甘い物は昔から好きだったが、今よりずっと大人しかった。辛いものも苦いものも昔は食べていたような気がする。まずいものも臭いものも、食べれるものなら何だって口に入れた。そして吐いた。それでも食べた。でなければ生きられなかったからだ。戦場。そこを離れたら、食べ物はいくらだってあったろう。甘味も、好きなだけ食べれたろう。けれど、屍だけが累々と続く真ん中で、それでも、まずいものや臭いものだけ我慢して、食べた。離れることは逃げることだと思った。そういう矜持があった。
気づけば、手の中に抱えてしっかり守っていると思っていたものは全部零れ落ちていた。馬鹿だ。間抜けだ。まずいものや臭いものばかり食べていたので、痩せ細った指の隙間からさらさらと零れ落ちたのに気づかなかった。刀だけしっかりと握っていた。守るものがひとつもなくなった後でも、それは、手放せなかった。
昔の話だ。ずうっと昔の、もう、思い出しても随分と遠い、考えるだけ意味のない話だ。
指を動かすたびに、くすぐったいのか山崎が身を捩って、細い吐息を吐いた。
癖が強くて絡まりやすい銀の髪を、山崎の指が楽しそうに梳く。絡まりやすい髪なので、ときどきその指がひっかかって頭皮が軽く引っ張られる。痛いが、心地いい。痛いと少しでも言えばやめてしまいそうなので、銀時は黙ったまま山崎の肌を撫でている指の動きを再開した。
肌を、正確には傷を、ひとつひとつなぞるようにしていく。
白く引き攣れた様な、あるいは、すでに肌色になって少し皮膚が盛り上がっているだけの、傷の跡を、探し出して確かめるように指で辿った。
刀傷もあるし、銃弾で出来たような傷もある。
「見てて、楽しいもんじゃないでしょう?」
苦笑に近い笑い方を、山崎はして、銀時の髪を両手でふわふわと掻き混ぜた。
銀時は顔を上げ、山崎と視線を合わせる。嬉しそうに視線を細めた山崎は、「汚いばっかりですよ」と言った。
銀時は胸元に触れていた指を離し、両手で山崎の頬を包み込む。顔を近づければ、山崎は微笑んだままで目を閉じた。唇を啄ばみ、小さく濡れた音を響かせてやる。
「何で? きれいだよ」
頬を撫でながらそう言えば、薄く目を開いた山崎が、その掌に頬を摺り寄せるようにした。
「山崎が、自分の信じるもののために作った傷だろ?」
ちっとも汚くなんてねえよ。言って、銀時は再び胸元を辿るように指を動かす。心臓の辺りに触れて、どく、どく、と響く音を掌で聞いた。少し速くなった気がする。どくどくと響く、低い音。
「旦那」
「でも、山崎が気にすんならもう見ない。ごめんな」
笑ってみせれば、山崎が少し困ったように眉を下げた。銀時はその額に一度唇を落として、半分脱がせていた山崎の着物を丁寧に着せなおす。
緩くなってしまった帯を結びなおしてやれば、山崎の手が銀時の着物へ伸びた。
「しないんですか?」
きゅ、と緩く着物の襟元を掴んで、山崎が言う。
「ん?」
「……いや、何でもないです」
「して欲しい?」
「…………」
山崎は銀時の着物に縋るように指を引っ掛けたまま俯く。
その顔を覗き込むようにしてやれば、絡んだ視線に山崎が戸惑ったように瞬きの回数を多くして、乾いてしまったのだろう唇を赤い舌でちろりと舐めた。
「だって、あの……」
「うん」
促すように髪を撫でてやれば、山崎が目を伏せて指先に力を込める。
「俺が、あなたのためにできるのは、それくらいしかないですから」
震える声でそう言って、山崎は銀時と目を合わせた。
ぺち、と軽く頬を叩かれた山崎は、驚いたように目を見開いた。
「馬鹿」
少し厳しい声で言われて、山崎が眉を寄せる。
「何で? だって本当のことです」
「山崎くんはぁ、俺を何だと思ってんの? 色魔? 色魔なのか? お前な、自分のとこの上司を基準にするんじゃありません。頭バカになるよ」
ぐしゃぐしゃと髪を掻き混ぜれば、もつれた髪をひっぱられる形になった山崎が、小さく顔を顰めた。
「そばにいてくれたら、それでいいよ」
甘く、低く、囁くようにして、響かせるようにして言って、乱したばかりの山崎の髪を今度は優しく梳いてやる。
「俺はお前に何かさせるために好きって言ったんでも、そばにいてくれって言ったんでもねーよ。いてくれたら、それでいい」
な? と笑った銀時を山崎は見つめて、きゅっと唇を噛む。
着物に縋っていた手を離して腕を回し、山崎はそのまま銀時にきつく抱きついた。
山崎の温かい体温が腕の中いっぱいに広がる。胸元に額をこすり付けられて、銀時は宙に浮いた手を握ったり開いたり、した。
「好きです。好き、俺、旦那のことが好きです」
銀時の首筋に唇を触れさせながら繰り返した山崎は、次いで顔を離し、今度は首を伸ばすような仕草をする。
銀時が状況を把握するよりも半瞬前に、山崎の唇が銀時の唇にやわらかく押し当てられた。
「……俺、旦那のことが大好きです」
再びきつく抱きついた山崎の背に、銀時は手を回す。軽く腕に力を込めてやれば、山崎がますます強い力で銀時に縋りつくようにした。
腕に、めいっぱい力を込めてしまいたい衝動を、小さく舌打ちをすることで堪える。
「あのね、君ね、大人煽ってっと痛い目みるよ」
体を屈めて耳元で囁くように言ってやれば、小さく肩を揺らした山崎が、「……痛い目、見せてください」と、銀時の首筋に震える息を吐きかけた。
山崎の肩を掴んで引き剥がすようにする。驚く山崎を気遣わず、口を塞いで唇を緩く噛んでやる。「う……」と呻いた山崎の体を押し倒しながら開いた唇の隙間に舌を捻じ込み、唾液を流し込んでやれば山崎が苦しそうに声を漏らし、懸命にそれを嚥下した。
ゆっくり唇を離してやれば、唾液がぬ、と糸を引き、離れたそれが山崎の唇の上に落ちる。
舐め取るようにして舌を伸ばせば、山崎の手が銀時の袖を掴んで、「銀時さん、」と、普段聞かないような言葉が、濡れた唇から聞こえた。
本当は、自分の手で一度壊してしまってからひどく優しく扱って、それで離れられないようになってくれればいいのに、と醜いことを思っている。
袖に縋りつく手を離してやり、代わりに指を絡ませ繋いでやれば、山崎は少し顔を赤くして、嬉しそうに笑った。
ちゅ、と軽くキスを落とす。可愛らしい笑い声が、キスの合間に響く。
「痛い目は、また今度見せてやるわ」
「今日は?」
「今日はこれで我慢しなさい」
長く唇を押し当ててやれば、山崎の体からあっさり力が抜けた。
そんな無防備に、気持ち良さそうにしていたら、すぐに誰かに攫われてしまうよ。銀時の背中にぞくりとした何かが走る。
本当は、壊したくてたまらないのだ。めちゃくちゃに壊して、何もかも奪って、自分なしでは生きられないようにしてしまいたい。
肌に無数に散らばる、きれいな傷にだって嫉妬をしている。山崎も覚えていないだろう、その傷をつけた誰かを、見つけ出して殺してやりたい。
他の人間の名前を呼ばないようになって、他のことなど何も知らない、分からないようになって、自分のことしか分からないようになってそうして、生きていけばいいのに。
そういうどす黒いドロドロとした気持ちを、持て余しているだけだ。
優しい人、と山崎は思うだろう。
臆病者、と思うかも知れない。
けれど、汚いだけだ。醜いだけだ。どうしようもなく浅ましいだけ。
心臓の鼓動を確かめるように、絡めた指にきつく力を込めた。
首筋に鼻先を埋めれば、山崎が少し体を固くする。耳の辺りに唇を付けると、閉じ込められた体が少し震えたようだった。
とく、とく、と少し速く。
鼓動の音を唇で感じる。温かい。熱い。とくとくと、速くなるそれを、数えるように。
「山崎」
名前を呼ぶ。はい、という言葉と、銀時さん、という呼び声が返る。
嬉しい。愛しい。苦しい。
「山崎、」
鼻の奥がつんとしたので息を深く吸い込めば、自分のものとは違う体臭がした。やわらかく、あたたかい、清潔な香りだ。
暗い、黒い、どうしようもない、ドロドロとした気持ちを持て余しながら、それでも生きてそばにいてくれさえすればいい、と思っている。
腕の中に鼓動がある。それを感じることができる。それだけで幸せで、それがあるなら、もしもこれが、一生続いてくれさえするのなら、そのほかには何もいらないのだ。
伝えればきっと、何故と聞かれるだろう。
理由はおそらくこの先ずっと、教えてやれはしないだろうけど。
この世の地獄を知ってるよ。
沢山のものを失って、それでもまだお前のことを、性懲りもなく大事にしたいと思ってもいいかな。
紡いだ言葉は声にはならず、吐息になって空気に消えた。
山崎は「好きです」と、囁くように、夢みたいに、繰り返している。
「銀山で年上×年下」のリクエストで書かせて頂きました。銀山は甘く甘くどこまでも甘くが基本なのですが、こういうのも好きです。銀ちゃんはいろんなものを後悔していて、意図的に忘れて置き去りにすることでしか前を向けない、ものすごく弱い人なんじゃないか妄想。
リクエストありがとうございました!相変わらず手探りですが、銀山萌えしていただけたら嬉しいです。