まあなんつーか神様はいなくても天使はいるんじゃね、と思ったね、俺は。
 恋に落ちた時は運命を感じたね。いや、マジだって。



 いらっしゃませー、と狭い店内に明るい声が響いた。しかし、いつもなら声が聞こえると同時に見える姿がどこにもない。え、何があったの、と店内を見渡せば、背の高い花の陰にかくれてせっせと花束を作っている退くんがそこにいた。
「さっがるくーん」
 名前を呼んでひらひらと手を振ると、顔を上げた退くんがちょっとだけ目を丸くして、次いで困ったような笑い方をする。ふにゃり、とした、気の抜ける笑い方だ。眉毛が下がっている。もっともっと困らせたいなあ、とこれを見るたび俺は思うのです悪い大人だから。
 退くんは、ちょっと待ってくださいね、とでも言うように小さく頭を下げて、再び花束作りに集中し始めた。それが彼の仕事なので、そして俺は単なる冷やかしの客なので、いいよ、と伝えるように笑って周りの花に目を移す。きつい百合の香りですこしだけ頭痛がした。
(……まあ、そもそも)
 あの会釈が、待っててくださいね、と言うように、というのだって9割方俺の妄想だ。その辺は一応きちんと弁えている。大人なので。けれど彼はこの小さな花屋のバイトくんであって、俺は冷やかしとはいえ客なわけで、彼が俺を邪険にできないだろうと分かっていて妄想しているのだ。大人だから。人生を楽しく生きるための、これは処世術だと思うわけだよ。
 特に目当てもなく視線を巡らせていたら、見覚えのある花が目に入った。と言って、俺は全然花に詳しいわけでないので、最近見たことあるなァなんだっけ、程度の見覚えだ。少ない記憶を総ざらいして、ようやく、昨日の客が持ってきた花束の花だ、と思い出す。
 俺の固定客で、金払いがよくて、気が利く、なかなかいい女なのだ。顔も悪くは無い。胸もでかけりゃ腰も細くて上等の部類だ。ただ何が残念かって、俺みたいなホストに引っかかるところだけが残念で、俺は愛されるより愛したい質なので客というだけでもう圏外、みたいな。その、客でさえなけりゃぜひヨロシクお願いしたいタイプの客がくれた花束の花、は、値段を見ればやっぱり高かった。こんな金ホストに使ってないで、もっと別のいい男探しなさいよ、と思ってしまう。だってほら、ホストはお仕事だし。そこで恋愛なんてしてられないんです。
 で、だ。
(俺の天使はまだ来ねーのかなァ……)
 その場にしゃがみこんで店内の気配を窺う。さっきまでせっせと花束を作っていた場所からは、いつの間にか姿を消していて、どうも店先のどこにもいない。奥に引っ込んだかなァ、と首を伸ばすが見えもしない。
 あと5分待って、そんでも出て来なきゃ帰ろうかな、大人だし。
 と溜息をついて時計に目をやったところで、「すいません」と可愛らしい声が降って来た。
「お待たせしました、金時さん」
「うん、銀時でいいからね。金時って源氏名だからね」
 訂正すると、あはは、と笑われる。軽くあしらわれたようでちょっと寂しい。
「今日はお仕事お休みなんですか?」
 エプロンで濡れた手を拭いながら首を傾げ尋ねるこの男の子が、俺の天使で、俺の恋人候補です俺の妄想の中限定。近くの大学に通ってて、ここでバイトしてて、という程度のパーソナルデータしか知らない。ガードが固いのだ。なので、ぞくぞくする。悪い大人だから。
「今から出勤です」
「あ、そうですよね。スーツですもんね」
「同伴する?」
「あはは、ないない」
 何言ってんスか、と朗らかに笑いながら肩を軽く叩かれる。お、ボディータッチ。それだけで嬉しくなれる俺の心はとてもエコロジーだと思う。地球に優しくできています。対退くん限定で。
「退くんは、テスト終わったの?」
「終わりました。やっと!」
「お疲れー。今度銀さんが何かおごったげるよ。何がいい?」
「えー、いいですよ、そんな」
「遠慮しないでいいよ。ホストって無駄にお金持ちだから」
「いやいや、それは老後に備えてくださいよ」
 苦笑いされてあっさりかわされ、ちょっと面白くなくなっている俺の髪に不意に退くんの手が伸びた。え、何、と動揺する俺に構わず、一枚の葉っぱを指で挟んでひらひらさせてみせる。
「葉っぱ。付いてました」
 へへ、と笑うその様がもう、可愛くて可愛くて仕方がない。
 これを絶妙な駆け引きと思っているのは9割方俺だけだろうけど、こういうところがたまらないのだ。抱きしめて攫ってしまいたい。
(ていうか、とりあえずは)
 じい、と顔を見ると、え、何ですか、みたいにちょっと焦った顔をするのがたまらなく可愛い。
(好きって言いてェなあ)
 そんで、一回でいいから合意の上でぎゅーとかちゅーとかあれやこれをしてみたい。
 せめて退くんが女の子だったらなあ! とたまに天を仰ぎたくなる。女の子だったら、ほとんどの確率で落とせる自身がある。というか、ホスト生命かけて落としてみせる。
 しかし残念ながら退くんは男の子で、その性的嗜好は目下調査中だ。好きな女の子の話も聞かないし、女の話にも大して乗ってこないから、もしやこれはいけるんじゃないのと淡い期待を抱いてはいるけれど、ここで調査不足のまま手を出したら確実に変態呼ばわりされるので自重中。俺はどっちでもいけるけど、世の中にはそんな間口の広い人ばかりでないということは、さすがに分かっている。
「金時さん? どうしたんですか?」
 じい、と退くんを見たまま思考の海に溺れていた俺を、退くんの声が呼び戻した。
「気分でも悪いです?」
 言いながら、突然顔を覗き込まれて、うっかり息が止まる。
 ヤバイヤバイヤバイってあんまり俺は真っ当な大人じゃないし基本的にあんまり細かいことは気にしない質なので、なんかもういいんじゃね!? という気分になってしまう。
 退くんはそんな俺の様子などお構いなしに、俺の額に自分の額をぴたりとつけた。
(オイイイイイイイイ!)
 いまどきそんな熱の測り方かーちゃんと恋人くらいしかしねーぞ! というやりかたで熱を測られて、かっと体が熱くなる。退くんは額を離し首を傾げて、
「熱はないみたいですね。お仕事大丈夫ですか?」
 と、少し笑って言った。
 なんかもう、いいんじゃないの。おじさん正直限界値低いんですよね! と若干暴れる心臓を気づかれないように平然を装って、
「大丈夫大丈夫。元気だから」
 と笑ってみせる。と、退くんはおかしそうに笑って、「金時さんって変な人ですよねー」とかなんとか。
「だから、銀時ね。名前で呼んでよ、退くん」
「はいはい。ところで、今日もまた何も買ってかないんですか?」
 軽く、というか、あからさまに流されて、更に冷やかしを指摘され俺は目を逸らした。
 花には興味ないし、仕事柄買う方ではなくもらう方だ。
「あ、でもそうか、金時さんはもらう側だから、買わなくてもいいって感じですよね」
 そうそう。
「……あれ? じゃあ何で毎日うちに来るんです?」
 退くんが不思議そうに首をひねって、暇つぶしならもっといいとこありますよー、と言う。俺は額に手を当てて、何と答えようか考えをめぐらせた。
 毎日じゃないです君がいるときだけですぅー、とか。
 暇つぶしっていうかこのために時間作ってんだよ、とか。
 買わなくてもいい方だけど君が欲しがるなら買ってあげる、とか。
 どれを言っても告白めいていて、けれど、どんな嘘を吐けば効果的なのかわからない。嘘を吐くのが仕事なのに情けない話だ。
「金時さん?」
「……だからァ、」

 考えているうちに面倒くさくなってきた。
 ここで濁したら絶対後で来づらくなるし次に来た時同じ質問されても困る。不審がられるともっと困る。とかなんとか考えているうちに時間はどんどん経っていてもうすぐ出勤時間だ。

「銀時、って、呼んでよ。退くん」

 自分の感情がコントロールできないことに一番苛立って、思わず退くんの手首を掴んでちょっときつめに言ってしまう。
 あ、やべ、嫌われるかもしかしてコレ、っていうか俺何様って感じだよなやべー。
 手首を握ったまま焦って、手を離そうか迷い、けれど離しがたく思っている間、退くんはあまり大きくない目を精一杯見開いていて。
 それからおずおずと、
「銀、時さん……」
 と口にした。

(あ、ヤバイ。嬉しいかも)
 思わず握った手首に力を込めた。ら、退くんの顔がちょっと赤くなる。
(……アレ?)
 くい、と少し手を引っ張れば、顔を赤くしたままふらっと一、二歩こちらへ近づく。
(……オイオイ)
 マジかよ、と唾を飲み込む。これで勘違いだったら、からかったとか言う風に逃げ切れるかな、ホストだし。でもそれって今後の信頼関係にヒビが入るよな……云々。
 考えている間に、腕が勝手に動いて退くんの頬に手を当てていた。そこからもう一連の流れのように、顔を上げさせ顔を近づけ、


「この花が欲しくて通ってたんだけど、くれない?」


 キスの一歩手前で囁いた。
 逃げられるかと思っていたけれど、退くんは逃げなかった。俺の視線から逃げるように目は伏せられていて、唇がぎゅっと閉じられていて、微かに震えていて相当可愛い。
 そのまま流れに身を任せたいのをぐっと堪えて、退くんの目を覗き込む。
「俺にくれない? ダメ?」
 すげー大切にしますけど。言って髪を撫でてやれば、退くんが伏せていた視線をゆるゆると上げる。全然逃げない。可愛い。


「……すげー高いですよ。売れっ子ホストさんの、1日貸切料金ぐらい」


 退くんは、そう言って、目を閉じてぎゅっと拳を握って顔を上向かせて、少し唇の端を上げた。


 ――――――……あーもうこの子マジで天使です。頭砂糖で出来てんじゃねーのって暴言吐かれてもこれだけは譲れない。俺がしてやられるなんて、そうそうあることじゃねーもん。気持ち悪いとか頭悪いんじゃねーのとかどんどん言って。この魅力は世界中で俺だけが分かっていればそれでいい。

 震える唇に軽く触れて、ちゅ、と音を立てて離してやる。
「1日じゃ多分足りねーだろ。一生あげてもいい? お釣りはいらないから」
 言えば、退くんは驚きの後に嬉しそうにくしゃっと笑って、返せって言われても返せませんからね、と言った。俺の腕の中で。


 いや本当マジで。
 可愛いこの子が俺だけの天使でいてくれるんなら、神様だって信じてやるよ。

      (09.01.13)




「銀山」で「ホスト銀さんと花屋山崎」という、素敵リクエストで書かせていただいた話です。
これリクエスト頂いたときに最後の方がぱっと閃いて、超楽しい!と思って書かせていただいたらポップでハイテンションなのかどうか恥ずかしい感じになりました。
ホストと花屋ってことで完全パラレルだったので好きにやったら、あれこれ誰?みたいになった気がしますが心の目で読んでいただけたら……。
素敵なリクエストありがとうございました!銀山、に見えたら嬉しいです。