こんなことしたって何がどうなるわけでもねェけどな。苦い顔をしながら、沖田は土方から渡された資料をぱらぱらと捲った。
高杉晋助。資料の見出しにはそう書かれている。閉じられた枚数はほんの数枚。羅列されている文章の中に真選組にとって有益な情報はほとんどなく、添付されている写真は遠くから隠し撮られた荒いものだ。
(こんなことしたって、何がどうなるわけでもねェけど)
探し出して斬り殺せるわけでなし。そもそも、自分がこんな気持ちでこんな資料を眺めていることだって、正しいのかどうかわからない。
(写真が荒くて分かんねえな……)
羅列された情報のほとんどは、高杉が今まで起してきた事件の概要だった。辻斬りの先導、幕吏の殺害、幕府要人の暗殺未遂。これだけで十分、沖田にとっては刀を向ける理由になる。
本来ならば。
「沖田さん、何してるんですか?」
音もなく滑らかに襖が開いて、山崎がひょいと顔を出した。資料を眺めていた沖田は驚き、びくりと肩を揺らす。その様子に怪訝そうな顔をした山崎が、肩の後ろから沖田の手元を覗き込んだ。
「攘夷志士の資料?」
珍しいですね、と言いながら、山崎の目が書類の文字を追う。
「……別に、珍しくねェよ」
「えー。普段あんま資料に目通さないくせにー」
沖田の肩に顎を乗せ、後ろから緩く抱きつくようにして山崎が笑う。
ああこれは山崎が手紙を書いていた時の、ちょうど逆だな、と沖田が緩く目を閉じる。
何の資料ですか? と山崎の指が後ろから伸びて、ぺらと勝手に紙を捲った。
沖田は体を強張らせながら薄く眼をあける。山崎の指が紙を捲って、高杉の名と写真が露わになる。山崎の指が少しでも震えないか、と沖田は見つめる。その顔色が少しでも変わらないか、と、そっと視線を動かす。
けれど山崎は、指を震わせることも顔色を変えることも体を緊張させることもなく、なーんだ、と拍子抜けしたような声をあげた。
「沖田さん、これだいぶ前に配られませんでした?」
「知らね」
「隊長格には配られたはずですよ。なくしちゃったんですか?」
しっかりしてくださいよ、と苦笑して、山崎の指が資料から離れる。
今更何でこんなもの? と言いながら、甘えるように山崎が沖田に体重をかける。どこにどう気を使っているのか、髪からふわりと甘い香りがした。
甘えて、安心しきって、信頼しきったような、そんな体重のかけ方をする。
甘い匂いがしてあたたかくて呼吸が聞こえる。
沖田の腕なら、多分今すぐ山崎を殺せた。これが敵ならすぐに殺せた。その必要があったなら躊躇わずそうした。沖田の信じる者を裏切るものなら、今すぐ殺すのが正しかった。
自分の首の前に回された腕をきつく握る。
「沖田さん?」
「ん?」
「顔色悪いですよ。大丈夫ですか?」
「うん……」
沖田さん? と、山崎が声をかける。声音が芯から心配そうだ。
これがもしも嘘ならば、沖田はもう、何も信じられない。
(……どうせ、あん時山崎と会ってた奴の顔だって、覚えてねェし)
何かの間違いかも、知れないし。
「やめた」
言って、沖田は持っていた資料を畳の上に無造作に放った。山崎が少し驚いたような声を上げる。
「沖田さん?」
「やめたよ、俺ァ、もともとそんな、仕事熱心な方じゃねえもの」
体重をかけてくる山崎に、逆にもたれかかるようにする。下から顔を覗き込むようにしてにい、と笑えば、山崎が困ったような笑みを浮かべた。
「何言ってんですか。人一倍正義感が強いくせに」
「正義感が強いわけじゃねえよ。納得できないことが嫌なだけでィ」
いい匂いのする髪を指先でつまんで軽く引っ張る。山崎が笑いながらその指をからめ取る。
「高杉晋助の存在は、納得できなくないんですか?」
からかうように山崎が言った。
沖田の喉が、ひゅう、と変な音を立てた。
(確かにこの名前だったな、こいつがあんとき、呼んだのは)
大切そうに、呼んだのは。
「……納得できねェよ」
震える声で沖田が言う。絡んだ指を繋ぎなおして、きつく力を込めた。
山崎が少し眉根を寄せて心配そうな顔をする。
「沖田さん? 大丈夫ですか?」
「……納得できなくても、俺ァ手をださねえ。もう決めた」
「何で?」
「だって、」
背中にぴたりとくっついた山崎のぬくもりが心地いい。このまま時間が止まればいいのになァ、と夢を見るほどだ。
握った手があたたかい。甘い香りがする。
これは、自分が幸せにしてやりたいと、心から願ったものだ。
「……だって俺は、私怨を晴らすために刀振るうのは好きじゃねえもの」
そんなの負けるの分かり切ってるから、やんねえよ。
沖田は言って笑って見せる。握った手に力を込める。それが少し、震えているのに山崎は気付いているだろうか?
沖田をじっと見つめた山崎が、少し唇を震わせた。一瞬悲しそうな顔をして、それから、ゆっくりと唇を開く。
何かを言いかけるように二度ほど唇をわななかせ、一度唇を噛み、それから山崎は何事もなかったかのように、いつも通り、何を考えているのかわからないへらへらとした笑みを浮かべた。
「今日の沖田さん、ちょっと変ですよ。やっぱ気分でも悪いんじゃあないですか?」
看病してあげましょうか。ふざけたように山崎が言う。
合わせるように、沖田も緩い笑みを浮かべた。
「うん、看病して。そんでずっと、傍にいてくれよ」
お願いだから。
握った手に力を込める。山崎の手が少し震えているようなのは、気のせいだったらいいのにな。
(もし全部が嘘なら、お願いだから一生吐き続けて。できることなら、どうか、このまま、)
10000hitリクではありませんが、「うそつき」の続きを、というお話頂いて嬉しかったので続きです。でも別に何がどう進展したということもなく、沖田さんがぐるぐるしてるだけになりました。
続きをみたい、と言っていただけてすごく嬉しかったです。こんな感じになりましたが、気に入って頂けたら嬉しいです。