「一生叶わなくたっていいんです。あんたが俺のものになるだなんて考えただけでもったいない。目をかけてくれるだけで俺は幸福なんですから。そりゃあ確かに殴られりゃ痛いしなんだこいつ最低じゃね、と思うこともありますけど、それでもあんたが好きなんです、ごめんなさい。叶わなくたっていいんです。だってそんなのもったいない。あんたは俺なんかが手に入れられるような人じゃあないんだ。わかってるんです、でも好きです。ごめんなさい」
 そこまで言って、山崎はやっと息を吐いた。
 目元が少し赤くなっている。酒の匂いがする。珍しく酔っているのだな、と土方は冷静に考えている。
 興味深かったのでちょっと手を伸ばして畳の上にあった山崎の指に触れた。ら、山崎の体が大げさにびくりと動いて、さっと手が隠された。一瞬触れた指は、熱かった。酔っているのだな、と冷静に考えている。
 山崎は土方に触れられた手を隠すようにして、それでも傍を離れず、おずおずと土方を見上げた。酒の匂いがする。何だってこんなになるまで飲んだんだ、と土方は少し苛々している。明日の業務に支障が出るのではないか。
「……好きなんです」
 言葉の続きのように、ぽつりと山崎が言った。
 何だかやけに悲壮な響きだった。
「ごめんなさい、好きなんです。気持ち悪ィですよねすいません」
 山崎が頭を下げる。丸っこい後頭部が土方の目に入るほど深くだ。
 その後頭部をがしがし撫でてやりたいような気が、少ししている。けれど同時に思いっきり殴ってやりたいような気もしている。触りたい、ということだけはっきりしている。殴った後で撫でてもいいな、と思ったが、結局土方は手を伸ばさずじまいだった。
 手を伸ばすより先に、山崎が顔を上げたからだ。
「……ごめんなさい。お願い、キスだけさせてください」
 確実に酔っていなければ口にできないようなことを山崎は言って、先ほど隠した指で、今度は自分から土方の手に触れた。ためらうように甲に触れ、触れた瞬間びくりと離す。極端に冷たいものか熱いものかにでも触るような、恐る恐るとした仕草だ。
 手に触れて、息をついて、山崎は黙ったままの土方を見上げる。
 ちょっと泣きそうな顔をしているように見えるのは酒のせいなのかどうだろうな、と、土方はやはり冷静だ。
「上手くしますから。ごめんなさい。目瞑っててください。お願い」
 女だと思えば多少はやり過ごせませんか…? 不安げにそう言って、土方の答えを待たずに指が土方の頬に触れる。指先が、やけに熱い。その熱に促されるように目を軽く伏せた土方の唇に、山崎の吐息がまず触れて、しばらくしてから躊躇いがちにやわらかな唇がそっと触れた。誘うように唇を開けてやれば、指よりもずっと熱い舌が土方の口内に滑り込む。
 土方は薄く目を開けて、近い距離で山崎の顔を見つめた。
 目元が赤く染まっている。熱心に舌を蠢かしている目を硬く閉じている。少し舌を動かしてやればその眉間に皺が寄る。目尻に涙が滲んでいる。きっと酔っているせいだろう。
 きっと酔っているせいだろう。
 だからこんなことをするのだろう。
 腰に腕を回そうかどうしようか悩みながら土方は考えている。
 冷静に考えている。頭の中全体が鈍く痺れたようになっていて熱はあまり感じない。白い靄がかかっている。事実だけしか把握できないし簡単なことしか考えられない。
 きっと、酔っているからこんなことをするんだろうな。
 宣言通り巧みな舌の動きを楽しむこともできない。本当はさっさと主導権を奪って山崎の体を押し倒して唇と言わず耳と言わず首筋と言わず全身に舌を這わせて眉間の皺にもキスしてえな、と思っているが、それもぼんやりとしている。
 ああ酔っているのだ。
 きっと明日になれば山崎はこのことを忘れているだろう。
 忘れていなかったとしても。土方は明日になれば何事もなかったかのように振る舞わなければならない。
 そんなんおめえの夢だろ馬鹿か、と、言えるくらいでなくてはならない。
 だって山崎は酔っている。酔っているから土方にあんなことを言ってこんなことをする。それを素面の山崎が知ったら、きっと死んでしまいたいと思うだろう。
(一生叶わなくたっていいとかそんなおめえの都合なんか俺は知ったこっちゃねえけどそれはおめえにとって絶対なんだろ。めんどくせえ。死んでしまえ。自分勝手にも程がある。おめえは俺を好きだと言うが、俺がこれでおめえを好きだと言えば、おめえは死にたくなるんだろう。俺を汚した気でいる。自分の気持ちが俺を変えたつもりでいる。自惚れにも程がある。おめえが俺を好きでなくとも俺はおめえを好きになったのに、おめえはそれを認めないだろう。自分のせいだと自分を責めるだろう。俺はおめえのものになってはいけねえんだろう。俺がお前を好きでいては、おめえは俺を、好きでいられないんだろう)
 まったく面倒くせえ、と唾を吐き捨てたい。
 できることなら俺だって酔いてえ、と思うのに、山崎から漂う酒の匂いで、土方の頭はますます冷静になっていく。
 とりあえずこんなになるまで酒を飲ませた奴はどやさなければなるめえな。と、思っている。息が苦しくなったのか、山崎がやっと唇を離して、はあはあと荒い息をついた。だら、と唾液が零れて土方の着物を汚した。そんなことにも気付かないくらい山崎は酔ってふわふわとしている。濡れた唇を噛み切りてえな、という欲望と、土方は静かに戦っている。
 抱きしめてえな、唇を噛み切りてえな、顎に噛みついて首筋に噛みついて鎖骨あたりに吸いついてもっかい優しく抱きしめて俺も好きだと言いてえな。
「……好きです、土方さん、好きです。ごめんなさい。俺なんかがあんたを好きでごめんなさい。気持ち悪くてごめんなさい」
 濡れた唇をぐい、と手の甲で拭って、泣きそうな声で山崎が言った。
 ごめんなさいと謝るくせにあんまり近い距離にいるものだから、土方の頭はどんどん痺れていく。
 少し腕を伸ばして腰のあたりに触れたら、山崎がびくりと体を揺らして、ますます泣きそうな顔をした。
「……殴るし怒鳴るし乱暴だし横暴だしひどい人なのにどうして俺はあんたが好きなのかな。どうしてこんなに好きなんだろう。ごめんなさい、頭おかしいんです、そんくらい好きだ。ごめんなさい。聞かなかったことにしてください。好きですすいません」
 だったら言わなきゃいいじゃねえか、と土方は苦い顔をして、口の中で少し舌を動かした。山崎の残して行った酒の味がする。ああさっきまで長ったらしくキスをしていたのは夢ではなかったんだな、と妙なところで再確認をする。
 好きです、と、ごめんなさい、を繰り返しながら、山崎は深く頭を下げる。謝っているのか泣いているのかよくわからない。丸っこい後頭部に触れたいという思いだけ土方の中にある。
(触りてえな抱きしめてえな優しくしてえな、俺はおめえが好きなのにおめえはそれを許さないなんて傲慢にもほどがある。触って抱きしめて優しく頭でも撫でて、そしたらきっとこいつは絶望したような顔をするだろう。まったく殺してやりてえな)

      (09.06.01) たったひとこと言わせておくれ あとでぶつともころすとも