寝起きの視界に散らばるのは、紅、黄、桃、金、そして白。
土方は起こしたばかりの体を再度布団に沈ませたい衝動と戦いながら、その光景を見渡した。
見覚えのある、紛れもなく自分の部屋だ。起き抜けに傍に人の気配があることも、まあ珍しいことではない。
ただ、なんと言うか。土方は鈍い頭痛のする頭を押さえて、重い溜息を吐いた。
畳の上に落とされた帯。それを解いた記憶がまったくない。というか、こんな格好の恋人を部屋に招いた記憶もない。
土方は、安心しきったように眠りこけている山崎を見下ろし、再度大きく溜息を吐いた。
色鮮やかな着物が寝乱れて大胆に肌蹴ている。その下から覗く肌が、着物の紅と相まっていつも以上に白く見える。すやすやと完全に眠っている寝顔を色取っている化粧が、少し崩れているのが、何やら妙に生々しい。
別に女装を見るのがはじめてというわけではない。
宿に連れ込みどうこうするために、女装を強要することだってあった。
けれど、土方は過去、一度足りとも女の装いをしたままの山崎を抱いたことがない。
それを望めば山崎が傷つくだろうと、何となく思っていた。そんなことで勘違いされるのは本意ではないし、どうしても女装でなければいけないということなど、何一つとしてありはしないので、普段はきちんと化粧を落とさせ着物を脱がせ、本来の姿に戻してから手を出すようにしていた。
それは結局、土方の自己満足だろう。けれど、自分を受け入れることで山崎の心に刻まれていくだろう傷口を、最小限に留めておきたかったのだ。
それが。
何が一体どうしてこうなった。
昨晩は、遅い時間まで仕事をしてそのまま疲れて眠った記憶しかない。深夜になって山崎を呼んだ記憶もなければ、山崎が訪ねてきた記憶もない。というか、昨日の夕方辺りから姿を見ていないのではなかったか? だったらこれは、何なんだ。
中途半端に脱げた着物を足に、腕に絡ませて眠っている山崎は、土方の低い唸りに気づきもしない。
「……山崎」
声をかける。次いで、肩を軽く揺すってやれば、山崎の睫がぴくりと動いた。
「山崎、おい」
強めに呼びかければ、一度震えた睫がゆっくりと持ち上がる。
焦点の定まらない目でぼんやりと土方を見、三度ゆっくり瞬きをしてから、山崎は「おはようございます」と回らない舌でのんびり答えた。
うう、と小さく唸りながら丸まろうとするので、その腕を押さえて動きを阻む。
嫌そうに顔を顰めた山崎が、なんなんですかぁ、と文句を言った。
「何なんですか、じゃねーよ、こっちのセリフだ馬鹿。お前、そんな格好で何してやがる」
二度寝しようとする山崎の額を小さく叩いて土方が少し厳しい声を出す。
もしこれで、自分が酒にでも酔って山崎を連れ込み女装させた上で犯したのだとしたら、という不安が、土方の胸に小さくよぎる。
「……なに、って」
何が? というような目で山崎は土方を見上げ、それから何かを思い出したように、ああ、と納得したような声を出した。目が、ぼんやりとしている。へらりと笑った山崎はそのまま腕を伸ばして、土方の頬に指を滑らせた。
「昨日、聞き込み言ってて……これで」
「またか」
「またか、って、あんたの言った仕事ですよ……」
山崎が苦笑して、頬を撫でていた指を土方の耳へ滑らす。
「帰ってきたのが……わりと夜中、かな。もうみんな寝てて……俺もすげー眠たかったんですけど、」
耳を擽るようにしていた指が、そのまま首筋をするっと撫でる。肩を揺らした土方に小さく笑って、山崎は両腕を土方の首に絡めた。
土方は山崎の好きにさせ、体を山崎へと寄せることで応える。
「おっさんたちの相手ばっかしてたら、土方さんの顔が見たくなって、顔だけ、見ようと思って来たんですけど、顔見たら触りたいなぁって……触ったら、」
ぐ、と首に絡んだ腕に力が込められた。土方が顔を寄せてやれば、山崎が笑んだまま目を伏せる。髪を梳きながらくちづけてやれば、山崎の腕が少し震えた。
はげかかった口紅を舐め取るように舌を這わしてから、唇を離す。小さく声を上げた山崎は薄く目を開けて、機嫌良さそうに小さく笑った。
「触ったら?」
頬を撫でながら続きを促せば、山崎が再度のくちづけをねだるように目を伏せる。
「……離れられなくなっちゃった」
小さく呟かれた答えを聞き取ってから、土方はねだられるまま、唇をもう一度塞いでやった。
自分が無体を働いたのではなくてよかった、と土方は少し安心した。
舌を差込んでやれば、山崎が小さく体を震わせる。投げ出されていた足がそろりと動き、山崎を組み敷くようにしている土方の足に緩く絡まった。着物が布に擦れる音が高く響く。 このまま抱いてもいいのだろうか、という躊躇いが、土方の中で燻る。
女の装いをした山崎は、芯から女に見えるのだ。山崎なのだと分かっているが、その山崎自身が意図的に醸し出している女の気配に、土方は簡単に騙されてしまう。
女のように扱ってしまうだろう、と分かっている。
そうしたら、山崎は傷つくのではないか、と心配している。
どうしたものか、と悩みながらも、土方は雰囲気に流されるがまま山崎の腹部に手を這わせた。露になった肌を擽るように指を動かせば、土方の首に回っていた山崎の腕から力が抜ける。肩に縋りつくようになった手に、土方は唇を離して薄く笑んだ。
山崎の様子を細かく気遣いながら、白い肌に手を這わせていく。
震える胸元に唇を落とそうとしたその瞬間、土方の肩にかかっていた山崎の手にきつく力が籠った。
「う、わあ!」
突然叫んだ山崎が、土方を引き剥がすようにぐい、と押す。渋々それに従った土方を、山崎は驚いたように見つめて、それから小さく、「おはようございます」と言った。
「……なんだよ」
「いや、なんだよって言うか……すいません」
「だから、何が」
「いや、あの、えーと、おはようございます、すいません、俺昨日、この格好で外出てて、そんで、」
「それは聞いた」
不機嫌そうに体を起こす土方を焦ったような目で見て、山崎はもう一度、すいません、と小さく謝る。土方に合わせて体を起こし、はあ、と小さく息を吐いた。
寝ぼけてやがった、と土方が舌打ちをするのに山崎がびくっと肩を揺らし、それから何かに気づいたようにああ! と声を上げる。
「何だよ……」
「俺化粧! やっべ落とすの忘れてた! つーかすいません枕汚れてませんか? すいませ……ッ」
ゴッ、と鈍く響く音がして、土方に殴られた山崎はそのまま布団に沈み込む。
うるせェんだよ、と凄まれて、何度目かの「すいません」を呟く山崎は痛みで涙目だ。
うう、痛い……と蹲る山崎の姿を、土方は目を細めて見下ろす。
白い腕、白い足。乱れた着物は紅の波。
(何だこれは、アレだろ、据え膳だろ)
だったら食わぬは男の恥だな、ていうかそもそも誘ったのはコイツだ、と土方は自分に頷いて、倒れこんだままの山崎の横に手を付いた。
驚き見上げる山崎を、先ほどと同じように組み敷いて、額に軽くくちづけてやる。
「ふ、ふ、ふくちょう?」
「お前、今日仕事は?」
「え、あ……休み、ですけど……」
「じゃあいいな」
露になった肌に、先ほどと同じように掌を滑らせた土方に山崎が目を見開いて、焦ったような声を出す。
「いやいやいやいや何がだ! 何がいいんだよ! ちょ、ねえ副長、俺さっき寝たばっかで相当眠いんですすいません部屋帰って寝ていいですか!」
「よくねーよ」
「何でだ!」
「あれだろ、どうせ着物脱がなきゃなんねーんだろ。俺が脱がしてやる」
「いいです! いいです! 自分でやりま……っ、ん、」
逃げるように体を捩る山崎の腕を軽く押さえ、土方は顔を上げた。
震える吐息を繰り返し吐き出すその顔が、赤く染まっている。
突然攻めるのをやめた土方を見返す目が、不思議そうに瞬いた。山崎の体から力が抜ける。化粧が落ちて、目元が少し黒く滲んでいる。
違うんだよ、こんな格好をしてるから抱きたいんじゃあないんだ、と、言葉にして伝えるべきだろうか。
「お前が、」
土方の様子を窺うように軽く首を傾げる山崎に、唇を寄せる。
山崎は拒むことなく、少し顎を持ち上げるようにしてそれを受け入れた。土方さん? と名前を呼ぶ。
「お前が、本当に嫌なら、言えよ。やめっから」
この格好で抱かれることが嫌なら。女の代理のようだと思うなら。
そんな勘違いをして傷つくくらいなら、今すぐ拒め、と思いながら、土方は山崎の耳元で囁く。
ちゅ、と軽い音を立てるように耳朶へくちづければ、山崎の足がゆっくりと土方に絡んだ。
「……もう、朝ですよ」
躊躇うように搾り出す声が、震えている。
「みんな、起きてきちゃいますよ。どうするんですか……」
押さえていた腕を離せば、その腕は逃げるでなく、土方の背中にそっと回る。
紅色の袖が、白い布団に怪しく広がった。
「気になることは、それだけか?」
「それだけ、って」
「いいんだな?」
再度確認をした土方に、山崎は小さく溜息を吐いた。震える吐息を逃がすようだった。
「……あんた本当に馬鹿ですね。今更何を、気にしてるんですか」
どうせなら、うんと優しくしてください。
そう言いながら、山崎は土方の背中を抱く手に力を込める。
呆れたように笑う山崎を見下ろし、目を細めた土方は、殊更優しく、薄く色づいた唇を塞いだ。
「土山で女装山崎」というリクエストで書かせて頂きました。ものすごく楽しかった……。女装山崎大好きですみません。リクエストいただけてすごく嬉しかったです。
男なのに受け入れる側に回っている山崎のことを、実は土方さんはすごく気にしていたらいいなあ、と思いました。そして、山崎は土方さんが思うよりずっと土方さんのことが好きなので、そんなこと今更すぎてどうでもよかったらいいのにな、という妄想です。
女装は夢が膨らむな! 楽しかったです、ありがとうございました。