしてこうなった