2月半ばともなると3年の校舎にはまったくと言っていいほど人気がなくなる。授業は完全になくなって、週に一度の登校日にちょろっとだけ補習みたいなのを受ければそれでいいからだ。
その登校日である金曜日も、放課後ともなれば完全にみんな下校済み。塾なり図書館なりで勉強にいそしんでいるに違いない。
なので山崎はたった一人で、教室に残っていた。
広げていた参考書はさっきから少しも進まない。わからないのではなくて、解く気がないのだ。めんどうくさいというよりも上の空。30秒置きに時計を確認してしまうので、だめだもっと我慢しないといつまで経っても時間が進まない! と思って自重。次に時計をみたときに2分しか経っていなかったときの絶望と言ったら。
(あー……まだかなぁ……)
授業終わりのチャイムが鳴ってからもう結構な時間が経った気がする。
窓の外を伸び上がって見てみれば、後輩たちはすでに部活にいそしんでいた。ああもうほらやっぱり放課後じゃんいつ来るんだろう。
やまざきは両腕をだらんと机の上に投げ出して顔を伏せる。
いきなり呼び出したのはまずかったかも知れない。でも今日じゃないとしばらく会えないし。本当は明日会いたかったのだけれど、山崎はともかく相手の都合がつかないので諦めたのだ。
(ていうか都合が付かないって何だよ。空けといてくれたっていいじゃん)
何故その日に予定を入れるのか本当に意味が分からない。
彼女がいない友達と集まって悲しい会合を開くとか言ってたけど、お前彼女いるじゃんいや彼女じゃないけど! と言ってやりたい。どうせあれだろ、言ったら言ったで誰だとか紹介しろとか言われて、でも自分のことを紹介できるわけないからいないってことで話合わせてたら面子に入れられてたとかそういうことだろ。と、山崎は拗ねている。
(そういう人だってわかってっけどさぁー。人の頼みとか断れないとことか大好きだけどさぁー)
もしかしたら今も誰かに捕まって何か頼まれてるのかも知れない。
まさか女性教員に! と思えばものすごく嫌な気持ちになった。
顔がよくて頭もそれなりによくて運動神経がすごくよくてでもどこかダメっぽくて放っておけない。みたいな男に女は弱いらしい。まんまあの人のことじゃねーか。というのが欲目なのかどうなのか、山崎にはわからない。
(あと5分……いや、30分…………1時間待って来なかったら帰ろう)
思って見上げた教室の時計は、さっき確認したときから3分しか進んでいないのだった。
「……がる、…………退」
「ん……」
「やっと起きたか。おはよう」
ふわ、と温かい手が頭に乗って、山崎はうまく開かない目をごしごしと擦った。
それをやんわりと掴まれて、「そうしてるのは可愛いけど目傷つくぞ」と注意をされる。
何度か瞬きをして焦点を合わし、山崎はやっと視界にその人の姿を映し出した。
「先生、遅い」
「悪ィ悪ィ、捕まっちまって」
予想していた返答に山崎がちょっと眉を上げて、銀八の白衣を確認すれば、思ったとおりポケットが不自然に膨らんでいる。
そうですねだって糖分大魔神ですもんねくれるっていうの断るわけがないよね。
山崎の視線に気づいたのか、銀八はちょっとバツが悪そうな顔をした。何と言おうか迷った挙句、「……食べる?」とか聞いてきたので睨んでやる。そんなもの、受け取った時点で終了なんだからもらって山崎が食べたところでどうなるわけでもないし。
というか糖分手放す気もないくせに何言ってんだ。
「……いいです別に。俺ももらったし」
「え、誰に?」
「たまさんと、あと志村さんも義理でくれたし、神楽ちゃんにももらいました」
「へえ」
「俺って結構モテるかも」
「そりゃ、よかったじゃねえか」
「でも義理ですもん。先生と違って」
あからさまに拗ねて見せれば、銀八はちょっと嬉しそうな顔をした。
それに山崎はなんだかとても腹が立つ。嬉しそうな顔をする前に自分がもらったのが本命だということを否定しろバカ。
「で、山崎くんはそんなバレンタインデーイブに、俺なんかをここに呼び出してどうしたんですか?」
拗ねたままの山崎ににやにやと笑いかけながらわざとらしく銀八が聞く。
山崎の嫉妬に気づいてこういう子供っぽい挑発をするあたりが小学生男子か、と思う。
「……わかってるくせに」
「いや、先生の自惚れだったら困るから」
「ばか」
にやにやと笑いながらそれでも嬉しそうにしている銀八を見ていたら、なんだかどうでもよくなってきてしまった。山崎は鞄の中に大事にしまっていたチョコレートを取り出して、ずい、と銀八に渡す。
「本命です」
「うん、知ってる。ありがとうな」
山崎が無造作に渡した小さなチョコを大事そうに受け取って、銀八はとろけるような笑みを浮かべた。
惜しげもなく、こういう嬉しそうな顔をしてみせる辺り、子供だ。いや、大人だからできるのか。そうだとしたらタチの悪い大人であることは間違いない。
「甘いほうがいいかなーと思って、ホワイトチョコにしてみました」
「マジでか。手作り?」
「んなわけないでしょ。市販品です」
「なんだ」
「嫌なら返してください」
「いや、嫌じゃないです嬉しいです一生大切にします!」
「溶ける前には食べてくださいね」
大事に食うよ、と言って、銀八はチョコをぱんぱんになっているポケットとは反対側のポケットに丁寧に入れた。自分のためにそっちのポケット空けておいてくれたのかな、と思って山崎は嬉しくなる。
「ところでさあ、」
「はい?」
不意に銀八が真面目な声を出して、軽く首を傾げ山崎へと目を向けた。
釣られて一緒に首を傾げる山崎に、銀八の目が優しさを帯びる。
「何で学校? つーかなんで丁寧語? 別に終わってから家に来るんでも、俺が行くんでもよかったのに」
ここで勉強って寒かったろ? と銀八が山崎の髪に手を伸ばし、指で軽く梳く。
心地よさにうっとりしながら、山崎は少し目を伏せた。
わざわざ登校日に放課後まで学校に残ったのも丁寧語なのも理由があった。明日は銀八に用事があるというのも理由の一つではあったけれど。
山崎は深呼吸をする。緊張している山崎の様子に、銀八が少し眉を顰めた。
「山崎?」
「……だって、あの、」
睫を震わせながら顔を上げ、上目遣いで銀八の顔を覗き込む。
「これが、俺が先生にする、恋人らしい最後のイベントかなって思うから……」
言い切って、再び顔を伏せた。
沈黙が降りる。山崎は銀八の言葉を待ってどきどきしている。
何て言われるだろうどんな反応をされるだろ。と期待と不安がない交ぜになっている山崎に、「ぷ」と噴出すような音が聞こえた。
続いて軽い笑い声。
「そうだな。来年からはもう、先生でも生徒でもねえもんな、退?」
笑い混じりの言葉に山崎がばっと顔を上げれば、心底楽しげな銀八がやっぱりにやにやした顔で山崎を見つめていた。子供にするように頭を軽く叩かれて、山崎は唇を尖らせる。
「せっかくちょっと引っ掛けてびびらせてやろうと思ったのに! 恋人らしい最後のイベントってとこに注目してよ」
ばし、と軽く銀八を叩けば、笑いながらあっさりと手を握られる。
「大人を舐めちゃいけませんよ。びびらせたいなら、別れ話くらいしてみなさい」
「だって、そんなこと言って、いいよって言われたら立ち直れないじゃん……」
「言わねーよ」
別れるって言われたら簡単にびびって焦って縋りつくから。
言って銀八は笑って、まだ少し拗ねたままの山崎をあっさりと抱きしめた。
ふわりと甘い香りがする。いつも甘いものばかり食べているからかもしれないけど、今日のこれはきっとチョコの匂いだ。
「好きだよ」
「……せんせえ、ここまだ学校ですよ」
「うん」
「離して」
ちぇっ、とわざとらしく言いながら、銀八はそんなに渋ることもなく山崎を腕の中から解放した。それがちょっと寂しいなと思ったのは言わないでおく。なんだか負けた気になるので。
「じゃあ、」
「何?」
それでも気づかないうちに物欲しそうな顔をしている山崎に、銀八は苦笑した。そのまま山崎の前髪を優しくかきあげ、唇を近づける。
ちゅ、と音を立ててキスをされ、
「これが、俺が生徒にする最後のいたずらかな」
続きは白衣を脱いでから。車回すから裏門で待ってな。
そう言ってにや、と笑った銀八の顔があまりにかっこよかったので、山崎はますます負けた気分になった。
「銀山で3Z」のリクエストで書かせて頂きました。せっかく3Zなので先生×生徒で、しかも時期的にせっかくバレンタインが近いのでこんな感じになりました。山崎に「恋人として最後の……」みたいなのを言わせたかったんです。あれで内心先生はすごいうろたえて頭の中フル回転だったらいいな、と思いました。
楽しく書かせて頂きました。お気に召していただけたら幸せです。リクエストありがとうございました!