あまりに好きだ好きだと繰り返すので、百万遍好きだと言ったら願いが叶うとかいう馬鹿げた迷信でもあるのかと思うほどだ。まじめな顔をしているときでも、嘘くさい笑みをへらへらと浮かべているときでも、苦しげな顔をしているときでも泣き出しそうな顔のときでも、眠る前でも、とにかくいつでも、脈絡もなく好きだという。あるいは、百万遍好きだと言えば相手の命を奪えるとか、そういう迷信でもあるのだろうか。
「お前」
考えても答えが出ないのでとりあえず呼んでみれば、半分くらいは眠っていたのだろう、暫くの間をおいて眠たげな声で「はい」と小さく返事があった。それでも呼べばきちんと返事をするのだから、ある種従順にできている。犬ころのようにどこへでも付いて来たがって言うことは全然聞かなくて好きだ好きだとうるさくて笑い顔だって薄っぺらいから、ときどき本当に殺してやろうかと思うことがないではないが、こうして変に従順なところを見せるので、死ねと言えば本当に素直に死にそうで、高杉はその一言がなかなか口にできないでいる。
「……いい、寝てろ」
高杉の呼びかけにきちんと答えようと、重たい瞼を懸命に持ち上げている様が少し可哀想で、高杉は山崎に話しかけるのをやめた。それでもまだ眠たげな眼でこちらを見ているので、掌を目に押し当てるようにしてやる。山崎の睫毛がやわらかく高杉の掌を擽った。
好きだ好きだと繰り返すので試しに抱いたらちっとも抵抗をしなかった。
体はもちろん簡単に開きはしなかったし、そう簡単に快楽を拾えもしないようだったけれど、一度もやめてくれとは言わなかった。
やめてくれと泣いて逃げだせばいいと、本当は思っていたのだ。
だからひどくした。ちっとも優しくしなかった。にも関わらず山崎は、そんなひどく扱われている最中でも、苦しげな顔で好きだと言った。
こいつはもしかしたら好きと言わなければ死んでしまう病にかかっていて、その際の相手は別段自分でなくたっていいのじゃないだろうか。たまたま拾ったのが自分であっただけで、傍にいるのが自分であるだけで、その言葉に何ひとつ意味はないのではないだろうか。
その方がいい、と安堵する気持ちと、それでは許せない、という気持ちが、ふたつ、高杉の中にある。
自分でなくとも構わないなら捨ててしまえるから気が楽だし、自分でなくとも構わないならこうして付きまとわれているのが割に合わないと思うのだ。割に合わない? いや、今だって、好きだと言われてうっとうしくてまとわりつかれてうっとうしくて、言うことはちっともきかないし、きちんと笑うことさえできないし、そんなのを手元に置いていたって、割に合うことなんかひとつも、ないのだけれど。
考えながら、手持無沙汰なので山崎の髪を掬ってみた。それはさら、と指の合間を零れて、山崎の頬にかかる。頬を隠す髪をそっと指で払いのければ、山崎の睫毛がぴくりと動いて、瞼がゆっくり持ち上がった。
「……眠れないんですか?」
ひどく眠そうな声で言うので、起こしてしまって悪かったな、という気分になる。
「……考え事ですか?」
俺でよければ、聞きましょうか。生意気な口をきいて、山崎はごそごそと高杉にすり寄った。距離が近すぎて頬に触れることが難しくなったので、仕方なく高杉は山崎の後ろ髪を梳くことにする。
「俺の考えごとに、お前が答えを出せるのか」
「出せないかもしれませんが、聞くことくらいなら、できますよ」
「お前に話して何になる」
髪を梳いて、頭を撫でてやりながら聞けば、山崎は少し笑ったようだった。吐息が高杉の肌をくすぐる。それくらい近い距離なのだ。
「俺は答えを出せないけど、晋助さんは、やさしいから」
「……なんだそりゃ」
「晋助さんは、やさしいから、一緒に俺が悩んだら、悩み過ぎてる俺がきっとかわいそうになりますよ。きっとかわいそうになって、答えを与えたくなります。そのために、もっと一生懸命考えるでしょう。そしたらちゃんと、答えが出るかも知れません」
不思議なことを言って、山崎は高杉に抱きつくように腕を回した。甘えるように額を摺り寄せて、小さく笑う。笑い顔が見えないので、あまり嘘のような気もしない。手癖のように思わず軽く抱きしめれば、山崎がはあ、と深く息を吐いて、
「好きです」
また、脈絡もなく、そんなことを言う。
どんな顔をしているのだろう。距離が近すぎて顔が見えない。
「……お前に話さなくても、わかった」
「ほんとうですか?」
「お前は病にかかってるんだろう。きっとそうだろう」
黒い髪の冷たさが手に心地よくてまあるく小さい後頭部を高杉は飽きずに撫でる。山崎は不思議そうな声をだして、ええと、と口ごもった。余計なことばかり言う癖に、こういうときすぐに答えないので腹が立つのだ。でも、頭がよくないので仕方がないのかもしれない。高杉はそう判断し、諦めてもっと言葉を噛み砕く。
「好きと言わなければ死ぬような、そんな病なんだろう。俺にはわかる。嘘をついても、だめだ」
死なないために口にするのであって、そこには気持ちが少しもないのだろう。だから脈絡だってないのだ。ひどく扱っても逃げないのは、逃げるだけの脳がないからで、放りだしてやればきっと違うところへいくのだ。それがいい。その方がいい。
その方がいいのだ。
だってそうなら、大切にしなくてすむ。
「病……そう、そうですね。そうかもしれません」
ふふ、と山崎は、おかしそうに笑った。何が嬉しいのか、少し弾んだ声を出した。
「俺はきっと、晋助さんが好きで、好きで、大好きなので、好きだと口にしておかなければ、破裂して死んでしまいそうなんです。体の中に気持ちがたまって、外に出さなければ、もう、無理なんです。ごめんなさい。ご不快ですか。でも、好きです。俺は、あなたが」
ぎゅ、ときつく抱きつきながら、山崎はそんなことを言った。
高杉は思わず、山崎の頭を撫でていた手を止める。山崎はそれが不思議だったのか、それとも不満だったのか知れないが、高杉の胸に押し当てていた顔を離し、首を逸らして高杉を見上げた。
心臓の音が聞こえるのではないかと思うくらいの近い距離なので、容易に目があってしまう。
「好きです」
目を細めて、口の端を上げて、表情を緩ませ山崎が言った。
なかなかうまい笑い方だった。
高杉は息を細く吸って、飲みこみ、山崎の後頭部を掴んで、自分の方へ引き寄せた。再び高杉の胸に額を押し当てる格好になった山崎は、その指で高杉の着物をきつく握る。ねえ、と甘えた声をだす。だめですか。と馴れた口をきく。
駄目だと言えば、どうだというのだ。
それで何かが終わりになるのか。
「……俺の、何がいいんだ」
口にしたあと、しまった、と即座に後悔したがもう遅かった。言葉は空気を震わして、山崎の耳に届いてしまった。
好きだ好きだと繰り返さなければ死んでしまうほど、自分は何かを、与えただろうか。知りたいような気もするが、知ってしまえばきっと、後悔するだろうとも思った。そんなことを聞くよりもさきに、言うべきことがあるはずだ。どこかへ行け、でもよかったし、二度と言うな、でもよかった。
山崎は考えこむように黙り込んで、小さな呼吸で高杉の肌を擽る。その呼吸の感覚が次第に深く、ゆっくりとしたものになり、答えがちっとも返らないので、眠ったのか、と高杉は安堵した。髪を優しく撫でてやる。
「……晋助さん」
「……なんだ、起きてたのか」
「はい。だって、聞いたでしょう」
聞いたがそれは別に、答えなくてもいいのだ。止めようとする高杉の言葉よりも一呼吸だけはやく、
「あのね」
山崎が喋り出してしまう。
「晋助さんが、俺を拾ってくれたので、俺のすべては、あなたのものになったんです。それが嬉しくて、うれしくて、好きで好きで、仕方がない。ねえ、これは、」
「…………」
「これは、恋かな。どうですか」
好きだ好きだと繰り返すので百万遍好きだと言えば相手を殺せる呪いがこの世のどこかに存在するのではないかと長らく高杉は疑っていたが、そういう呪いは確かにあったとこの夜ようやく確信する。
「俺みたいなのを拾ってくれた、あなただから、好きなんです」
そんな呪いを最後にかけて、高杉の返事を待たず、山崎はゆるゆると眠りの淵へ沈んでいった。高杉の着物を握っていた指からは力が抜け、ぽてりと布団の上へ落ちる。まあるく曲がったその指に自分の指をそっと絡めて、高杉は深く息を吐いた。
(ああ、……)
そんなことを言われたら捨てれもしないではないか。