もうずいぶんと温かくなって、梅の花など咲いている。
日の出ている時間も、気づけば随分と長くなった。少し前までは日中の見回りを終えて夕方帰ろうという頃にはもう暗かったのに、今はまだ明るい。太陽が普通に姿を見せている。
春なんだなあ、と思ってうれしくなり、山崎は大きく息を吸い込んだ。
別に、春だからといって何があるわけでもないけれど、訳もなく浮かれるのが春なのだ。うきうきする。何かがあるような気がする。とりあえずお花見があるだろう。別にこれといって変わったことなわけでもないけれど、楽しい。春だから。
にへら、と緩い笑みを浮かべながら屯所への道を歩いていた山崎は、雑踏の中に見覚えのある背中を発見して、ぴん、と背筋を伸ばした。
「ひ、」
じかたさん、と名前を呼ぼうとして、躊躇する。
見つけた背中が隊服ではなく私服の着流しだったので。こんなところで明らかに真選組の隊士である自分が大きな声で名前を呼んだらきっと注目されてしまって、そして怒られる。何といっても彼は有名人なのだ。良くも悪くも。
名前を呼ぶ代わりに地面を蹴った。軽い足取りで人の波を避け近づく。
名前を呼ぶのはやっぱりどうしてか躊躇われて、山崎はそのまま手を伸ばした。
着物の袖をぐい、と掴む。
「う、お」
突然袖を引っ張られた土方は驚いたような声を上げ、勢いよく振り返った。
「おま、山崎」
「おつかれさまです」
「いきなり引っ張んじゃねえよ」
「はは、すいません」
つい、と頭をかけば、その頭を土方が軽く叩く。ぱしん、と響くいい音がした。
「った」
「今上がりか」
「はい。本日も特に異常なしです」
「ご苦労」
一人? と聞かれたので、連れはもう帰っちゃいました、と答える。山崎よりも少し年若い隊士は、勤務時間が終わるなり「彼女とデートがあるんでぇ」とか言ってさっさと帰ってしまったのだ。一応上司である山崎を置いて。別にいいけど。
「せっかくだし、俺たちもデートします?」
「はぁ?」
ふざけて人差し指をぴんと立てながら提案すれば、嫌そうな顔をされた。
けれど、冗談ですよと笑うより先に、立てた人差し指をぎゅっと握られる。
そのまま力を入れて引っ張られ、されるがままによろければぱしんと手を取られた。
「……あれ?」
「行くぞ」
「ちょ、え、ひじかたさ」
「何」
「これ、」
手を、つながれているようなのですが。
簡単につながれただけのそれを凝視しながら戸惑う山崎の上に、楽しそうな笑い声が落ちる。
「デート」
「え?」
「すんだろ」
「ええええええええ」
驚いて声をあげたら、うるせえよ馬鹿、という愛のない言葉と一緒に今度は拳が落ちてきた。
手はつながれたままである。
デートだとかいう常にない響きにどきどきしたけれど、何ということはない、土方が辿る道は屯所への帰り道だった。これってデート? と首を傾げながら、山崎の足取りが軽いのは、繋いだ手が離されていないからだ。
平とはいえ隊服の自分と、着流し色男の土方が手を繋いで往来を歩いていたりしたら、相当おかしいのではないだろうか。ただでさえ、良くも悪くも土方は有名人なのに。
山崎は気になってそわそわするが、注目されることに慣れきっている土方は構わずどんどん進んでいく。別に、男同士なので、手を繋いでデートという名目で歩いているからと言って歩く速さがゆっくりになるということはない。
(……余計に変なんじゃないのか)
まだ逆に、真選組隊士が着流しの男を引っ張って歩いているのだったら、なんとなくわかりそうな気もするのだけれど。
(いや、それも変か。だって副長だし)
注目された時点でアウトだなあ。別に俺はいいけどさあ。考えながらだらだらと引かれるままに歩いていれば、予期しないところで土方の足が進む方向を変えた。
「え、」
直進するべきところを、右へ。
曲がらないでいい道を曲がった土方は、山崎の困惑を気遣うことなくずんずん歩いていく。
「ちょ、副長」
「デート中だぞ」
「デー……、土方さん」
「何だ」
「どこ行くんです?」
「だから、デートなんだろ」
振り向かずに答える声が楽しそうで、思わず山崎の口元も緩む。
買い物か、それとも何か用事があるのか、理由はわからないけれど一緒にいれる時間が長くなるのならそれに越したことはない。
一本道をはずれただけで、人通りはぐんと少なくなった。
あまり人目を感じなくなったことにも、山崎はほっとする。
ぎゅ、と繋いだ手に力を込めれば、少し振り向いた土方が、口の端を引き上げ笑った。
慣れているはずの山崎でも、思わずどきりとして顔を伏せてしまうような、笑い方だった。
春の風が温かく吹く。
「う、わぁ……」
「お、ジャスト」
手を引かれるまま歩いた先、屯所からは離れた場所にある河川敷で、山崎は両目を大きく見開いた。
赤い光を強くした太陽が、川にその身を溶かしていく。
太陽からこぼれた光が周りの雲を桜色に染め上げている。
薄い紫がじわじわと雲の端を空の端を侵していく。
太陽の色が、空に、川に、滲んで溶けていく。
「……すご」
「きれーだろ」
繋いだままの手をきゅっと握りなおして、土方が笑った。
呆けたように口を開けて目の前の光景を見詰める山崎を見下ろす目にやさしさが滲んでいる。
答えるためにその目を見上げた山崎は、予想しなかったやさしい色に心臓を鷲掴みにされたような気がした。
「……すごい、きれいです」
「だろ」
得意そうに笑う土方の顔が、夕日から溶けた赤色に染められている。
黒い髪がきらきらと赤い光をまとっている。
「勿体ねえけど、お前には教えといてやるよ。この時期のこの時間が一番だな」
「…………」
「あとは秋か。秋の空だとまた違った見え方すっから、また連れてきてやるよ」
「……土方さん、」
「ん?」
「って、」
「何だよ」
夕日からも、土方からも逃げるように俯いた山崎の髪を、土方の手がぐしゃりと撫でる。
「たまに、すごい、恥ずかしいことしますよね」
「何が」
「だって、なんか、……なんか、こんなのって」
何だよ、と少し苛立ったように言いながら、土方の手がぐしゃぐしゃと山崎の髪を撫でる。動きがやさしい。手が、にぎられたままで、心臓が痛いほど鳴っているのもばれるんじゃないかと山崎は気になっている。
どうしよう。
だってなんか、こんなのって。
「……デートみたいです」
「だァら、デートだって言ってんだろ」
馬鹿かよ、と、馬鹿にしたような笑い声が降る。
髪を好きなだけかき乱した指が、今度は整えるように髪を透いていく。
(こんなのって、)
どうしよう。こんなのって、だって、普通に、当たり前みたいだ。
一緒にいるのが、当たり前みたいだ。
当たり前にずっと、これから先も続いていくような、やわらかくてあたたかい、幸福な時間だ。
「……本当に、」
「本当に?」
「……恥ずかしい人ですね」
顔を俯かせたままで、精一杯呆れたような声音を作って言った。
顔が赤いのはきっとばれてしまっているだろう。
夕日のせいにもできないだろう。
「そういうのが、好きなんだろ」
機嫌よさそうに土方が笑って、繋いだ手が指を絡めるように繋ぎなおされる。
太陽がじわじわと水面に溶けていって、薄い紫がどんどん空を染めていく。
桜色の雲が、春の風に吹かれてゆっくり形を変えていく。
わけもなく心臓が痛くて呼吸が細くて顔が熱くて絡めた指が震えそうなのは春だからだ。
何でもないことがうれしくて幸せで叫びだしたいくらいなのは、春だからだ。
もうちょっと一緒にいたいです、とねだるのだって、少し緊張をしている。
春だから、じゃなくて、隣にいるのが好きな人だから、なのかも、知れないけれど。
「土山で年上×年下」の「本編設定でハッピーエンド」というリクエストいただいて書かせていただきました。ハッピーエンド=なんか甘い感じ、という単純な思考回路。無駄にロマンチストな土方さんが好きです。リアリスト山崎は、土方さんのその無意識ロマンチックな感じに引きずられていればいいと思います。
リクエストありがとうございました。少しでも楽しんでいただけたら嬉しいです。