この人が死んだらその死に顔を堪能してから後を追おう、と、いつ頃からかそう、決めている。


 びしゃ、と足元で血が跳ねた。土方は顔を顰めて血に汚れた靴を見、舌打ちをする。
「歩き辛ェなあ」
「そりゃあ、そうでしょう」
 視界を埋め尽くすのは血と死骸だ。出来立ての。たった今、土方と山崎二人で作った地獄だった。土方は苛々とした様子で、道を遮る死骸を蹴る。びしゃ、と血が跳ねてズボンの裾を汚したのだろう、再び舌打ちが聞こえた。
「煙草が吸いてえ」
「駄目ですよ。火薬庫あるんだから」
「わーってるよ」
 うっせェなァ、と言う声音が相当苛立ちを含んでいる。別に火薬庫が近いのも邪魔がやたらと多いのも俺のせいじゃありません、と口には出さず、山崎は肩を竦めた。
 斬り込み隊、みたいな役回りをたった二人だけでしているのも、山崎のせいではない。土方が決めたことだ。大勢で踏み込むには厄介な場所だからお前付き合え、と言われたので、付き合っているだけだった。
 山崎は血が跳ねないようになるべく静かに歩く。靴の底が血でねちゃりと地面に引っ付いて気持ちが悪い。手や顔に浴びた返り血は半分乾いていて、指で擦ればどろりと取れる。
「やばいっスよ、土方さん」
「何が」
「次こんだけの人数出てきたら、ちょっと厳しくないですか」
「何だよ、もうバテたのか」
 はっ、と土方が山崎の言葉を鼻で笑った。馬鹿にするような目で振り向かれ、山崎は眉を寄せる。
「じゃ、なくて。刀がね。俺のそろそろ脂巻いてきちゃってんですよ」
「俺のだってそうだよ」
「だったらやっぱやばいじゃないですか」
 言えば、苛立ったような視線を向けられる。ヤニが切れていつも以上に気が短くなっているのだ。
 かち、と土方の手元で刀が鳴った。
「試してみるか、山崎」
 お前の体で、と言いながら、すらりと刀が引き抜かれる。もう色の鈍くなっている、長い人斬り包丁がまっすぐ山崎に向けられた。
 山崎は避けもせずそれを真っ直ぐ見つめて、瞬きひとつしないままで、どうぞ、と短く答える。
 一歩前へ進めば、刃は山崎の喉元に吸い込まれるだろう。
 そうなったらそのとき自分の体は、他の死骸と同じようにここに投げ捨てられたままでいるのか、それとも、土方が背負って持って帰ってくれるのだろうか、とどうでもいいことを考える。
 そういえば、死骸はその場に見捨てて戻れ、という隊規が、あったようななかったような。土方は気まぐれでどうでもいいような規則を作るので、正直いちいち覚えちゃいられない。
 ちっとも瞬きをしないままでそんなことを考えていれば、土方が興ざめしたように刀を山崎から逸らした。しゃん、と鞘に収め、再び山崎に背を向ける。
「刀なんてのは気合で使うもんなんだよ。―――――行くぞ」
「はいよ」
 少し開いていた距離を詰めるように歩けば、足元で血がわずかに跳ねたので、山崎も土方と同じよう舌打ちをした。

(殺すなら、いつでも好きに殺せばいいのに)
 今ここで抜き打ちで斬り捨てられても、文句は絶対言わないし、恨んだりしないのになあ、と土方の背中を見ながら山崎は考えている。
(鞘を握る。柄に手をかけて、抜く。腕が動いて、刃が、……どこかな、俺の胴をきれいに斬るぐらいか)
 薄目をあけて思い描いてみる。刃は多分鈍くしか光を反射しないだろう。もう切れ味が悪くなっているので、一度では死ねないかも知れない。苦しむかも知れない。それでも体は倒れるだろう。倒れた体の肩に足を乗せ、思うが侭に突き刺してくれればいい。

「あそこだ」
 不意に土方が足を止めて、前方を指差した。
 鉄の扉が閉ざしている、そこが武器庫だろう。死骸となった浪人から聞いた情報とも一致する。
「俺が行きます」
 山崎が手を挙げて言えば、土方は当然だ、という顔をした。それが嬉しくて山崎は思わず笑ってしまう。
「何だ、気味悪ィな」
「いえ、すいません」
 笑いを引っ込めて頭を下げれば、土方は一瞬嫌そうな顔をして、それから先の扉を顎でしゃくった。山崎はひとつ頷いて、刀に手をかけ扉の傍へ寄る。
 中の気配を窺っている間、ぞくぞくとする。中に人がいればいいのになあ、と思うのは、人斬りの血が疼くからだ。沢山殺せば殺すだけ、褒めてもらえる、と山崎は思っている。
 人の気配のないことに軽く落胆して、髪へ刺していたヘアピンを抜き取り鍵穴へ差し込んだ。形を変形させてあるそれを器用に使い指先をわずかに動かせば、カシャン、と鍵の回る音がする。
 もう一度慎重に中の気配を窺ってから、扉を勢いよく蹴り開けた。

「……わーお」
「どんなもんだ」
「すげーですよ。爆弾っぽいのもあるし……これバズーカかな。あと刀っスね。……いいなぁ、これ俺欲しいなあ。貰えませんかね?」
「無理だろ」
「ですよね。あ、これもいいな。俺脇差新調したかったんですよねー」
 積み上げられたテロ用の武器を物色する山崎の背に、土方の蹴りが入った。あいてっ、と言う間に頭を殴られ、舌を噛みそうになる。
「さっさとしろ」
「はーい」
 山崎は殴られた頭をさすりつつ、着物の袖部分から小さなカメラを取り出した。角度を変えて何枚か写真を撮っていく姿を、土方はつまらなさそうに見つめている。
「終わりました」
「ご苦労」
 ぴ、と敬礼して報告すれば、土方は一つかるく頷いてさっさと踵を返してしまった。一個や二個盗んでもバレやしないんじゃないかなあとか、これこのまま隊に流れてくれたらいいのになあ、とか、名残惜しく武器の山を振り返りながら歩く山崎に、さっさとしろ、と厳しい声が飛ぶ。
「ねえ、こんなだったら、俺ひとりでもよかったですね」
「何が」
「土方さんのお手を煩わせなくても。証拠押さえるだけだったら、俺ひとりでできたかなぁって」
 距離が開きすぎないように駆け足で土方を追いかけながら言えば、
「馬鹿か」
 と小さく笑われた。
「お前ひとりでこんなとこにやって、死んじまったらどうするよ」
 言いながら、土方の足が転がったままの死骸を蹴る。
 固まりかけている血が、にちゃ、とアスファルトに伸びた。

「……俺が死んだら、困ります?」
 山崎の足がぴたりと止まる。
 その気配を感じ取った土方が怪訝そうに振り返り、それから、ひどく困ったような顔をした。
「そんな顔するなよ」
 言って、立ち止まってしまった山崎へ土方が近づく。
 手を伸ばして、山崎の顔についたままになっている返り血を指でぐいと拭った。
「……そんなこと言うなら、優しくしないでくださいよ」
 ふ、と笑った山崎に、土方は一瞬苦しそうな顔をして、触れていたその手を離す。
 山崎から目を逸らして、
「仕方ねェだろ。俺は、おめえが大事なんだ」
 苦い声を、出した。

――――――殺してやりたい、なあ!)

 でなければそんなことを言う口を塞いでしまいたい。呼吸まで奪ってしまいたい。心臓の鼓動が全部自分のものになればいいのに。
 少しも叶う可能性のないことを山崎は考える。それは、万に一つも可能性のない、山崎の妄想の外側には出ない、悲しいくらいに存在価値のない願いだ。

「間違わないでくださいね、副長」
 わざと冷たい声を出せば、土方は視線を逸らしたまま眉を寄せる。
「アンタが命を懸けてるのは局長です。アンタが大切に可愛がってるのは沖田さんです。アンタが愛してるのは、」
 土方がぱっと山崎を見て、厳しい顔をした。その先は言うな、ということだとは分かっていたけれど、聞いてやらない。聞いてやれない。
「死んでしまった、あの人でしょう」
 土方が、絶望したような顔をした。
 こんな顔をこの人にさせることができるのは、もしかしたら自分だけじゃないかと山崎は心の中で小さく笑う。
「俺のことを、大事だなんて言わないで。大切だなんて勘違いを、しないでください。俺はあなたの物ですが、あなたは俺のものじゃあ、ないのです。そうでしょう?」
 勘違いを、させないでください。
 そう言った山崎を土方はじっと見つめて、その右手がぴくりと動いた。刀を握ろうとしたのか、それとも、もしかしたら山崎を抱きしめようとしたのかも知れない。
 そのどちらも、山崎にとっては同じことだ。殺してやろうと思うほど心を動かすことが出来るだなんて、抱きしめようかと思うほどあなたの心が動くだなんて、勘違いをさせないで。これ以上好きになったら、自分はきっと、気持ちに溺れて死んでしまう。
 黙ったまま自分を見つめる土方に、山崎は笑ってみせる。凍った空気を溶かすように、なるべく緩い笑みを作る。


「大丈夫ですよ。あなたが殺さない限り、俺は死にません。あなたを置いては行きません。俺が死ぬのは、あなたが俺を殺すときと、」
 あなたが死んだときですよ。


 土方はその言葉にさっと顔を背けて、何も言わないまま山崎に背を向け足早に歩き出した。山崎はそれを追うように、土方の右後ろにつく。
 土方はそれを確認するように小さく振り返り、再び前を向いて、一つ舌打ちをした。

「そんな顔すんなって、言ってんだろ」
「……それくらい、許してくださいよ」

(だって俺はアンタが好きだ)

 真っ黒い背中を見つめながら、山崎は祈るような熱心さで思っている。
 きっと今の自分は、恋しくて恋しくて恋しくて仕方がないとでも言うような、ひどい顔をしているに違いない。

(俺はアンタが好きだけど、アンタは俺のものにはならない。なってはいけない。愛してくれないなら、そんなものいらない)
 その代わり、ずっと道具として所有してくれればいい。
 生死の許可を出すくらい、芯から所有してくれればいい。

(あなたに殺されるか、あなたの最期を看取って死ぬか。それが、)

 自分の愛だと言ったらやはり馬鹿にされるだろうか。
 最後のときに見る好きな人の顔は、死に顔でも人殺しの顔でも、きっと、恐ろしいくらいに美しいだろう。

      (09.01.09)




「土山」で「山崎片思いの切ない話」のリベンジ編ですが切ないをどっかに置いてき忘れて暗いだけの話になりました。普段SSSで書いているようなもので、自分では結構気に入っているのでおまけ的に載せておきたいと思います。もったいない主義。