好きだと伝えて終わりなら、それがよかった。




 かさ、と草を踏む音が近づいて、「おっきたたいちょー」と間延びした声が頭上から降ってきた。聞こえない振りをしていると、気配がぐっと近づいて声の持ち主が傍にしゃがみ込んだのがわかる。ふわりと頭を撫でられて、くすぐったくて思わず笑い出してしまった。
「タヌキ寝入り」
 ぐい、とアイマスクを引っ張られるので、笑いながらその手をどけて自分でアイマスクを外す。真っ暗だった視界が急に明るくなって、眩しいので少し顔を顰めた。
 しゃがみこんだ山崎が、乱れた沖田の前髪に指を伸ばしてやわらかく引っ張る。
「山崎」
「おはよーございます。一番隊の連中が探してましたよ」
「ふうん」
 まあ座れば、と隣の地面をぱんぱん叩いてやれば、山崎は呆れたように笑う。仕事中ですよう、と言うのを無視して手を握ってやれば、言葉とは裏腹に山崎はあっさりと沖田の隣に腰をおろした。握った手はそのままに、沖田はその膝めがけて頭をおろす。
「ちょうどいいところに枕が」
「おきたたいちょー、俺仕事中です」
「安心しろィ。俺も仕事中だから」
「だから、一番隊の連中が探してましたよって」
「知らね。どうしても俺が必要なら、自分らで探すだろ」
 探しに来たらそんとき聞いてやらァ。
 言いながら沖田は、傍らに置いていた刀を近くに引き寄せた。意図を知って山崎が軽い笑い声をあげる。
 二人きりでいちゃいちゃしてる場面に踏み入ってきやがったらそんときは、ということだ。山崎はもう一度、仕事中ですよ、と言って、言いながら沖田の髪をやさしく撫でた。
 ちっとも叱る気なんてないくせに。
 ちっとも怒る気なんてないくせに。
 沖田は小さく笑って、山崎の腰に手を回した。甘えるように腹へ額をすり寄せれば、山崎が「子供ですね」とからかう。本当に子供にするようにその指がやさしくやわらかく髪を梳くので心地いい。
「子供じゃねえよ」
 低く笑って、沖田は山崎の腰に回していた手をゆっくりと動かした。甘えるような動きから、色を含んだ動きへ。いやらしく撫でまわすように腰に触れ、にやりと笑いながら顔を見上げてやれば、山崎が困ったような顔をする。
「それが、子供なんですよう」
 言いながら、けれど、沖田の髪に触れる山崎の指は離れない。
 甘やかすように触れている。
 困った顔をしている。照れて怒っているような顔でもある。触れる指がやさしいので、そしてちっとも暴れないので、嫌がっているわけではないのだとわかる。
 腰を撫でまわしていた手を止めて、顔をじっと見上げた。
 下から見下ろしているせいで、逆光になっている。黒く柔らかな髪が、太陽の光を受けてきらきらと光っている。

 少し強い風がざあ、と吹いて、その黒い髪を揺らした。
 誘われるように顔を上げて空を振り仰いだ山崎が一瞬そのまま消えてしまいそうな気がして、沖田は思わず握った手に力を込める。

「……沖田さん?」
 突然きつく手を握られて、山崎が不思議そうな目を沖田に向けた。
 どうしたの、と聞いて、髪を撫でていた手が今度はやさしく額に触れる。
 黙ったままでいれば、山崎がまた少し困った顔をして、「沖田さん」とためらいがちに呼んだ。握った手に、今度は山崎の方から力が込められる。

「好き」

 下からじいっと見つめたままで、呟くように沖田は言った。
 独り言のような、寝言のような、そんな声だった。

「お前が好き」

 山崎が驚いたようにちょっと目を見開いて、それから嬉しそうに目を細める。薄い唇がきれいな弧を描いて、「俺もです」という声が沖田に降ってきた。
 前髪がふわりと払いのけられる。
 甘やかすように額に、頬に、触れられる。
 山崎は嬉しそうにしている。大切なものを見つめるような目をしている。
 好きですよ、と答える声が、はっきりしている。迷いがない。
 当り前のことのような声音なのである。

 沖田は横を向いて、山崎の腰に抱きつくようにした。腹に顔をうずめるようにすれば、山崎がちょっと動きを止めた後小さく笑って、今度は沖田の後頭部をやさしく撫でる。
「やっぱり子供ですね」
「ちげーよ」
「子供ですよ。甘えたさん」
「……子供じゃねえよ」
 ぎゅう、ときつく抱きつく。
 起き上がって抱きしめようかどうか、少し迷っている。けれど今起き上がって山崎の顔を見る勇気がなくて、沖田は顔を隠したままでいることしかできない。
 だって、今目があったら泣いてしまう。
 涙があふれてしまうような気がしている。
 幸せってなんだっけなあ。こういうのが幸せっていうのかなあ。こんなに幸せでいいのかなあ。こんな幸せになる資格が自分にはあるのかなあ。この幸せはいつか終わるのかなあ。終わって欲しくないなあ。
 好きだなあ。
 どうしようもなく。
 思って泣いてしまいそうなのだ。
「……子供だから、こうするんじゃねえよ」
「ん?」
「子供だから甘えたくなるんじゃ、ねえもの。お前のことが好きで、心から好きだから、それだけで、寝心地悪くても甘えたいんじゃねえか。お前なんか、別にやわらかくもないんだから、膝枕とか、全然気持ちよくねーけど、それでも、お前のことが好きだから、こうしてたいんじゃねえか」
 抱きついた部分からとくりとくりと心臓の音がする。
「……好きだよ」

 好きだと言って、山崎が困ったような顔をしなくなったのはいつからだったろう。照れたような、戸惑うような顔をしていた山崎が、好きの言葉ひとつ返すのに声を震わせていた山崎が、嬉しそうに笑うようになって当たり前のように好きだと言うようになったのはいつからだろう。
 いつから山崎は自分のものになったんだろう、と沖田は考えている。心臓の音を追うように耳を傾けながら、記憶を遡っている。
 いつからこんな好きになったんだろう。
 いつからこんな、手放せなくなったんだろう。

「なあ、山崎」
「はい」
「鎖とロープ、どっちがいい?」
「はあ?」
 やさしく沖田の髪を撫でていた山崎の手が止まる。
「何が?」
「あと、足首と手首、どっちがいいか選べよ」
「だから何が。え、何、なんか物騒なこと考えてます?」
「大丈夫、飯は俺が運んでやるよ」
「いや、自分で食べに行けない時点で大丈夫じゃないですよね」
「……山崎」
「はい」
「ごめんね」
 顔を隠したままで、きつく抱きついたままで言った。小さな声で絞り出すようにしたのでもしかしたら山崎には聞こえないかも知れないな、と思ったけれど、山崎は少し笑って、「何がです?」とまた、沖田を甘やかすような声で答えた。

 ごめんね離してあげられなくて。できることなら閉じ込めておきたくて。どうにかして縛り付けてしまいたくて。ずっと自分のものにしておきたくて。他の誰にも見せたくなくて。他の誰のことも見てほしくなくて。ずっと世界を閉ざしてしまいたいと思っていて。

「ごめんね」

 山崎は沖田の髪を撫でながら、「俺明日非番なんですよねー実は。今日沖田さんとこ泊まりに行ってもいい?」と、関係のなさそうなことを言っている。
 言葉に笑いが含まれている。何もかも許すようなやさしい声をしている。

「山崎、」
「あとちょっとしたら、戻らないと、怒られちゃいますよ」
「好き」
「…………」
 抱きついていた腕を解いて、隠していた顔を上向ける。
 山崎はやっぱりやさしく笑っている。俺も好きだからいいですよ、と、何もかもわかったような顔をしている。

「……好きだ。ごめん」



 
 好きの言葉で縛れるなら、それが本当はいちばんよかった。

      (09.03.01)




「沖山で年下×年上」といういつものパターンなリクエストにお答えして、いつものパターンで書かせていただきました。最初の頃に書いていた、好きだと言われて困る山崎とそれに怯える沖田、というのから繋がっています、多分。
だいたい山崎が起こしに来てくれるので、沖田はわざと隠れてサボってたらいいのになあ、という妄想。どうしようもなく山崎のことを好きな沖田さんが好きです。
リクエストありがとうございました!気に入っていただけたら嬉しいです。