別に文化祭を楽しめないことはどうでもいい。
一人で回って楽しいもんでもないし、かといって誰かと回りたいかと言えばそういうわけでもない。連れて歩きたい恋人は残念ながらとっくに卒業してしまっていて、今日来るとも聞いていないし、相手をしてやれるかどうか定かでなかったから誘ってもいない。
それはいいのだ。別に。
(だからって……面倒くせえ……)
どうせ一人ならやってくだせェよ、と実行委員の仕事を全部押し付けたのは沖田だ。
やってくれるのか! 嬉しいなあ! と答えてもいないうちから喜びだしたのはゴリラの脳みその実行委員長だ。
そうだねだってお前ら一緒に回る相手がいるもんね、ということで引き受けたのだが、しかしこれほど面倒くさいこともない、と土方は今後悔している。
どこそこで喧嘩だの、どこそこのマイクが不調だの、だれそれが怪我しただの、それって実行委員の仕事か? と疑いたくなることまで全部土方のところに舞い込んでくる。そのたびに、教師に報告しにいったり放送委員に伝えに行ったり養護教諭を探したりと、使いっぱしりとしか言えない仕事にはうんざりだ。
(絶対総悟だ……アイツが仕組んでるに決まってる……)
大方、面倒ごとは全部土方さんに言えば解決するぜ、とでも吹聴しているんだろう。次見たら殴る。絶対殴る。
固く心に誓って、土方は会議室の机にだらりと上半身を寝そべらせた。
もう後は校庭に出てのファイヤーストームだか何かだけで、そうそう問題も起こらないだろうし、起こったって教師も一緒に集まるのだから、土方の出番もそうないだろう。
(……俺も出なきゃなんねェのかな……)
後夜祭。一人ぐらい居なくたってどうせばれないだろうけれど、会議室だけ電気が点いていたら誰かが呼びに来るかも知れない。面倒くさいことこの上ない。たとえ誰かにダンスの申し込みをされても、それを受ける気なんて少しもなかったし、踊ってもいい唯一の人は何度も言うけど今日いないのだ。
(もう帰っちまおうかな……)
帰りにせめて、恋人の家に寄って、顔だけでも見て帰ろうかな。
顔を伏せたまま考えを巡らす土方の耳に、ガラリとドアの開く音が聞こえた。
「ひっじかったさーん」
続いて憎らしい声。
「お前なあ、総悟、ちょっと一発、」
「頑張ったご褒美ですぜ!」
殴らせろ、と土方が顔を上げるのと、沖田の陽気な声が響くのと同時。
そして、再びガラリピシャッとドアが閉まって、会議室に取り残されたのは呆けた顔の土方と、
「……退?」
「学校では『山崎先輩』でしょ、十四郎」
にっこり笑った、卒業した先輩兼恋人。
だったのだけれど。
「……お前、何それ」
土方のまなざしにあははーと軽く笑って一回転して見せた山崎は、大変見覚えのあるセーラー服を見に纏っていて、ふわりと広がったスカートから覗く足に、土方は様々な意味で眩暈を覚えた。
「沖田くんにやられちゃった。可愛い? 似合う?」
スカートをぴらぴらさせながら山崎は土方に近づいて、その顔を覗き込むようにする。
その唇が、ほんのりと桃色に色づいている。
「……コレは?」
まさかこれも沖田の仕業じゃあるまいな、と唇を指で突けば、山崎は何が楽しいのかにこにこ笑って、これはねぇーと説明をはじめる。
「沖田くんがせっかくの文化祭なんだからなんかしろよって言ってきて、別にいいけど何すんのって聞いたら女装しろ女装って。で、志村さんと神楽ちゃんが面白がって保健室から予備の制服借りてきて、着たら陸奥さんが化粧してくれるって言うから」
「されたのか」
「うん。似合うっしょ」
俺すごくない? と笑いながら山崎は土方の隣の椅子を引いて勝手に座り、持っていたプリントを土方の前に広げた。
「……何」
「十四郎のクラスの会計報告書」
「……で?」
「どうせ山崎先輩と一緒じゃない後夜祭なんて出ないんだろうから二人っきりで会議室にこもって電卓でも叩いてくだせェ。という伝言を預かりました」
どうぞ、と机の上に放ってあった電卓を引き寄せて、それも一緒に土方の前へ押しやる。
眉を寄せたままの土方の顔をじっと見て、山崎は「それとも」とわざとらしく首をかしげた。
「後夜祭で他の女の子と踊る予定だった?」
そんなこと言われたら、面倒な作業が嫌だなんて口が裂けても言えるわけがない。
チッ、と何度目かの舌打ちが会議室に響いた。
土方とは別の紙を覗き込みながら電卓を叩いていた山崎がそれに顔を上げる。
「どうしたの?」
「……なんでもねェよ」
単純な計算ミスを消しゴムで乱暴に消しながら、土方は山崎を軽く睨みつけた。
別にそんなことには慣れている山崎は、肩を竦めて再び計算と格闘を始める。隣り合わせに座って会話をすることもなく、カタカタと電卓を叩く音と、カッカという鉛筆の音だけが響いている。
(……これは、やりすぎだろ……)
しかし土方は、内心頭を抱えていた。
隣に座った山崎から、ふわふわと甘い香りが漂ってくるのだ。
ここに来る前に甘い物を食べたからとか、シャンプーの香りだとか、そういうものではない。明らかに女物の香水の香りだ。そこまで考えて土方は、先ほどの山崎の説明の中に志村の名前があったことに気づく。
彼女がつけている香水だ、これは、多分。
面白がって吹きかけられたのだろう。それを大人しく受けた山崎もどうかと思うが、それに対して動揺している自分もどうなんだ、と土方は吐き出しそうになる溜息をぐっと堪えた。
(そもそも、だ)
そもそも、だいたい、山崎は、男だとか女だとかそういうことに無頓着すぎるのだ。
男はこうあるべきものだ、という固い考えを少なからず持っている土方からしてみれば、不思議であることこの上ない。
(……まあ、だからこそこうやって付き合ってられるんだろうけど……)
というかそもそも男に対してこんな劣情を抱いている時点で、自分も人のことは言えないのか、と土方は気づいて、うんざりと隣に座る山崎を見た。
(……可愛い、とか、似合う、とか、思う時点で俺も終わってんだろうなぁ)
零れた髪を耳にかける仕草、だとか。
考え事をするときに唇を尖らせる癖、だとか。
誰に塗られたのか長く黒く伸ばされた睫が作る影、だとか。
(ていうか着替えとか化粧とかしてる暇があるんだったら、もっと早く来いってーの!)
もしくはメールなり何なりで土方を呼び出せばよかったのに。
そしたらもう少し、長く会っていられた。あんな鬱屈した気分を抱えることもなかっただろうに。
イラっとした土方は、そのまま山崎の手首を掴んで軽く引っ張った。
山崎が驚いたように顔を上げるのに唇を寄せて、色づいた唇を奪う。
べたべたとした感触に土方が顔を顰めるのを見て、山崎が楽しそうに笑い声を上げた。
その余裕も気に食わなくて、土方はそのまま山崎の腕を引っ張り腰を引き寄せる。山崎は逆らうこともなく、引かれるがままに土方の膝の上に収まった。
スカートがまくれ上がらないように気にするその仕草が、妙に様になっていてどきりとする。
「……重くない?」
「別に」
今更何を気にするんだ、と少し呆れて、少し愛おしく思いながら、土方は山崎の背中に手を這わす。女と違うのは、こうして触れる体があまり柔らかくはないことと、触れる背中に下着のラインがないことくらいだ。
膝に乗せているせいで逆転した身長差。見上げて視線を絡ませれば、山崎はやはり余裕の表情で、するりと土方の頬に手を伸ばす。ふわりと香水が香って、眩暈がする。
「何緊張してんの?」
軽く唇を寄せて、山崎がからかうように笑った。
土方の胸に手を当てて目を伏せ、「すごい。どきどきしてる」と笑う。
「俺がこんな格好してるから? いよいよ変態だね」
「変態じゃねーよ」
「そう? 説得力ないなあ」
スカートの中に手を入れるようにして太ももを撫でる土方の手つきをちらりと見て、山崎が笑う。色づく唇のせいなのか、長い睫のせいなのか、その笑い方が妙に艶めいているのが気に食わず、土方は山崎の顎を軽く掴んで、
「そんな格好してるからじゃねーよ。お前が山崎退だからだろ」
囁くようにそう言ってから、その唇を深く塞いだ。
べたりとその唇を色づけているグロスを己の唾液で塗り替えるようにして唇を離した土方の耳元に、頬を蒸気させた山崎がそっと唇を寄せた。
「ね、今日、泊まってっていい?」
「……いいけど、何で」
窓の外ではきゃあきゃあと楽しそうな声が響いていて、そろそろ祭りも終わりの気配だ。
炎ではなく蛍光灯に照らされた無機質なこの部屋の魔法も、恐らくもう少しでとけるだろう。
その前に、と言わんばかりの甘たるい声で山崎は土方の耳元に囁く。
「なんか、すごい、十四郎のことをね。好きだなあ、って思ったから」
じゃあその制服のままで来いよ、と言ったら変態呼ばわりされるだろうか、と土方は発熱する頭の隅で考えながら、うっとりと微笑む山崎の唇に、今度は優しく唇を寄せた。
「土山で年下×年上で現代で女装山崎」という、素敵過ぎるリクエストで書かせていただきました。書いていてすごく楽しかったです!
書いた後に、現代で女装なんだからもっと山崎が恥らったりした方がいいのかな……と気づいたんですが、わたしの好みを貫きました。お気に召さなかったらすみません。
リクエスト拝見したときに、年下攻めの女装受け、というのに自分でも引くくらいテンションが上がって変な声と変な汗が出ました。何かが開眼しました。余裕山崎も書いててすごく楽しかったです。
リクエスト本当にありがとうございました!