この部屋はいつも薄暗い。
 一応世間的には日陰の身であるので、まあそれもいいだろうと思っている。
 もともと明るいのもそう好きではないし、何より、雰囲気がいい。高杉はそういうのを重要視する質だ。
 けれど、明るい日の下で、もっと空気のきれいな場所で、会うのもたまにはいいだろう、と少し頭のおかしいようなことを思ってしまったので、思いついたそばからその準備をした。そういうのもたまにはいいだろう。高杉は雰囲気を重要視するのだ。
 言えば多分嫌そうな顔をされるだろう、と予想していた。
 そしてそれがちっともはずれなかったので、いっそ笑い出しそうだ。

「攘夷活動ってのにはお金が莫大かかると俺は思ってたんだけどもしかしてそれは勘違いなのかな、お金がなくてもできるもんなのかな、俺なんて刀の一つ新調するのにも結構悩んだりするのに、テロリストって武器とかそういうのいっぱいいるんじゃないの、そうでなくてもニートみたいなもんだから生きていくためのお金がいるんじゃないの、それともアレか金脈とか持ってんのか」

 畳に広げられた着物を見ながら、山崎はぶつぶつと何か文句を言っている。うんざりしたような暗い顔で、虚ろな目だ。
「不満そうだな」
 けけ、と笑ってやれば、山崎は虚ろな目のまま高杉へ顔を向け、嫌そうに顔を顰めた。
「不満っつーか……」
「何だよ」
「俺の見間違えでなければこれは女物だと思うのですが高杉さん」
 見間違いではない。その通りだ。色合いも柄もさして派手なものではなく、一緒に用意された帯や飾りも目を惹くような華やかさはない。
「しかも、ものすごい高い」
 それもやはり、間違いではない。一見して分かる華やかさはないが、深い色合いと細かな刺繍は丁寧に仕上げられた職人の技だし、何より、
「ああ。お前によく似合う」
 低い声で高杉が囁くように言ったのはわざとだが、それで山崎の顔が瞬間赤くなったのは、なかなか高杉を楽しくさせた。
「いいから着てみろよ、ほら」
 着物から少し距離を取るように移動した山崎に構わず、高杉はその着物を手にとって広げてみせる。良い肌触りと光沢だ。黒く短い髪によく映える。肌を白くし、色づければ、美しい芸術品が出来上がるだろう。
 人の目を殊更惹かず、けれど、一度見れば目が離せなくなるような。
 来い、と手招く高杉に、山崎は大きく首を振る。何でだよ、と少し不機嫌そうな声を出せば、だって、と怒ったような声が返った。
「だって俺が何でそんなの着なきゃいけないのか意味わかんない。女の人を傍に置いておきたいんなら、本当に女の人呼べばいいじゃん」
「何だ、嫉妬か」
「ちっげーよ! 馬鹿!」
「別にどうでもいいだろ、女物でも男物でも」
「よくねーよ全然よくねーよマジ意味わかんないんですけど誰も彼もが自分みたいに派手好きだと思ってんじゃねーよ俺は別にこんなんで着飾ったりしたくないしっつーかそもそも男だっつーの!」
  怒りか羞恥か顔を真っ赤にした山崎が唾を飛ばす勢いでまくし立てるのを黙って聞いていた高杉は、小さく笑い、それから着物を手にして立ち上がった。逃げようとする山崎の背後に回り、その肩に有無を言わさず着物を引っ掛ける。
「だから……!」
「今日はえらく、口ぎたねえんだな」
 耳元で囁くようにして、その顔を後ろへ向かせる。
 触れた頬が熱い。睨むような視線を寄越す山崎に、どうしても高杉は笑ってしまう。
 こんな感情的なところは、あまり見たことがない。
「別に女扱いしてるわけじゃねェよ」
 高杉の言葉に山崎は、別にどうでもいいです、と拗ねたように目を逸らした。
 その唇に、そのままそっとくちづける。
 小さく山崎の肩が揺れるが、高価だと分かっている着物を無理矢理振り落とせないのは性分なのだろう。着物が落ちないように大人しくしている様が面白い。
「……たまには俺だって外に出たい。が、一人で出てもつまらねえからお前を連れて出てやる。男二人が連れ立って歩いたら多少なりとも目立つかも知れねえ。俺はそれでも構わねえが、お前がどうせ困るんだろう。だったらお前だとわからねえように、うんときれいに化けさせてやる」
 唇を少し離しただけの距離で囁けば、山崎が閉じていた瞼をうっすらと開ける。
「外に出るの?」
「ああ」
「ふたりで?」
「ああ」
「それは……」
 困る、という風に山崎は睫を伏せた。瞬きのたびにぱちりと動くそれを、高杉は近い距離でしばらく見つめ、そしてそこに唇を落とす。
「だからこれを着ればいいじゃねえか。嘘を吐くのは得意だろう?」
 囁く言葉に山崎は一度肩を震わせ、それからそっと視線を上げた。
「今回だけ、だからね」
 呆れたような、機嫌を少し損ねたままの声に、高杉は小さく笑った。






 完璧に着付けられたそれは、高杉の予想通り、山崎の姿によく映えた。
 髪は軽く横にまとめ、小さな飾りをそっと刺す。
 露になった首筋の白さは、高杉が満足げに口角を上げるほど美しかった。
 そして今、山崎は高杉の前に正座して、大人しく目を閉じている。
 時折、その睫がぴくりと動く。肌を滑る筆先がきっとくすぐったいのだ。けれど高杉はそれに構わず、手馴れた様子で筆を動かしていく。
 細かい粒子を筆先につけ、濃い色から薄い色へ、瞼の際から滲ませるように色を乗せ、少しずつ色を調節していく。
 続けて淡い紅色を乗せた筆先を唇に乗せられて、さすがに山崎が口を開いた。
「ねえ」
「何だ」
「自分で、出来るんですけど……」
「おめえの化粧は下手糞なんだよ」
「ひど、……じゃなくて、これやだ」
「やだ、じゃねえよ。黙ってろ」
 どんどん下を向いていく山崎の顔を、高杉は指先一つでくい、と持ち上げる。
 山崎の目元が赤く染まっているのは、高杉のはたいた粉のせいではない。
 紅色を含ませた筆をそっと口紅に乗せなおし、高杉の腕がゆっくりと動く。ひとつの絵を仕上げているような動きだ。迷いがなく、腕の動きさえ美しく、壊れ物を扱っているような繊細さで。
 いつもより濃い睫の影を頬に落とし、色づけられた山崎を見て、高杉は目を細めた。その唇から筆を放し、顎に添えていた手もはずしてやる。
「出来たぞ」
 声をかければ山崎の睫がそうっと持ち上がった。
 その仕草が完璧すぎて、高杉は思わず視線をさまよわせる。
「……おしまい?」
「ああ」
「鏡、見たい」
「ああ」
 置いていた鏡を手渡してやると、山崎は鏡を覗き込んで、わあ、と小さく感嘆の声を上げた。
「すごい。これ趣味?」
「さあな」
 自分の雰囲気の変わりようにすっかり機嫌を直してしまったのか、山崎がはしゃいだように言う。あしらうように笑って答えれば、すごいよこれ、と素直な賞賛が返された。

 形を整えきれいに描かれた眉毛。
 少し白く塗られた肌に、染めるように色づけられた頬。
 睫は黒く、長く、濃い影を頬に作り、目元を明るくする色は着物の帯と同じ色だ。金が混じっていて僅かにきらめく。
 艶やかに色づけされた唇は、山崎の少し厚めの唇を強調し、確かな色香を放っている。
 空気のあまりよくはない、日の真っ直ぐと差し込むことのない、陰鬱な部屋で見るその姿に、高杉は眩しげに目を細めたまま、そっと溜息を飲み込んだ。


 外に出すのが惜しくなった。
 太陽の下に晒してしまえば、消えてなくなるような気さえして。


 手を伸ばし、手首を掴む。袖から零れているそれは女のように見えるのに、掴んでみればそれ程の細さはない。
 不思議そうに高杉を見上げる山崎へ視線を向けながら、高杉はその手首をぐい、と引っ張った。座ったままでいた高杉に倒れこむような形になり、その手からごとりと鏡が落ちる。
「ちょっと……!」
 高く上がった抗議の声を封じるかのように唇を合わせた。
 いつもの乾いた感触よりも、少し湿ったような感じがする。
 突然のことに身じろぎをする山崎を押さえ込むように、体に回した腕に力を込めた。
 着物が乱れ、しゅる、と衣擦れの音がする。
 そっと唇を離せば、化粧のせいだけではなく頬を上気させ、目元を赤くさせた山崎が、怒ったような顔で高杉を見上げた。
「いきなり、何」
 突然唇を塞がれたせいで呼吸が乱れている。
 折角美しく塗った口紅が、少しよれてしまっている。
 ああそうか、と高杉が自分の唇を触れば、山崎に確かに塗ったはずの紅が、その指に付着した。

 どうせなら殊更美しく飾り立ててやろう、と思ったのは、面白そうだと思ったのがまず一つと、そして、美しいのを連れて歩けば自分から注意が逸れるだろう、というのがもう一つだった。
 高杉の素性がばれれば、いくら変装をしていても山崎は確実に目を付けられるだろう。だったら最初から、一緒に歩く男になど注意を向けさせなければいい。
 取り立てては目立たぬように。けれど、一度見てしまえば、決して目を離せないように。その隣に誰がいたか、どこでどうして歩いていたか、夢見心地で思い出せないように。
 どうせならそれくらいにしてやろう、と思った。
 けれどこれは。

「……外に、出ないの?」
 折角こんな格好してあげたのに、と少し不満そうな声。
 肌と髪と顔立ちによく映える美しい着物を身にまとい、色をつけ、髪を結い、美しく装ったこれは。
 これを作ったのが自分だと、色づけたのが自分だと思えば、それだけで呼吸が止まるほどだ。
「晋助さん?」
「……ふざけんなよ、テメェ」
「え、何が、」
 困惑する山崎を再び腕の中に抱きしめた。
 不自然な姿勢でそうされた山崎は、逃れようと小さく暴れる。
 体格はそんなに変わらないのだから本気になれば逃げ出せるだろうのに、その抵抗はどこまでも弱々しい。まるで本当の女のようだ。
 こんなときにわざわざ名前で呼ぶ、それだってまるで女のようだ。
 首筋に顔を埋めるようにすれば、山崎の体が緊張で強張る。甘えるように顔を摺り寄せれば、山崎の腕がそっと高杉の背に回った。
 帯が少し邪魔なので、力の限りは抱きしめられない。
 結った髪が気にかかって、頭を強くはかき抱けない。
 けれどそれでいいのだ。
 今これは女なのだから。
 そう高杉は自分に言い聞かせている。
「……もうお前、このまま、」
 ここにいろよ、とは、それでも、言えなかった。
 口にはできなかった。
 けれど山崎は聡いので、高杉の抱いてきた多くの女のように鈍くはないので、何? と続きを聞いたりはしなかった。続きをねだったりしなかった。
 ただ少し悲しそうに笑って、それが高杉の耳の傍で空気を揺らした。

 か弱い女のように家の中に閉じ込めて、家の中だけで崇めたてて、それができるのなら、いくらだってそうしたかった。
 山崎を色づけた甘い、女の香りが、高杉の心を少しずつ弱くさせていく。少しずつ、頭の隅から痺れさせていく。
 このままずうっと。自分のためだけに色づくのなら。

 抱きしめていた腕を緩めて、頬に手を添えた。顔を覗き込むようにして、それから、見せ付けるようにゆっくりと唇を奪った。
 山崎は拒まない。抵抗をやめてしまっている。けれど少し戸惑っている。伏せた睫が震えている。瞼がぴくりと動く、そのたびに、薄く差し込んだ日の光が、きらりと金に反射した。
 唇をあわせたまま、抱きしめた腕に力を込めた。
 山崎の背が少し反って、苦しそうな吐息が漏れる。

 高杉は少し後悔している。こうして色づけてしまったことを、少しだけ後悔している。
 けれどそもそも、外で会いたいだなんてそんな欲求が、間違っているのだから、そんな後悔も今更のことだ。


 ならばいっそ惑わされたまま、このまま深く呼吸を奪って、標本箱に飾ってしまえ。

      (09.01.21)




「高山で女装山崎」という心踊るリクエストで書かせて頂きました。……が、ぐだぐだになった気がする。ごめんなさい。
わたしはどうも、「山崎が他の人の手によって色づけられる」というのが大好きなようです。似たようなシチュエーションが3回目のような気がします。紅をさす山崎が大好きです。
わたしの嗜好は置いておいて、高山は高杉がどこまでもロマンチストで、山崎の方がちょっと理性的だったらいいと思います。高杉さんは山崎にメロメロで、それを必死にコントロールしようと思っているわけですが、山崎は最初から少し理性的な部分を残して高杉さんを好きでいるわけです。けれど好きなので、理性が反対しても拒めなかったりするわけです。わかりづらい。
……説明不要なものが書けるよう精進します。素敵なリクエストありがとうございました!