友達がいない自覚はあった。
 幼いころよりひとりきり姉に甘やかされて育てられた。姉のことが大好きでいっときもそばを離れたくなかったので自然遠出もしなかった。家の周りには遊べるような同年代のこどもはいなかった。
 そもそも同年代のこどもなんてガキくさくってやってらんねえ、と馬鹿にしている節があった。道場では才があると言って褒めそやされていたが、それも別段、こどもらしく喜んだり自慢に思ったり調子づいたりということも、なかった。褒められると姉が嬉しそうなのでそれだけ嬉しかった。たまに道場に来る同年代のこどもはすぐに泣きうるさくくだらなかったので、それを見ると、友達なんていらねえや、と思うのであった。
 気づけば周りには大人ばかりがいて、まあその大人というのは体ばかりが大きくて頭の中身や心のありようはまったくこどものようなものでもあったのだけれど、ますます友達と呼べる存在はできづらくなった。姉がそれで少し悲しい顔をするのだけが気がかりだったが、その頃にはもう、友達の作り方なんかまったくわからないようになっていて、変に大人ぶった嗜虐趣味だけが頭を覗かせていたので、姉がいくら悲しそうでもそれを安心させてやることが、できなかったのだ。
 そんな生き方をしてきたので変な方向に歪んでしまったのだな、と沖田は考えている。
 消毒液をたっぷり含ませた脱脂綿を、考え事のせいで強く傷口に押し付けてしまったので、山崎がぎゃあ! と悲鳴をあげ、それでふっと我に返った。
「いたいいたいいたい沖田さん痛いです!」
「うっせえや、こんくれえ我慢しろよ」
 暴れる山崎の腕をぎゅっと掴んで、わざと傷口に消毒液をしみこませてやる。山崎はよほど痛いのか唇を噛んでふるふる震えている。
 これを、こんな風なのをかわいいとか思うのも、やはり歪んだ趣味なのだろうなあ。
 溜息を押しかくして脱脂綿を離せば、力を抜いた山崎が半泣きで沖田をじとりと睨みつけた。
「痛いです」
「殴られるよりなんぼかマシだろィ」
「殴られていてーのに治療でいてーんだったら俺がかわいそうです」
「おめえのかわいそうなんて知ったことかよ。ほら、目つむって」
 新しい脱脂綿に新しく消毒液をしみこませて顎で示せば、山崎はふてくされたような顔をしながらそれでも大人しく目を閉じた。目の横に出来た擦り傷に、沖田はそっと脱脂綿を当てる。
 なるべくしみないように、優しくだ。
 傷口に脱脂綿が触れた瞬間、山崎がぴくんと動いて目がぎゅっときつく瞑られる。
 震えている睫毛をじっと見つめて、キスしてえな、と思うのがあまり普通のことでないとは、沖田だって知っていた。
「……なんでおめえなんだろうな」
「え?」
 ゆっくりと脱脂綿を離しながら、溜息に混じらせ零せば、恐る恐る目を開けた山崎が首をかしげて「何か言いました?」と聞く。なんでもねえよ、とごまかして、沖田は血で少し汚れた脱脂綿を屑かごの中に放り込んだ。
 なんでよりによって、こんなんなんだろうな。
 いてえいてえと言いながら目元の傷に絆創膏を貼る山崎を、沖田は呆れた心持で見つめる。
 なんでよりによって、こんなんなんだろうなあ。まったく自分に呆れてしまう。ちょっとこれは生き方っていうか人との付き合い方不器用すぎじゃね? とさすがに思うわけであって。
 友達はいなくても暮らしている場所が男所帯だから、女をどうこうする手順に対して知識はあった。けれどもそれも悲しいかな手順だけで、そもそも相手が女でない場合どうすればいいのかなんて誰も教えてはくれない。いや、聞いたら誰かひとりぐらい教えてくれそうな気もするが、逆に教えられたらちょっと引く。
 どうこうする手順が知りたいんじゃなくてさあ。
 沖田は山崎の手から絆創膏をそっと奪って、まだ傷口がさらされている腕を掴んだ。山崎がくすぐったそうに笑うので心臓が跳ねる。
 どうこうする手順が知りたいんでなくて、どうやったらそばにいれるかなあ、とそういうことを考えている。
 同年代のこどもはみんなガキくさくってとてもじゃないが付き合ってられないと思っていたけどそうやって周囲を拒絶して大人ぶっている沖田の方こそガキで、それが証拠に今、こうやって、山崎との距離感だってつかみあぐねているのだ。
 だって、そばにいたいと思ったのなんて、明日も明後日も会って喋って笑いたいと思ったのなんて、生まれてはじめてだ。
 なるべく優しく山崎の腕の傷口に絆創膏を貼りつけてやれば、山崎が嬉しそうに笑って空気を揺らす。抱きしめてえなあと思うけど、腕が動かないのはこわいからだ。
 距離感を掴みあぐねていてどうすればいいかわからなくて何だか何ひとつ取ってみても嫌われるんじゃないかとそういう気がしているのである。
「ありがとうございます」
 にへら、と緩い笑みを浮かべて、山崎がちょっと頭を下げた。
 どういたしまして、と肩を竦めて、沖田は救急箱を閉じる。
 山崎は何が嬉しいのかふふ、と笑い声をあげて、たった今沖田が貼りつけたばかりの絆創膏を指先でそうっと撫でた。
「何?」
「いえ、なんかね」
「うん」
「うれしいです」
「は?」
 へへ、うれしい。と山崎は緩い笑みを浮かべて、沖田をちらっと見てからちょっとはにかんだ。何なのお前気持ち悪いと誰かが見たら思うかも知れなかったが残念ながら沖田の心臓はときめいてしまった。ああやっぱりちょっと歪んでいる、とうんざりする。
「沖田さんはさあ」
「うん」
「そんなに俺を嬉しがらせて、どうしたいんですか?」
 困ったような響きで、山崎が言った。何か大切なものに触れるように沖田の貼った絆創膏に指先だけで触れている。
 どうしたいって別に、どうにかしたいわけでもねえよ。と、言おうと思ったのに、なぜか言葉は沖田の喉に貼りついてはがれない。
 どうもしなくていいよ。ただ、嫌いにならないでいてくれたら、それでいいんだ。そう思うのに、山崎は、沖田の気持ちも知らずにちょっと笑ってそっと目を伏せて、
「好きになっちまいますよう」
 言った。
 普通に笑って、たとえば肩をどつきながら言ってくれたらいかな沖田でも勘違いはしなかったというのに、そんな、ちょっと目を伏せて言うものだから心臓が変な脈の打ち方をしている。苦しい。今すぐ力いっぱい目の前にある体を抱きしめたい、と思うのに、どうすればいいのかわからず、腕が少しも動かない。
「……俺、友達いねえんだ」
 全然関係がないような、けれどちょっとは関係があるような、どちらにしても話の流れからはどうでもいいようなことを、はぐらかすように口にした。それでさえちょっと口の中が渇いて不格好だった。舌で唇を湿らせる。
 沖田の言葉に山崎は驚いたように目をあげて、
「え、うそつき」
 と、ばかにするように笑った。
「うそじゃねえよ」
「うそですよ」
「うそじゃねえって。てめえ山崎のくせに」
「だって俺、沖田さんのこと友達だと思ってた」
 うそつきー、と、こどもがそうするようにふざけて言って、山崎が、沖田の髪の毛をぐしゃぐしゃと指でかき混ぜた。
 沖田は傷の手当てでくらいしか山崎に触れられなかったのに、それもすごく勇気がいったのに、あっさりと腕を伸ばし沖田に触れる。
 じわあ、と胸の中に何かがこみ上げて、からからに渇いていた喉が何か空気の塊みたいなものでつっかえた。
 友達、という響きに、喜ぶべきなのか悲しむべきなのかも、よくわからない。そばにいてもいいってことなのかなあ、と臆病者は、考えている。
 なのにやはり山崎は、そんなかわいそうに歪んだこどもの心も露知らず、
「友達でもなんでもいいけど、俺、沖田さんの一番になりてえな」
 と、とんでもなく甘いことを、言ったのだった。
 あ、言っちゃった、と笑う笑い方まで、冗談なのかどうなのかちょっと分からないくらいに朗らかに、甘く。

      (09.05.27) 惚れられようとは過ぎたる願い 嫌われまいとのこの苦労