酔っぱらいの大人たちのつまみを買いに寒い中、子供ふたりでおつかいに来ている。ここ最近暖かい日が続いたので油断をしていたら、いつのまに季節が逆戻りしたのか骨が凍るほど寒かった。吐く息が白い。はらはらと白い雪が舞っている。歩くたび足の下で、ぎゅ、ぎゅ、と雪が鳴る。
「もっと近くにコンビニ出来ないですかねえ」
 鼻の頭を真っ赤にしながら、懸命に舌を動かして山崎が言った。
「そうだなあ」
「最初の頃は、さあ、大所帯になったらもっと広いとこに移れるかも、とか、思ってましたけど」
「もっと武勲が取り立てられれば、ターミナルの近くに行けるかも、とかな」
「そうそう。高層ビル、みたいなさあ、そういうとこ。でも、だめですねえ」
「だめだなあ」
「上ふたりが、新しいもの嫌いだし」
「あれァ嫌いなんじゃねえよ。わからないから、怖いんだ。もうおっさんだから」
「でも局長も副長も、あれで、インターネットとか好きじゃないですか」
「あんなの、きょうび爺婆でも使えらァ。近藤さんも土方さんも、でっかいビルに一週間閉じ込めてみろよ。きっとげっそりして帰ってくるぜ」
「で、言うんですよね。武士たるもの地に足をつけ云々」
「冷たい板間で竹刀を振る稽古こそ云々」
「ほんとに、ねえ。人は、増えたぶんだけ、減ってくし」
「そうだなあ」
 真選組という組織ができてからもう長いこと経つが、組織は一向に大きくならない。任される仕事は結局幕府のための掃除係のようなもので、正義の欠片もあったもんじゃない。一応幕府の直轄だし、帯刀だって許されるし、給料だって安くはないので人は増えるが、すぐに減る。一度入ったら除隊は決して叶わない真選組の門をくぐって、帰ってこないのは死人ばかりだ。増えた分だけ減って、減った分だけまた増やす。隊の編成をそのたびに細かく変えて、冷たい板間で竹刀を振って、世のため人のため武士たるものは、と戯言を言う。
 そんな組織の中で、ふたりはずっと一緒にいる。
 給料なんてものは結局のところ年金払いの遺族手当で、命をかけた能力主義の隊内では、ふたりより年下のものは長く生きることがなかった。まったくいないではなかったけれど、当然すぐにいなくなる。沖田と山崎の例があるから最初は検討だけでもと言っていた近藤も土方も、あるときを境に若い者を取るのをやめた。沖田と山崎の例なんて、例外中の例外なのだ。
 だからふたりは自然と、二人で一つの扱いをされ、子供と大人で切り離され、ずっと一緒にいるようになり、人を殺した冷たい夜に互いの布団にもぐりこむうち、互いが互いをひどく大切だと思うようになっていた。
 大切で、ずっと一緒にいたくて、笑っていて欲しくて、触れていたくて、泣いてるときは抱きしめてやりたくて、泣きたいときはそばにいて欲しい。
 それはきっとふたり一緒だった。
(……一緒だったんだけどなあ)
 屯所からだいぶ離れたコンビニまでの距離は、ようやく残り半分だろうか。かじかむ指をコートのポケットに押し込んで、沖田は白い息を吐く。
(……ひどいなあ。俺だけ)

 ずっと一緒だったのに、沖田の思いだけいつの間にか、当然のように恋になった。

 昔ながらの古い宿舎で道場の寒さが大好きで黴臭い押し入れだって資料室だって本当はとても大切で、何にも変わって欲しくないのに、ずっとこのままでいたいのに、みんなと一緒にいたいのに、気持ちだけ勝手に変わってしまった。
 ポケットの中で手を握る。冷たく凍えた指先に山崎が白い息を吐きかけている。赤く染まったその指先こそ、本当は握ってしまいたいのだ。
 これは悪いことだろうか。沖田はずっと考えている。
 大人と子供で切り離されて、仲間は相手しかいなくって、悲しいも苦しいも寂しいも悔しいも言葉にしないで慰め合って、刀を抜きあって喧嘩をして、おそろしい夜は一緒に眠った。そんな距離にいる相手を思う気持ちが恋になる。これは悪いことだろうか。
 良いことではない。きっと良いことではないのだ。聡い沖田は考えこむ。これは結局のところ、恋というより依存に近くて、自分に何よりも近い人を他の誰にも渡したくないから、その子供じみた独占欲を恋の言葉で歪めただけだ。きっとそうだ。たくさんの人が死んでいくのをずっと近くで見ているから、自分に近すぎる相手のことを失うのが怖いだけなのだ。
(あー、でも、すき。すきだ。好き、山崎)
 ぎゅ、ぎゅ、と雪を踏みながら歩くので、ふたりの歩いた後ろにはふたりぶんの足跡ができている。同じような歩幅で歩く、それさえも消えて欲しくない。
「なあ」
「はい」
「手袋しねえの?」
「しないですねえ」
「なんで」
「え、なんか、もごもごするし。あと、手袋しても指の先っぽって結局冷たくないですか。俺、あれだめなんですよね」
「ええ、そうかあ?」
「そうですよ。あと俺、靴下も嫌い。もごもごするから」
「あ、それ言おうと思ってた。お前いい加減、冬に素足でいんのやめろよ。見てて寒い」
 寒そうな素足が目の前にあると触れてしまいたくなるから、とは言わない。
 言えばどうせ、触ればいいじゃないですか、と返されるのは分かっているからだ。
 そういうことじゃあないのだけれど。
「あー、さっみい」
「さみいなあ」
「みんな今頃、暑いとか言って脱いでますよ、きっと」
「うっぜえー」
「あつあつのおでんとか、そういうのばっか買って帰りましょうか。そんで口んなかつっこんでやりましょうか」
「あーおでんなあ。おでん食べたい」
「おれ大根」
「たまごだろ、そこは」
「じゃあ半分こ」
「うん」
 へへ、と山崎が嬉しそうに赤くなった頬を緩ませた。一緒に嬉しくなって沖田も緩く笑う。山崎は、はあ、と白い息で指先をあっためながら、からしいっぱいつけていいですか、と楽しそうに算段している。指の先が赤く滲んで、きれいだけれど冷たそうだ。コートのポケットから手を出して、握ってしまいたい。山崎は別に、嫌がらないだろう。触れたって、それはふたりの間では、別に普通のことだろう。
 けれど、そういうことじゃあ、ないのだ。もう、沖田は、そういうことじゃなくなってしまっているのだ。
 あともう少し歩いたら、コンビニの明かりが見えてしまう。酔っぱらいの大人たちは子供二人にたくさんの駄賃をくれたから、きっと山崎は嬉しがって、たくさん食べ物を買いこむだろう。沖田だってきっとそうだ。コンビニについたら、二人で菓子の棚を占領して、食べたいものも食べたくないものも、いろんなものを買ってしまう。そしたらすぐにコンビニの小さい袋はいっぱいになるだろう。それを両手に抱えて帰れば、もう手は繋げない。繋げなくなってしまう。
 あともう少しの間、我慢すればいいのか、それともあともう少しの間だけでも、手をつなげばいいのか。
 どうだろう。と思案しながら、沖田は手をポケットから引き抜く。
 冷たい指がかわいそうだからあたためてあげるだけなのだ。山崎と沖田はふたりでずっと一緒なので、山崎の冷たいは沖田の冷たいだし、沖田のあたたかいは山崎のあたたかいでなければ。
「山崎」
「はい?」
 首を傾げて山崎の目が沖田を向く。沖田はほんの少し息を止めて、山崎の口元にある指を、そっと手の中に握り込んだ。並んで歩くふたりの体の真ん中で、ぎゅうと繋ぐ。ひどくつめたい。
「あー……はは」
「何でィ」
「うん、いやあ、ね、はは」
「はっきり言えよ」
「うん、あのね」
 手を繋がれた山崎はやけに嬉しそうな声を出し、沖田の問いに口ごもって、それでも顔を緩ませて、赤く染まった唇で、
「沖田さんが手を繋いでくれたらいいなあ、と思って、手を外に、出していました」
 とんでもないことを言って、また嬉しそうに、ふふ、と笑った。笑い声に合わせて二酸化炭素が白く空気に溶ける。沖田は驚いて、驚きすぎて足を止めないことだけに必死になった。うまい言葉も思いつかなかったし、笑い飛ばすのも難しかった。
 人が絶えず死んでいくのにそれでも刀や武士や侍や、そういうものに固執する一種歪んだ世界の中で、ふたりはずっと一緒にいたから、気持ちまで歪んでしまったのだろうか。心臓が変に脈を打ち、沖田は渇いた喉に唾液を送り込んだ。
 悲しいも苦しいも寂しいも悔しいも全部ふたりで分け合ってしまったから、歪んだ気持ちまで移ってしまった。山崎のそれが恋なら自分のせいだ。沖田は泣きたいくらい後悔をする。これは悪いことだろう。きっと、良いことではない。なのに山崎に移してしまった。
 だけど、泣きたいくらいに嬉しいのだ。心臓が頭の中でもうるさくて、上手く言葉が作れない。
 代わりに繋いだ手を引いた。ふたりの足跡が少し近づく。山崎が笑ったままで沖田の方へ顔を向けるので、沖田は思わず目を閉じて、その唇にキスをしていた。
 赤く渇いた唇がかわいそうだったから、それだけだ。そういう言い訳も用意した。

「……わ、…ぁ」
 唇を離し、面喰った山崎は小さな目を大きく見開いて、自由な方の手で唇を少し撫でる。どうしようという気持ちと、これでいいのだという気持ちと、後悔と、それからもっと、言葉に出来ない、駈けだしたいような逸る気持ちが沖田の中で混ざり合って溶け合って、握った手ばかりに力がこもった。普段なら、痛いときは痛いと文句を言う山崎が、今はただ呆然と唇を柔く触っている。
 新しい物が嫌いなのも変化が嫌いなのも大人ではなくて二人の方だ。今まで通り今までの場所で今までのようにみんなと一緒にいたいのに。同じようにいたいのに。なのにこんな、変わってしまった。どうしよう。どうすればいいだろう。唇をじんわり痺れさせる熱と、頭を真白にさせていく衝動で呼吸が出来ない沖田の耳に、しばらくしてやっと、山崎の声が届いた。
「……沖田さん、ずるい。自分だけ平気そうな顔して、ずるいです」
 はあ? という顔を沖田はしただろう。何を言っているのだ、といっそ不思議な気分だ。それでも山崎の顔が見れなくて、「うん」と曖昧な返事をする沖田に、なおも山崎は言い募る。
「俺明日、忙しいのに、今日ははやく寝たかったのに。寝れなくなっちまう。ばか」
 言い終わると同時に、山崎は沖田の手から逃げ出した。するりとあっさり離れた手に、思わず沖田は足を止める。
 ごめんと口にしかけた後悔は、けれどすぐに、山崎の笑顔に止められた。
「俺、肉まんも食べたいです」
 コンビニの明かりがすぐそこだった。山崎は逃げたのではなくて、二人の時間が終わっただけだった。
「……俺ピザまん」
「ええー邪道。せめてあんまん」
「いいぜ。半分こな」
「うん」
「山崎」
「はい?」
 こほん、とひとつ咳払い。笑いだしたいような叫び出したいようなそんな焦燥感の半分は後悔で半分はきっと違うだろう。これは良いことではない。きっと、良いことではない。歪んだ気持ちにきれいな言葉を当てはめただけで、きっと、きっと、悪いことだ。だけど。
 正義の味方ではないけれど、今ならきっと世界を救える。子供のようなきれいな気持ちで、沖田は笑って、それから言った。

「お前のことが好きだから、俺は毎日眠れなかった。お前も今夜一晩くれえは、俺のことだけ考えてろよ」

 山崎は笑って頷いた。