例年よりは幾分か暖かい冬の風が時折吹き付ける屋上で、高杉の指が山崎の髪をくるくると弄んでいる。
高杉の膝の上に向かい合うようにして座った山崎は、手に持った包帯の長さを腕を伸ばしてうーん、と測り、ぱちん、とはさみでそれを切った。それから今度は高杉の目を覆っている包帯へと手を伸ばす。
「ほどくよ?」
「いいぜ」
腕を回した山崎の指が包帯の結び目を解けば、少しよれて汚れてしまっている包帯が、そのままはらりと零れ落ちた。
「もう。帰りにちゃんと眼帯買いに行きなよ?」
「わーってるよ」
「なんでわざわざ包帯で来るかなぁー。包帯結ぶの苦手なくせに」
どうせ授業出ないんなら、学校ごとさぼればいいのに、と小さな声で文句を零しながら、膝立ちになった山崎は高杉の頭から包帯を取り除いていく。
山崎の髪で遊ぶのに飽きた高杉は、今度はその手で山崎の腰を抱くようにして、自分の眼前にある山崎の首筋にちゅ、と唇を付けた。
「ちょ! 何やってんの」
「吸血鬼ごっこ」
「……バカじゃないの……」
一瞬びくりと体を揺らした山崎は、高杉の言葉に呆れたように力を抜く。
高杉は好き勝手にさせておいて、ぐるぐると巻きつけられた包帯をようやく取り除くと、山崎は先ほど長さを揃えた真新しい包帯を手に取った。
「巻くよ?」
「おう」
火傷で爛れた高杉の左目にそっと包帯を当てる。
山崎は、少し緊張してわずかに息を詰めた。
もう痛みはないと分かっているのに、ひどく扱えば痛むのではないかと心配してしまう。なるべく、傷を刺激しないように、と思ってしまう。
眼帯で隠れるほどの小さなそれは、痛みもなければ包帯などという仰々しいものも必要としない。山崎がこうして包帯を巻いてやるのだって、その傷口を隠す程度の理由しかない。
けれど山崎は、その傷が包帯を必要としていた頃を知っている。知っているからどうしても、大丈夫だろうかと気にしてしまう。
そんな山崎の様子に、高杉はふっと笑った。安心させるようにその手が山崎の背を軽く撫で、その目が優しく促すように山崎を見つめる。
高杉のその様子がまるで子供をあやすようで、山崎は小さく苦笑した。
髪を大げさに巻き込んでしまわないように、指で梳いては包帯を巻き、髪を流しては包帯を巻き、山崎の手が丁寧に傷を覆い隠していく。そして最後に、一度高杉を抱きしめるような動きで高杉の頭の後ろに手を回し、包帯の端と端をぎゅっと結んだ。
そこでほう、と吐息を吐けば、終わったことを知ったのか大人しくしていた高杉が山崎の腰をするりと撫でる。
「……何?」
「終わった?」
「うん」
「ありがとな」
右目を細めて笑った高杉は、そのまま山崎の頬に手を添え、きょとんとした顔の山崎に顔を寄せて、唇の端にそっとくちづけた。
山崎はくすぐったさに笑って目を閉じる。その頬を高杉が柔らかく撫でた、そのとき。
「――――――山崎、テメェ何してんだ」
大きく開かれた屋上の入り口から、地を這うような低い声が聞こえた。
「だから、あれはただの挨拶だって言ってるじゃないですか」
山崎の顔を見ないままでずんずんと先を歩く土方の背に、山崎は何度目かの言葉をかけた。
「帰国したばっかだからあっちの習慣に染まってるだけで、深い意味なんてないんですってば」
言い募る言葉にも、土方の返事は返らない。
聞こえてもいないという風に、どんどん歩いて行ってしまう。
(あーもう、そのまま帰っちまえば!?)
大人気ない土方の態度に苛立った山崎は、そのままぴたりと足を止めた。
先を行く土方は、どうせ山崎が立ち止まったことにも気づかないだろう。そのまま一人寂しく怒った形相で帰ってしまえばいいんだ。
しかし、山崎の予想に反して土方は足を止める。ちらっと後ろを振り返って、立ち止まった山崎を見ると、
「何してんだ」
と不機嫌そうに言った。
「……土方さんが機嫌を直してくれないので、拗ねています」
「……別に、俺ァ機嫌損ねてなんていねーけど?」
「嘘つくならもうちょっとマシな嘘をどうぞ」
「え、何でお前が怒ってんの? これは俺が怒るところだろ?」
立ち止まったまま土方を睨み据える山崎を見て、土方は大きく溜息を吐いた。開いてしまった距離を詰めて、山崎の肩に手を乗せるが、山崎はそれを振り払ってしまう。
「何、マジで拗ねてんの、お前」
「だって、土方さんが俺の話聞いてくれないから」
小さな声でそう言って俯いてしまった山崎の顔を、土方は呆れた顔で覗き込んだ。まさか泣いてはいないだろうな、と思ったが、泣くよりもたちが悪く、完全に拗ねてしまっている。目が据わっている。
どうしたもんか、と土方が溜息を吐けば、山崎が俯かせていた顔を勢いよく上げて、きつく土方を睨みつけた。
「……泣くなよ?」
「土方さんが無視するなら泣きます」
「……わーったよ。無視しねーって」
なだめるように山崎の頭を撫でる土方に、山崎は少し機嫌を回復させてへへ、と笑った。
土方はそのままぐしゃぐしゃと山崎の髪をかき混ぜて、「で?」と話を促す。
「……だからね。晋兄は帰国子女で、帰ってきたばっかりだから、ちゅーとか別に挨拶なんですってば。土方さんが気にするようなことじゃないです」
「あっちにとっては挨拶でも、おめーにとっては挨拶じゃねえだろうが」
「そりゃそうだけど、挨拶だと思ってされてるものを、こっちの価値観で振り払うわけにも行かないじゃないですか」
「振り払う以前に嬉しそうだっただろうが」
「んなわけないでしょ! つーか……どっから見てたんですか?」
「お前があいつの頭を胸に抱えた辺りから」
「妙な言い方すんな! あれはだから、包帯巻き直してあげてたんですってば。他意はないです」
「あいついつもは眼帯だろうが」
「え、どこで見たの?」
「……お前のクラスにお前迎えに言ったとき」
「ああ……」
さっと視線を逸らした土方に、山崎はうんざりして肩を落とす。
そうだ、あった。そういうことも。土方が山崎をいつものようにクラスに迎えに来たときに、たまたま偶然山崎がこけて高杉に抱きとめられていた、という最悪のシチュエーションが。
そのときもやっぱり土方は怒ってしまって、山崎の言葉に耳を一切傾けず、それで結局山崎がキレて土方が折れる破目になったのだ。
(うわぁ、まったく成長してないな、俺たち)
気まずそうに顔を背けてしまった土方に溜息を一つ吐いて、山崎は土方の手をぎゅっと握った。驚く土方には構わず、今まで歩いていた方向とは反対の方向に向かってずんずんと歩き出す。
「……退さん、逆じゃないんですか?」
「いいの。今日は土方さんの家に行くんだから」
「……あ、そ」
繋いだ手を振りほどかれるかなと山崎は少し心配したけれど、そんなことはなかった。
ただ、少し収まりが悪かったのか、土方は山崎の手をやんわりと解いて、自分の方からきつく繋ぎなおした。
「……で、どこまで話しましたっけ」
「あいつはいつも眼帯だろうが、って辺り」
夕闇がどんどん濃くなって、二人が手を繋いでいることを隠していく。
このまま誰にも知られずに逃げられたらいいのになあ、と、頭の中で説明のための言葉を練り上げながら、山崎はぼんやり考えている。
山崎はそんなことを考えていると言うのに、土方はまだどこか憮然としたままだ。
「あー……ていうかね、前にも話したと思いますけど」
「何」
「晋兄は俺の従兄だからね?」
血が繋がってる親戚ですよ、と言って、隣を歩く土方の顔を見上げた。
闇がどんどん濃くなって、その表情は上手く見えない。
「……従兄だって、結婚できんだろうが」
声の調子から、機嫌が直っていないことは分かる。
「つーか男同士は結婚できねーよ。土方さんって本当バカ」
「うっせえ! もののたとえだろうが!」
土方が山崎に顔を向けて怒鳴る。その手が、顔を顰めた山崎の頭を勢いに任せて殴った。
「…………」
繋いでいた手が解けて離れて、あ、と言ったのは、土方だったか山崎だったか。
土方は、離れてしまった手を取り返しのつかないものでも見るかのように見つめて、悪ィ、と小さな声で謝った。
別に、謝るようなことでもないのに。ちっとも取り返しのつかないことではないのに。
自分が悪いことなんて、分かっている。山崎は軽く唇を噛んだ。
一回目も二回目も、土方が怒るのが道理だってことは分かっている。それで怒られなかったら、それはそれで寂しいだろうと思う自分の我侭さも、分かっている。
けれど、だって。
「……土方さん、」
山崎が、土方と同じくらい小さな声で囁く。
土方の返事を待たず、そのまま伸び上がって、土方の首に手を回した。驚く土方が体を引くより先に、ぐっと引き寄せ顔を近づける。
唇は、しっかりと唇に。
触れ合わせ、押し当てるようにして。
闇に目が慣れていく。土方は少し驚いた顔をしている。
頬が染まっているかどうかまでは、山崎にはよく分からない。
「……俺がね、」
染まってればいいなあ、と思いながら、吐息を混ぜ合わせるような近さで囁いた。
力が抜けていた土方の手が山崎の背に回り、腰を支えて引き寄せる。
大丈夫。暗いから、ちょっとくらいなら。
誰に対する言い訳か、多分お互いに胸の中でしただろう。それが分かって、目を合わせて少し笑った。
「俺が、こんなことすんの、土方さんだけですよ」
「…………」
「それでも信じないなら別にいいです、もう」
腕を解いて逃げかける山崎の体を、土方が抱き寄せて逃げられないようにする。
土方の胸板に押し付けられる形になって、さすがに山崎の頬に朱がさした。
「……別に、信じねーとか言ってねえだろ。面白くねーって言ってるだけだろうが」
「嫉妬するほど俺のこと好きでいてくれるのは嬉しいです」
ふふ、と笑いながら言った山崎の体を、土方は押しのけてその頭をいつもの調子で殴る。
「ひっど! さっきまで優しかったのに!」
「うっせえ! 山崎のくせに調子乗ってんじゃねーよ」
土方はばっと顔を背けて、それからまた一人でずんずんと歩き出してしまった。
けれどその速度が、先ほどよりも大分遅い。
山崎の顔が自然に緩む。殴られた頭は少し痛いけれど、今はそんなこと気にならないくらい気分がいい。
もう一回手を繋ぎたいなあ、と機会を窺いながら、「ねえ」と呼びかけた。
「従兄とは結婚できるかも知れないけど、俺は晋兄とは結婚しませんよ。結婚したいと思わないもん」
「……つーか、男同士は結婚できねーんだろ」
「します?」
「は?」
土方の足が止まった。
その横にぴたりと並んで、空いている手を握る。これだけ暗いのだからいいだろう、と、指をきつく絡めて。
「結婚できる国に行って。ふたりで。結婚して、ずうっとふたりで暮らします?」
見上げて言えば、土方がうろたえるのが分かった。
それがおかしくて、山崎は小さく笑う。
繋いだ手を少し引っ張って、近づいた土方の耳元に背伸びをして唇を寄せた。
「俺はそれでもいいですよ。土方さんが、すきだから」
その言葉に、土方は一度息を呑んで、それから、溜息のように大きく息を吐き出した。
土方の顔を覗き込むようにする山崎の髪をぐしゃりとかき回して、「お前バカすぎ」と呆れたように言う。
土方が照れているのが簡単に分かってしまって、山崎は嬉しそうに笑った。
(このまま誰にも知られずに、誰にもこの人を取られないところまで、逃げてしまえればいいのにな。ねえ土方さん。俺はこんなにもあなたのことを好きなのに、)
高杉のキスが挨拶であってもそうでなくても、そこに罠があってもそうでなくても、山崎は絶対に引っかからないし、他のどんな行動も、山崎にとっては何の特別な意味もありはしないのだ。
山崎にとっては土方だけが一番で、それだけが重要で、それ以外の全てのことには大した意味などないのだから。
そんな気持ちを向けられた当の本人は、そんなことに気づいちゃいないのだろうけど!
松澤さまより頂きました、「土山で年上×年下・同級生・3Z」の「土高山三角関係」というリクエストで書かせていただいた話です。
……が、三角関係? あからさまに土山に偏っていますね、これ。土山リクだったので土山を主軸に持っていったら主軸になりすぎた、という言い訳。
高杉は山崎に対してラブとライクの微妙なところで、山崎が土方十四郎至上主義!という話のつもりでしたが、ここで説明しなきゃわからないという意味のなさです。申し訳ありません。
高杉と山崎が従兄弟同士で高杉が帰国子女、という設定がすごく楽しかったので、妄想が広がりまくりました。できたらまたこれで何か書きたいかも知れない。
松澤さま、素敵なリクエストありがとうございました!