自分の付けた傷以外はかすり傷だって許せない。
着物の上から掌で腹の上をぐっと押さえれば、山崎は眉間に皺を寄せたが声は少しも漏らさなかった。奥歯をきつく噛んで耐えている、それはほんの少しだけ土方を安心させる。普段は、少し殴ったり蹴ったりするだけで大げさなほどぎゃあぎゃあと騒ぎ立てるのに、こうしてつけられた傷には呻き声ひとつ漏らさないというのがいい。痛みを与えられたときも、同じように声を殺しただろうか。そうでなければ許せはしないが。
一度強く押した場所を今度は優しく撫でるようにする。山崎は細く息を吐いて、眉間の皺をほどいた。その目に薄く涙の膜が張っている。
「いてえか」
「当たり前でしょ」
「見せてみろ」
土方の言葉に一瞬山崎は嫌そうな顔をして、けれど結局は、渋々といった様子で立ち上がり帯に手をかけた。山崎は土方に最終的には逆らわない。そういう風に出来ている。それが、上司と部下という関係だからなのか、それとももっと別な理由によるものか、土方にはわからない。
しゅる、と高い音を立てて帯が擦れあう。はらりとほどかれたそれは無造作に畳の上に落ち、山崎の白い肌が濃紺の着物の隙間から覗いた。隠すように前を掻き合わせる山崎を視線で促す。山崎は溜息をついて、それからゆっくりと、煽るように着物を広げた。
白い肌にくっきりと残る紫色の痣。
殴られたのだと一目でわかるその跡は、肌の白さとの境目があいまいで、まるで山崎がその部分からじわじわと毒に犯されていくようにも見えた。
そっと指で触れる。冷たかったのか痛かったのか、山崎の体がびくりと逃げるように動くので、腰を掴んでそれを阻む。中指でゆっくりと触れ、なぞり、薬指を合わせて二本で円を描くように撫でる。くすぐったいのか、山崎の唇から小さな笑い声が漏れた。土方は構わず、今度は掌全体をその痣に押し当てる。掌を広げてようやく隠れるくらいの痣だ。
一度殴られただけではないだろう。何度も何度も同じ箇所を痛めつけられたのだろう。
「……気に入らねえな」
「ええ?」
「こんな跡、残していいって誰が言ったよ」
「それはちょっと、横暴すぎやしませんか」
呆れたように山崎が笑う。腹にそっとくちづけてみる。山崎は笑いを引っ込めて、少し狼狽したようだった。土方はそれに少し満足して、今度は腹に耳を当て、山崎の腰に腕を回す。山崎の指が土方の髪に触れ、甘やかすように黒いそれを梳いた。もう片方の手で、腹に触れたままの土方の手をそっと取って指を絡めようとするので、逆に掴んでゆるく引く。うながされるままに山崎はゆっくりと畳に膝を付き、土方が肩を押したのにも逆らわなかった。
濃紺の着物が隠す白い肌にくっきりと残る毒の紫。
擽るようにその箇所を撫でながら、首筋に吸いつけば山崎は簡単に声を上げる。さっきまで声を殺していたのが嘘のように、細くて高い声を零す。山崎の手があやすように土方の髪を撫でるので、それも気に入らなくて唇を塞いだ。漏れる吐息ごと全部飲みこんで、代わりに自分の唾液を注ぐ。従順に嚥下しようとする山崎の口の端から、飲みこみ切れなかったそれが溢れた。
それを舐め取ってやってから、土方は山崎の唇に噛みつく。ぷつ、と軽い音がして、山崎の唇が切れた。滲んだ血を舐め取れば、しみるのか苦しげな声を零す。
目を覗きこめば、震えた吐息を零すので満足をした。
一度首に噛みついて、露わになった白い肌へ唇を滑らせる。時折あがる山崎の高い声が鼓膜に響いて心地いい。
その間もずっと触れ続けていた痣の上へ、唇を落としてきつく吸い上げた。あ、とひときわ高い声が山崎の唇から零れて、寒い部屋に響いた。
「いてえか」
「い、……ったい……ぅ、あっ」
ぐ、と指先で思いきり押さえ、軽く爪を立ててやれば山崎が首を仰け反らせる。そのままぎりぎりと爪を皮膚に食い込まされば、山崎の手が土方の方に乗って、きつく着物を握りしめた。嫌がるように顔を振るので、ぱさぱさと黒い髪が畳を叩く。そのたびに見え隠れする首元に残した鬱血。どちらが長く残るだろうか。土方は手から力を抜いて、自分が痛めつけた場所をなだめるように優しく撫でた。
どちらが長く残るだろう。考えながら、土方は再び痣の上に唇を付ける。舌で押して吸い上げて、赤い跡を残して行く。痣の上と、その周り。紫と赤のその絵柄は、山崎が腹部から人ではない何かになっていく途中のようにも見えた。美しく鮮やかで、鮮やか過ぎて醜悪だ。体を離してそれを眺める土方を、涙の滲んだ目で見上げ、山崎は少し口の端をあげた。
「土方さんの跡に、なりました?」
言いながら、愛おしそうな動きで腹に描かれた跡を撫でる。
「……あなたのために付いた跡だから、あなたのものでも構わないのに」
「構うよ、俺が」
「仕方ないなあ。ごめんなさい」
「痛かったか」
「ちっとも」
「嘘つけ」
「だって、俺はあなたのものなんだから、あなたがつける傷以外、痛くも、苦しくも、気持ちよくも、なるはずがないじゃないですか」
謎かけのようなことを言って山崎が笑う。こっちの方が痛いです、と言いながら切れた唇に触れて見せるので、誘われるように土方は指を伸ばした。皮膚の切れたその場所を荒れた親指の腹で擦れば、山崎は眉間に皺を寄せて目を閉じる。
「いてえか」
「うん」
「そうか」
唇を撫でていた指をそのまま口の中に滑り込ませた。目を閉じたまま山崎は従順にそれに舌を這わす。ゆっくりと引き抜けば、山崎の舌先から透明な糸が細く伝う。
「……土方さん、さむい」
言って、山崎は土方の首に腕を回す。ねだるように口を開くので、くちづけてやれば目を閉じる。広がる痣に手で触れて優しく撫でれば体を震わす。こんな素直な反応は、本当に、他の誰にも見せてはいないだろうか。
ねだられてるのは分かっていたし最初は抱くつもりだったけれど、これ以上触れたらきっとひどいことをしてしまいそうで、土方は躊躇する。爪を立てて血を滲ませてきつく抓って痣を残して執拗に噛みついて跡を残したいような、そんな気持ちが心にある。どうしたものか、と熱を持て余す土方の思考を読みとったように、唇をほどいた山崎が薄く笑って、「壊していいよ」と静かに言った。
「俺は、土方さんのものなんだから」
冷たい指が土方の頬を撫でる。
「痣も、傷も、血も、命も、ぜえんぶ土方さんにあげるから、壊してもいいよ、」
好きにして。
囁くようにそう言って、捧げるように目を閉じる。
土方は、頬に触れる山崎の指を柔らかく握って、自分の噛み切った唇に音をたてて口づけた。
「……バァカ」
ゆるゆると痣を撫でる。白に濃紺、赤に紫。山崎の言うことが本当なら、全部本当のことなら、これを、この体を、色づけることができるのはきっと自分だけなのだ。世界で一番美しく、この世の何より醜悪に染め上げることができるのは、自分だけなのだ。
壊していいなら生かしてやろう。
痛みも苦痛も快楽も、自分が与えるものが全てなら、嫌がられても詰られても、優しくしようとそう決めた。