こいつが女だったら良かったのにと思うことは一度や二度ではない。
何かもっとこう柔らかくてふわふわとしていて可愛らしくて抱きしめると温かくて小さくて声は高くて甘たるくていい匂いがする、そんな生き物であればよかったのに、と好きになったときから思っている。突っ込んだときに冷や汗をかかなくてちゃんと気持ちよくなってくれるように体が出来ていて体液ぶち込んだら子供が出来るような体を持っていればよかったのに、と抱いたときから思っている。女だったらよかったのに。
胸に開いた傷を飽きずに指でなぞる。もう塞がっているそれからは、血の匂いはしない。白く引き攣れている。前にも後ろにも同じような位置にある。心臓のすぐ傍だ。
山崎は痛いのかくすぐったいのか、沖田の指の感触にただ黙って耐えている。さっき見た時に唇を噛み締めていたので顎をきつく掴んでやめさせた、ら、今度は奥歯を噛み締めて耐えているようだ。そんなことしなくてもいいからもっとちゃんと声を聞かせてよくすぐったいの痛いのそれとも気持ちいいの? きつく閉じられた目の際にも眉間にも皺が寄っている。もしかしたら自分はひどく可哀想なことをしているのかも知れないな、と思いながら、沖田は指で傷をなぞるのをやめられない。白い傷の上をなぞって指を這わせていると、何故だか自分がその傷を付けたような錯覚を覚えるのだ。一生消えない綺麗な傷。ねえこれ誰のために付けた傷なの、と聞けば山崎が泣くだろうと思っているので、沖田は頭の中だけで苛立って問いかける。誰のために体にこんな傷をつけてそれでも死ぬまいと抗ったの。
傷口の上に軽く爪を立てて引っかいた。山崎の体がびくんと跳ねて背が弓なりになった。その拍子に開かれた口から艶を含んだ声が漏れ聞こえたので、沖田は口角を上げる。この声を聞くと安心するのは、こんな山崎の声を知っているのは自分だけだろうと思っているからだ。
誰にもあげない聞かせないという気持ちと、俺がこんな声出させてやってんだ聞けよという気持ちが交互に湧き上がる。そういう色っぽい声で自分の名前を呼ぶところを聞かせてやりてえな、とも思っている。誰にって? 山崎が冷たい刀を体に埋め込まれたときにその頭に浮かんだであろう人物にだ。お前のもんじゃねえよ、俺のもんだよ、と言ってやりたい。叫びたい喚きたい。
指でなぞって擦るのにも粗方満足したので手を離してやれば、山崎はほっとしたような息を吐いた。きつく瞑っていた目が開くタイミングを見計らって、沖田は舌を伸ばす。ぬめったそれで傷口を舐め上げれば、山崎が小さく息を飲んで体を強張らせる。
軽く歯を立てれば山崎の体がまた震えて、今度はゆるゆると沖田の髪に指が潜り込んだ。優しく梳かれて奉仕をしている気分になる。舌で触れる体は、当たり前だが硬い。
もっと柔らかくてふわふわとしていて温かくていい匂いのするような体であれば、よかった。
「沖田さん?」
突然動きを止めた沖田に、山崎が不安そうな声を向ける。沖田の髪を指でかき回すようにしながら。
ねえどうして止めないの嫌がらないの拒まないの逃げないの。
「……お前が女だったらよかったのに」
顔を上げてわざときちんと目を合わせて言った。思うことは何度もあったが言葉にするのは当然ながら初めてだった。そんな言葉が、沖田の願いが、山崎を傷つけるということを知っているからだ。
けれど今日はめちゃくちゃに傷つけてやりたかった。痛いでも苦しいでも辛いでもいいから、自分のことだけ考えていて欲しい。
「今更ですね」
けれど山崎は、泣かず苦しまずちっとも辛い顔をせずに、苦笑を浮かべて沖田の前髪を優しくかきあげた。そのまま指が首筋に回るので、体を起こして口付けをする。唇に軽く歯を立てれば山崎の腕が沖田の首に回った。当たり前のような仕草だった。
触れる唇はやわやわと柔らかくて温かい。
「……お前が、女だったら、よかった」
「そりゃそうでしょう。……嫌いになりました?」
こんな傷が付いた体じゃ萎えるでしょ、と笑う山崎の笑い方がちょっと寂しそうだったので、沖田は心の中で安堵する。大丈夫、自分だけじゃない、山崎だって自分がいなきゃ寂しいのだ、と再確認して安心をしている。身勝手だとは分かっている。
「違えよ、そうじゃなくて」
「じゃあ何?」
「……お前が、女だったら、」
女のように柔らかくて温かくて小さくていい匂いがして可愛くて可愛がってもいい生き物だったら。
「俺は、こいつを残した奴を、殺せたのに」
胸にできた白い傷跡に触れる。掌で触れて指でなぞって爪を立てれば、沖田の首に回っている腕に力が籠った。癒すようにさすってやる。掌に伝わる心臓の動きがどくどくと速くなっていくのが分かる。これがもしかしたら止まっていたかも知れないと思えば、沖田の心臓こそ止まりそうだ。
傷を緩く撫でれば山崎の腕が沖田の背に回されてきつく力が籠る。傷から手を離して抱きしめ返してやれば、山崎はほっとしたように息を吐いて体の力を抜く。完全に体重を沖田に預けきってみせる。甘えた声で、耳元で好きですよと聞こえた。
これが女だったらどんなに良かったか知れない。甘やかして溶かして大事に仕舞いこんでしまえるのだったらどれだけ良かっただろうかと夢に見る。
傷を付けた奴を斬り殺してしまいたい。草の根分けても探し出してこの世で一番無残な殺し方で殺してやりたい。
けれど出来ない。出来るわけがない。沖田にそんな権利はない。だってこれは沖田の傷じゃない。
背に回した腕に力を込めて、背中にきつく爪を立てれば、山崎がきゅっと沖田の着物を握った。露になっている山崎の背中に一つずつ数えるように爪を立てて跡を残していく。こんなのすぐに消えるだろう。血が滲んだってすぐに癒えるだろう。胸に開いた傷のように残りはしないだろう。けれど。
背中にも残っている傷口をするすると撫でる。少し皮膚に違和感がある。
これは沖田の傷じゃない。山崎の傷だ。
山崎が自分の魂を貫くために作った傷だ。穿たれても諦めず地に這い蹲ってでも生きようとした証だ。
唯一絶対大切なもののために作って残った傷だった。
「お前が女で、俺のこと以外考えなくても生きていけるんだったら、よかった」
「…………」
「それだったら俺ァ、嬉しかったよ」
「……バカですね」
「うん」
「俺が女だったら、沖田さんと、なまなかなことじゃ会えませんよ」
「……うん」
「沖田さんが俺を、好きになったかどうかも分かりませんよ」
俺はこんなだから女に生まれても地味だろうしなかなか目にも留まらんでしょう。と山崎はわざと明るい声を作って言う。沖田の頭をあやすように撫でる仕草がちょっと母親ぶっている。
「好きになった」
「うそばっかり」
「俺ァどこにいたってお前を見つける自信があるよ。お前が女でもすぐに見つけてすぐ好きになってすぐに攫ってやったよ」
「うそ」
「うそじゃねえよ」
「でも、沖田さんはさ」
山崎の手が沖田の頭を軽く叩いて、顔上げなさい、と促す。ゆるゆると顔を上げた沖田の頬を山崎の両手が挟んで、目を合わせるように固定された。山崎の笑顔が優しい。ひどいことをしてひどいことを言っている自覚はあるのにこんなにも優しい。どうして怒んねえの、と沖田は聞きたい。
「沖田さんはさ、俺の、こういう傷作っちゃう馬鹿なとことか、そういうとこを好きになってくれたんだと思ってた。自惚れでした?」
それともやっぱり傷見て萎えた? と山崎が言って、軽く笑った。けれどその顔がやっぱり寂しそうなのだ。別れましょうかと軽い言葉で今にも言い出しそうなのに、沖田の頬を挟んでいる手が少し震えている。それに沖田は気づいている。
「……そうでさ、俺は、お前の」
背に残る傷にきつく爪を立てる。自分の爪あとがなるべく長く残ればいいと思っている。
「お前の、こういう馬鹿なとこが……」
他の事はどうでもいいと思っているくせに一途に何かを信じているところ。信じているそのためだったらあっさり命まで掛けれるところ。何にも考えていないように見えて実はいろんなことを考えていて、いろんな覚悟を持っているところ。心がまっすぐで綺麗なところ。目が真っ直ぐで強い光を持っているところ。
柔らかくなくて小さくなくていい匂いも別にしないけど抱きしめたら温かいところ。突っ込めば冷や汗ばかり流すし気持ちよくさせるにはちょっと時間がかかるし体液何回ぶち込んでもちっとも子供は出来ないけれど終わった後安心しきった顔で隣で眠ってくれるところが。
「……好きだ」
魂の奥深く生きていくための芯となる場所に自分は絶対立てなくて完全に自分のものにはなってくれないところが、そういう揺るがないところが、好きなので、
「けど、不毛すぎっだろ……」
ぐ、と爪を埋め込むように傷を抉れば山崎が顔を顰めて沖田の肩に額を乗せた。痛みを逃がすように細く息を吐く。体が震えている。このまま壊して自分だけのものになるのならいくらだって壊してやりたいのに、そうなってしまった山崎は自分の好きになった山崎ではなくなるのだと思えば声を上げて泣きたい気分になる。
山崎は沖田の着物を掴んで痛みに耐えている。震える息が沖田のはだけた胸元に断続的にかかって温かい。
今更でしょう、と小さな声が聞こえた。山崎が沖田のものでないことが今更なのか、男同士のこんな関係が不毛なものであることが今更なのか、分からない。山崎がどちらのつもりで沖田の言葉を理解したのかも分からない。
俺のこんなどうしようもない気持ちはお前にとって痛いの苦しいのそれとも気持ちいいの嬉しいの? 聞きたいけれど答えが怖くて聞けない。もしかしなくても自分はひどいことをして、ひどいことを言っている自覚がある。けれど山崎が逃げないので安心している。沖田の着物を掴んで痛みに耐えているのだから縋られているような錯覚を覚えている。
「俺を、ずっと好きでいてくれよ」
耳元に囁きかけながら傷を抉る。痛みで声が出ないのか、山崎は答えない。震える体で逃げようともせず沖田の胸に頭を押し付けるようにして堪えている。
「ずっと、傍にいて」
山崎の頭が微かに動いた。頷くような仕草だったけれど、沖田の指にすぐどろりとした血が付いたのでもしかしたら痛みで震えているだけなのかも知れない。
この先この体にはたくさんの傷が付くだろう。それを山崎は進んで選ぶだろう。逃げないだろう止めないだろう、守るものと信じるものはずっと変わらず唯一絶対であり続けるだろう。もしもこの先何かの選択を迫られて、自分とそれから守るべき対象、どちらか一つ選べと言われたら山崎はどちらを選ぶのか。自分を選んで欲しいと思っている。けれど、そうはならないかもしれないとは覚悟している。
だから選ばなきゃいけないときまで傍にいさせて欲しいんだ。