空が青い。
 瞼を閉じればほのかに明るい。
 開ければ青い。
 少しでも身じろぎをすれば流れ出した血が付着して気持ちが悪いのでなるべくじっとしている。
 傷はおそらく深いだろう。血もだいぶ流れたような気がする。正直起き上がる気力はもうない。情けないことである。このままここでじっとしていればいずれは死ぬだろう。
 叱られるだろうな、と思ったが、全ては自分が死んだあとのことなのでどうでもよい。ただ、もしかしたらあの人は泣くだろうか、と少し思って、それは嫌だな、と溜息を吐いた。拍子に少し首が動いて、ぬちゃ、と血が髪に貼りついた。気持ちが悪い。
 泣くだろうか、というのは、驚くほどの自惚れである。わかっているがそれだけ気がかりだ。目をゆっくりと閉じてゆっくりと開く。泣かれるのであればそれは嫌だなと思うのに、平然とされればそれも辛いな、とは、ひどく我儘だろう。こんな傲慢なことを考えているだなんて知れたらきっと殺されるな、と思って少し笑った。肩に大きくできた傷がその動きで痛んだ。笑いを引っ込める。殺されるだろうが、まあ、知られるより先に自分は勝手に死ぬので、やはり、どうでもいいことだ。泣いて欲しくはないなあ、とやはり生意気なことだけ、もう一度思った。
 もうだいぶ長いことこうして空を見上げている気がするのに、空模様が一向に変わらない。
 青が紫にならないどころか、雲の位置まで、さして変わらないのである。死ぬ前には時間がゆっくりと流れるというから、もしやこれはそれかも知れないな。であればやはり自分は死ぬのだ。20年と少しか、生きてきたが、意味のある人生だったか、どうか。こんなところで誰とも知らない人間に斬られ転がって死ぬなんてろくな人生でなかったとも思うが、人に嘘を吐くこと以外に取り柄のない自分がここまで生きてこれただけ、あるいは立派なのかも知れない。
 よい主人を持ったおかげだな。
 笑えば肩の傷がずきりと痛んだ。


 空が青いので目を閉じる。夕暮れが来る前には死ぬだろうか。今日の夕飯は何だったか。自分の好物ではなかったか。だとしたら少し惜しい。自分のリクエストが通ることなんて滅多にないのだし、どうせ死ぬなら明日がよかった。くだらないことを考えながら瞼を透かして空の明かりを見る。閉じた暗い視界の中で光がちらちらと動く。
 こつ、と足音が響いた。
 ちらちらと動いていた光が翳ったと思ったら、
「山崎」
 不機嫌そうな声が、まっすぐ山崎の上に落ちた。


「……副長、お疲れ様です」
「何してんだ」
「……ひでえ格好ですよ。帰ったらちゃんと、制服、クリーニングに出してくださいね。あ、でもスカーフ、こないだクリーニングから返ってきたのそのまんまにしてあるから、使うときは、タグ外して下さいね」
「おめえがやれ」
「だって俺もうすぐ死ぬんですよう」
 長いこと目を閉じていたような気がするので、まぶしいかな、と思ってゆっくりと目を開けたがそんなことはなかった。黒い隊服を血でぐっしょりと重くした人が、山崎を覗きこむように影をつくっていたからだ。
 逆光になっている顔に濃い影ができて、端正な顔を強調している。
 血塗れでなかったらもてるだろうな。いや、血塗れであっても、もてるのか。
「どこやられた」
「右肩」
「馬鹿。しばらく刀、握れねえな」
「つうか、死ぬから、関係ねえですよ」
 云い募る山崎に、土方は少しむっとした顔をした。山崎を冷たい目で見下ろす姿が、なかなか様になっている。もとが良いと何をしても様になるようにできているのだ。嘘を吐くことくらいしか取り柄のない自分とは、違うのだなあ、と山崎は馬鹿のように感心をした。それでもそんな自分をわざわざこうして構うあたり、妙な趣味をしている。やはり人間と言うのは、どこかに欠点がなくてはいけない。
「誰が死んでいいって言ったよ」
 本当に不機嫌そうな低い声を、土方は出した。
「はあ。俺が死ぬのに、副長の許可がいるんですか」
「……おめえまさか、てめえの命がてめえのもんだなんて思っちゃいめえな」
 低い声で言いながら、土方は前髪を掻き上げる。ぐしょりと血に濡れているので、一度掻きあげれば長い前髪は降りてこない。なので、山崎からは、冷たい目がよく見えた。ひどい、人殺しの目なのだ。けれどその奥に何やら熱い情、のようなものが、見え隠れしている。
「おめえの命は俺のもんだ。持ち主の許可なく、勝手に死んでいいことがあるか」
 吐き捨てるように言って、そのあと不意に優しい声になり、
「覚えておけよ」
 言って、土方は手を伸ばした。
 掴まれ、とでも言いたそうだった。
 伸ばされた腕の、先の手の、その指先に触れるためにそうっと手を伸ばせば、肩の傷が痛んだ。触れた指先は互いに血に濡れていたが、血で隠されていた指先が冷たかったので、ああこれは暖めなくてはな、と、義務のように、山崎は思った。冷たいままでは凍えてしまう。これは、自分が傍にいて、暖めなくてはいけないのだ。
 触れた指先が少し絡んで、そのあとぐっと手を握られた。肩に、全身に力を入れて、引き上げられるまま体を起こす。
 ぬちゃ、と血が肌と服を汚していて気持ちが悪い。肩のあたりが一番重い。やはり血は、沢山出ている。けれどどうも傷は浅い。
「副長」
「あ?」
 血まみれになったアスファルトに片手をついて、持ち上げられるのに合わせて立ちあがる。固まりかけた血に靴が滑る。
「さっきの、さあ、すっげ、口説き文句ですね」
 口にしたら少し照れて、山崎はへへ、と笑った。緩みきったその顔を見て土方は一度呆れた顔をして、それから少し、口の端を上げた。
「ときめいたか」
「はい、結構」
「そうか」
 そりゃあ、いい。楽しそうに土方は笑って、そのまま歩き出す。
 そのまま、というのは、山崎の手を握ったまま、ということだ。
 空が青い。
 まばたきをする。
 睫毛にも血が付いているのでごわごわとする。
 弱く風が吹く。
 誰のものか、もう、誰にもわからない血の匂いがする。
 繋いだ手を引かれているので、肩の傷はやはり痛んだ。血はどうやら止まっているかのように思えたが、それでもやはり、べたついて気持ち悪い。
 が、まあそれもつまり、生きているということだ、と思って、山崎も少し笑い、繋いだ手に力を込めた。

      (09.06.15) たったひとつの命のあかり 昏れりやあなたがつけにくる