風邪をひいた。
熱は出ないし別に頭も喉も痛くないけれど、ときどき痰が絡んだように咳が出て鼻水が垂れる。しんどくないけど面倒くさい。病院に行ってもいないし薬も飲んでいないけれど、これは風邪だろうなあと思うのでマスクをつけている。苦しいしあまりよい気分ではないが、仕方がない。
「だって晋助受験生じゃん」
何でマスクだ、と不機嫌そうに言われたので、精一杯不機嫌そうな声を作って返してやった。
山崎だって別に好きでマスクをつけているわけじゃない。というか、つけたくない。苦しいとかうっとうしいというのもあるけれど、顔を何かに覆われているというのがなんだか妙に不安だ。いやな気持ちになる。
けれど目の前にいる人が受験を控えているので仕方がないのだ。
今移したら大変だから。
「別に構わねーよ」
「なんで」
「俺も風邪引いてっから」
言って、高杉は舐めていたのど飴を舌に乗せてえれっと見せてくれた。それからんん、と咳払いをする。
「ダメじゃん」
「仕方ねーだろ」
「熱とかは?」
「ねーよ。喉がいてーだけ」
すぐに治っだろ、と言って、高杉はガタガタと椅子を鳴らしている。
高杉と山崎、二人きりしかいない教室はそろそろ電気をつけないといけないかなあ、と迷う程度に暗くなってきていた。グラウンドでは下級生たちが元気に部活動に励んでいる声がする。
椅子を鳴らしながら、高杉が手元の参考書をぱらぱらとめくる。
線が引かれていたり、書き込みがされていたり、きちんと勉強している受験生の参考書だ。
「勉強どう?」
手持無沙汰な山崎は、机の上に置かれていた英単語帳を手元に引き寄せめくりながら聞いた。
山崎は実はこう見えて地味に要領がいいので、地味に推薦枠を使って地味に秋頃進学先を決めてしまっている。派手に良い成績を収めたり派手に大きな活動をしたりということはないけれど、こつこつ真面目に良い成績をとり続けたり、委員会で真面目に活動し続けたり、部活で地味に賞を取ったりするとなかなか有利なのだった。
対して高杉は派手なので無駄に留年して目立っているし、無駄に法学部なんかを目指して目立とうとしている。
「んー、ぼちぼち」
そして、その気になればもっといい大学だって目指せるだろうに、酔狂なので山崎と同じ大学を受けようとしていたりする。
そもそも留年だって、山崎と一緒に卒業したいからとか何とかそういうどうしようもない理由なのだ。
「……晋助ってさぁ」
「あー?」
「すげえ馬鹿だよね」
単語帳をめくりながら山崎がしみじみ言えば、軽く頭を叩かれた。
いたい、と文句を言いながら顔を上げれば、高杉は不機嫌そうな顔で山崎を睨んでいる。
「マスクはずせ」
「はぁ?」
「いいから」
馬鹿って言われたことが不満だったんじゃあないのか。
眉根を寄せる山崎に焦れて、高杉が手を伸ばし山崎の顔からマスクを取り去った。ああ、と山崎が声をあげるのに構わず、今度は伸ばした手を山崎の肩に置く。
「し、んすけ」
「だァってろ」
ぐ、と高杉の顔が近付いて、思わず山崎は眼を閉じた。
閉じた唇に、やわらかくてあたたかい、高杉の唇が触れる。
軽く触れるだけで離れたそれは、離れた後で小さく笑い声を洩らした。
「退」
「……なに」
「鼻水出てっぞ」
くく、と低い笑い声が響いて、山崎はかっと顔に血を上らせる。
目を開けて高杉を睨みつけながら指摘された鼻水を擦ろうとすれば、その腕を掴んで阻まれた。
「袖で拭くんじゃねーよ、きたねえなあ。ガキか」
「う、っるさいなあ!」
「ちょお、待て」
呆れたように笑いながら、高杉はズボンのポケットからポケットティッシュを取り出す。何枚かティッシュを引き抜いて、そのままおもむろに山崎の鼻にあてる。
「ちょ、」
「おら、かめ」
「じ、自分でやる!」
「いいから」
全然よくない! と暴れる山崎の肩を高杉がぐいと押さえる。
結構本気で込められた手の強さに山崎は抵抗するのを諦め、促されるままに鼻に力を入れた。じゅん、と音がして、詰まっていた鼻が少しすっきりした気がする。
けれど、子供にするように鼻水をふき取ってやった高杉が、汚れたティッシュを丸めながら「手に付いた」と文句を言っているのが山崎にはひたすら恥ずかしい。
「……やっぱ馬鹿だ」
「何がだよ」
「風邪移るよ」
「別に。移せば?」
「受験生が何言ってんだか」
マスク返して、と手を出せば、マスクではなく高杉の手がその上に乗せられる。
「ちょっと」
「俺といるときマスク禁止な」
「はぁ? 晋助といるからマスクつけてんじゃん」
「いいから禁止」
「意味わかんない。なんで」
「顔」
「は?」
「見えねえとおもしろくねえから」
たまにしか会えねえんだから、会ったときくらい顔見せとけよ。
言って、高杉は山崎の手を握っていた手をするりと離した。
そのまま何事もなかったように、参考書に目を落としてしまう。
「……晋助って、」
「あ?」
「……本当に馬鹿」
あんまバカバカ言うんじゃねえよバカ、と返る声が笑っている。
参考書を見ている口元が、機嫌よさそうに弧を描いている。
窓から差し込む夕日に照らされて、半分影になっているその顔があんまりにもきれいだったので、これが自分のものなんだなあと思ったら山崎はたまらなくなってしまった。
そろそろ電気をつけないとなあ、と思いながら、山崎は立てないでいる。
そろそろ電気をつけないと高杉の目が悪くなる、と気づいてやっと立ち上がろうとしたとき、教室のドアががらりと開いた。
ぼさぼさの銀髪と汚れた白衣がその隙間から覗く。
「おーい高杉、面談すっぞ」
「ああ」
「あれ? 山崎じゃん、何してんの」
お前の面談今日はねえよ?
不思議そうに首をかしげる担任に、山崎は曖昧な笑みを浮かべて見せる。
「高杉くんの勉強見てました」
「お前の学力で高杉教えるのは難しいと思うけどな。電気つけろ。目悪くすっぞ」
失礼なことを平気で言って、担任は踵を返す。
早くしろよー、と言いながら、高杉を待たずに廊下を歩いて行ってしまう。
「じゃあ」
「うん」
「これ、預けとくから」
「うん?」
何を? と立ち上がった高杉を見上げた山崎の肩に、高杉の手が軽く乗せられた。
そのままさっきと同じように顔を近づけられ、反射的に目を閉じた山崎の唇に、あたたかくてやわらかいものが触れて、今度はそのまま唇をこじ開けられる。
びくりと跳ねる肩を少しきつく押さえられる。
そのまま舌で押し込まれるように転がり込んできたものに驚いて、山崎は薄く目を開けた。
「……ん、…なに、」
「舐めてろ」
口の中に広がるのど飴の味に、山崎の顔が熱くなる。
「…………つーか、だから、風邪移るってば」
「だから、移せば?」
にやりと楽しそうに笑って、高杉は山崎の頭を軽く撫でた。
「待ってろな」
言って、山崎の返事を待たずにさっさと教室を出て行ってしまう。
ガラガラ、と閉じられるドアの音を聞きながら、山崎は机に突っ伏した。
顔が熱い。胸のあたりがちょっと苦しいようなのは、咳が出そうだからだろうか。
「……ばかじゃねーの」
舌の上で、ほんのりと甘いのど飴を転がす。
預けておくってことは、戻ってきたら返さなきゃいけないのかな、と考える。
口の中を転がる小さな飴がそのままキスの味のようで、頭も痛くないし喉も痛くないけれど、胸が苦しくて熱が出そうな、そんな気がしている。
「高山で年上×年下で3Z」というリクエストにお答えして書かせていただきました。
いつも高山でやってる3Zの設定のつもりなので、一応年上×年下なんですが、せっかくなんだから先輩とか呼ばせた方がよかったのかな、とは書き終わったあとで気づきました。すみません。いつもの方では正確に言及してませんが、高杉くんは山崎と一緒にいたいがためにわざと留年してます。単なる馬鹿なのです。愛です。
こんなものでよかったら気に入っていただけると嬉しいです。リクエストありがとうございました!