しゅる、という衣擦れの音と、くすくすと小さく押し殺した忍び笑いだけが薄暗い部屋に響いている。
形ばかりの窓から僅かに差し込む光は、室内の埃をきらきらと照らして、一種幻想的な空気を作り上げている。
だからそれに酔っているのだ。きっとそうに違いない。
響く衣擦れの音も、小さく押し殺した笑い声も、どちらとも山崎のものだ。紫色の着物の裾から、女のように白い足が大胆に覗いていて、高杉の足を絡め取るようにしている。畳に散った黒髪こそ本来の短さだったが、それ以外は、指先から爪先まで、女だと十分に偽れるような色香を放っていた。
もちろん、わざとそうしている。
その体を押さえ込み、上に圧し掛かるような形になった高杉は、右手に持った細い筆に色を乗せ、楽しげに山崎の表情を色づけていく。
瞼に光を乗せ、睫に影を乗せ、頬には恥じらいを滲ませ、目元には憂いをはたく。
絵を仕上げていくような繊細さと大胆さで動く筆に、山崎は忍び笑いを零した。
「くすぐったい」
笑い混じりに言って顔を背けようとするのを、高杉の手がそっと押さえる。
「動くなよ」
「だって」
笑い混じりで交わされるそれは睦言に響きを持っている。やんわりと顎を支えられ、山崎はさしたる抵抗をすることもなく、ほう、と小さく息を吐いた。緩く目を閉じて、皮膚の上を滑る筆の感触を楽しむ。優しく、壊れ物を扱うように丁寧に色づけられていく自分は、高杉の目にどんな風に映っているのだろう。
少しでも楽しんでくれればいいな、と思っている。
酔うときにはとことん酔ってみせるのが信条だ。片方だけが素面では、興ざめしてしまうから。
「目、開けて」
いつになく、優しく囁くような声だ。
それに少し口元を緩めて、言われた通りに瞼を持ち上げる。右目を細めた高杉の視線に射抜かれて、少しばかり息が止まった。
「上出来だ」
満足そうな声に、山崎はほっとして小さく笑った。自分を見下ろす高杉に手を伸ばして、その頬をゆっくりと撫でる。
「きれい?」
「ああ」
山崎の手をやんわりと掴んで、高杉がその指先にくちづけた。見せ付けるように視線だけ寄越されるので、山崎はうっとりと笑んでやる。高杉の唇を指先で撫でるように動かせば、にやりと笑った高杉がその指先を口内に含んだ。
舌を動かし丹念に唾液を絡められ、山崎が体を強張らせる。
「ん、……」
声を漏らし眉根を寄せた山崎に小さく笑った高杉は、そっとその指を口内から引き抜いた。つ、と引いた透明な糸がふつりと切れるのを、山崎は恍惚の表情で見つめている。
「どうした?」
からかうような目で山崎を見下ろし、その頬を優しく撫でる高杉に山崎はひとつ笑みを向け、それから、高杉の唾液が絡んだ己の指をそっと自分の口内へ招き入れた。 ぴちゃ、という水音をわざと響かせるようにして、唾液を舐め取る様を見せ付ける。
「……今日はえらく、大胆なんだな」
低く笑った高杉は、指を舐めてみせる山崎から視線を逸らさず、その露になった太ももへ手を伸ばした。緩く撫ぜれば、山崎が少し体を揺らす。
「だって……」
零れた唾液で光る唇は、紅色に塗られていて常の山崎とは思えない。
ほんのりと染まった目元の赤は、高杉のはたいた粉のせいだけではあるまい。
「だって?」
足を撫でる手は止めず、殊更優しく聞いてやる。山崎はうっとりとした様子で笑みを浮かべ、だって、ともう一度言った。いつもと違って少し、舌足らずだ。甘えるような声をしている。
「今の俺は女で、その上、アンタのおもちゃでしょう」
ふふ、とその唇から笑みを零して、
「だから何に憚ることもないって、言ったのは、アンタじゃん」
言って、山崎は緩く目を閉じる。
長く伸ばされた睫が、窓から差し込む僅かな光で頬に影を落としている。
これはひどい遊びだな、と高杉は苦笑して、足を撫でていた手をそっと着物の内側へ滑り込ませた。隠れている太ももの内側を撫でれば、山崎が堪えようともせず甘い吐息を零す。
「……ぁ、…や、だめ」
しかし、そのまま中心へ向かおうとする手を、山崎はやんわりと止めた。
「何だよ」
「魔法が溶けちゃうよ」
謎かけのようなことを言って、山崎が閉じていた目をゆっくりと開く。
その目には薄く涙の膜が張っている。
「……だってこれは、魔法でしょう」
女でもないのに女の格好をして。アンタの手で美しく装わされて。女の振りで、それを理由に、こうして体を預けるのは。
それは魔法なんでしょう。
囁くようにそう言って、山崎は再び目を閉じた。
その睫に涙の雫が乗っている。
「だから、だめ」
ひどい遊びだ、と高杉は、今度は口に出していった。
それを聞いて山崎はおかしそうに少し笑う。
「今更でしょう?」
こうして、薄暗い部屋で二人で会っているのも。
まるで外の世界のことは何も知らない振りで傍にいるのも。
他の何を捨てられもしないのに、愛を囁いて見せるのも。
ひどいのは今更だ。
うんざりする程腐っていて、意味がないことだ。
「それも、そうだな」
足を撫でていた手を離し、代わりにその手で細い手首をやんわり掴んだ。
畳に縫い付けるようにすれば、薄く目をあけた山崎が、僅かに口角を上げる。
ひどいことついでに、とでも言うようにいたずらな光をその目に浮かべて、その唇がゆっくりと
「すき」
と動いた。
まったくひどい遊びなのだ。
高杉はその唇にくちづけを与えながら、嘘のような薄っぺらさで、愛している、と呪文を唱えた。
「高山で山崎女装」のリクエストに対して2つ目。1つ目書いた後に畳に山崎を押し倒していちゃいちゃという高杉さんが光臨したのでやりました。勿体無いので。
これが誘い受けというのだろうか。大人っぽさを追及しましたが撃沈しました。楽しかったです。