行儀よく座って本を読んでいたり寝転がってだらしなく雑誌を捲っていたり戸棚を漁って食べ物を探していたり窓の外を眺めていたりさして汚れてもいない部屋を片付けていたりその辺の紙にらくがきをしていたり。そのらくがきというのも、自分と沖田の名前を並べただけのものであったり沖田のフルネームであったり全然似ていないへたくそな沖田の似顔絵であったり。
ともかく山崎はここ三日ずっとそうして沖田の与えた部屋で大人しく過ごしていた。
屯所からゆっくりあるいて10分といったところだろうか。
昼だったり夕方だったり夜だったり、沖田が様子を見に行くたびにぱっと顔をあげて嬉しそうな顔をし、
「沖田さん」
弾んだ声で言うのだけ、いつも決まっていた。
別に山崎の首には首輪ひとつついていなかったし体のどこにも拘束具はつけていなかった。鎖だって縄だってどこにもなかった。部屋の鍵は沖田が持っているけれど、普通のアパートの一室なので内側から開けようと思えばいくらでも鍵は開けられた。
それなのに山崎は出て行かなかった。
お願いだ俺はお前が好きでお前を一回どっかに閉じ込めとかなきゃ気が済まねえみたいなんだごめんねお願い一週間でいいから俺のわがままきいて。
そう、言っただけだったのに。
いいですよ、と山崎は笑ってうなずいて少しの着替えだけ持ってあっさり閉じ込められてしまったのだ。
あまりに簡単で、沖田はいっそ絶望した。
仕事が終わって夜になって、それでも山崎が待っている部屋へ行くのが何だか怖くて沖田はなるべくゆっくりと歩いた。
ドアを開けて山崎がいなかったら怖いな、と思う気持ちと、山崎が普通に笑っていたら悲しいな、という気持ちが、ある。どちらも身勝手だ。
なるべくゆっくり歩いたのに、そもそもなるべく屯所に近い場所に、と思って部屋を選んだので、結局すぐに着いてしまった。ポケットから鍵を取り出す。銀色の、冷たい、何の意味も持たない鍵だ。鍵穴に差し込んで左に回す。カチ、と小さな音がして鍵が開く。
冷たいドアノブを握って右に回す。
ドアを引いて中に入る。
狭い玄関に、黒い靴が行儀よく並べられていて、明るい電気のついた部屋から顔を覗かせた山崎が
「沖田さん、おかえりなさい」
と、やっぱり弾んだ声で言った。
「ただいま」
「遅かったですねえ、忙しかったです?」
ご飯出来てますよー、と、山崎は緩く笑う。何も考えてないような顔だ。沖田は何も言わず手を伸ばして、手の甲でそっと山崎の頬に触れた。山崎はくすぐったそうに笑う。
閉じ込めてから、もう三日。
一週間の約束だったから、まだ半分以上、残っている。
「……今日は、何してた?」
「本読んだり、昼寝したりしてました」
「……ずっと?」
「うーん。起きるのも遅かったし、活動時間自体が短いから、ずっとって言えばまあ、そうですね」
それよりごはん、あっためますか?
へらっと笑って山崎は頬に触れたままの沖田の手を握った。どうしました? と笑いながら首を傾げる。黙ったままの沖田の髪を山崎の指が柔らかく撫ぜて、
「大丈夫ですよ」
と、優しい声が言った。
髪を梳く山崎の指に促されるように、沖田は山崎を抱きしめる。
たった三日、ひとりにしておいただけなのに、なんとなくその体が細くなったような気がして、沖田は回した腕に力を込めた。
きっとそれは錯覚だろう。
山崎は別に何一つ変わってはいないだろう。
けれど怖い。
縋りつくような沖田の背中を山崎がぽんぽんと優しく叩いて、片方の手が頭を撫でる。子供にするように優しくだ。
「大丈夫ですよ、沖田さん」
「……何が」
「俺はねー、意外と神経は太くできているのです」
「……へえ」
「そんでまあ、いい連休が出来たと喜んでもいます」
「…………」
「読もうと思ってた本とかいっぱい読めたし。結構ねー、仕事の資料でも、何でか仕事中に読む時間がないっていう」
「……誰かが扱き使うからな」
「はは、そうそう。でね、だから、俺今結構らくちんっていうか」
だから大丈夫ですよ、と山崎は沖田の頭を撫でる。
山崎をきつく抱きしめたまま、沖田は、山崎の向こう側にある机の上をぼんやりと見る。
本と、紙が散らばっている。
その中できちんと綴られた紙の束がある。一番上の紙には報告書と書いてある。
潜入捜査、ということになっていた。
そう決めたのは山崎だった。
「ちょうど今報告出来るようなことが一個あって、でも急ぎじゃないし、大きな案件でもないので、ではこれを調べてるってことにしたらどうでしょう」
と沖田に言った。
そしたら一週間俺はずっと沖田さんの傍にだけ、いられます。
そう言って笑った。
あと四日経てば約束の日が終わるのでその日が来たらたとえ沖田が鍵をかけても山崎はこの部屋から出て行くだろう。
「……山崎」
「はい」
「おめえは優しいね」
「そうですか?」
「うん。そんで、ひどい」
「……はは。すいません」
抱きしめていた体を離せば、山崎は困ったように曖昧な笑みを浮かべて沖田を見つめる。
背中に回っていた手を取って、沖田は山崎のてのひらをじっと見つめた。
「何?」
「……いや、鈍っちまうなァ、と思って」
「……うん、そうですね」
「ミントンも、してえだろ」
「あー、まあちょっと運動不足みたいなことは。でも大丈夫ですよ。たまに休まないと」
「……そっか」
「うん、そうです。普段無茶に使われてっから、もう思いっきりだらだらしてやろうと思って」
「……でも」
「はい」
「……刀を、」
掴んでいた手をぎゅっと握れば、山崎が少し眉を下げる。
沖田はそんな山崎を少し見て、それから再び山崎のてのひらに視線を落とした。
「刀を、握んなきゃ、鈍っちまうな」
「……そうですね」
「おめえ、人を、斬れなくなっちまうな」
白いてのひらにいびつに残っている竹刀だこ。そうやって鍛えて刀を振って山崎はきれいに人を斬る。
滑らかとは言えない、けれど白くてうつくしく見えるてのひらに、沖田はそっと唇で触れた。
「俺ァ、やだな」
「…………」
「俺、おめえが刀握ってんの、嫌いじゃねえもん」
「…………」
「無茶ばっかさせられて、そんでも一生懸命に、馬鹿みてえに仕事してんのも、嫌いじゃねえ」
「沖田さん」
「俺お前のことが好きだよ」
ポケットには、何の意味も持たない冷たい鍵が入っている。
かけようとかけるまいと、内側から開けられては何の意味もない。
鍵をかけて、カチっと音がする瞬間だけ、沖田に小さな優越感をもたらす、ただそれだけの、悲しいくらいに無意味な鍵だ。
「逃げてもいいよ」
「沖田さん」
「…………タレコミがあって、近々大きな討ち入りがある。事前の情報収集のために、監察が何人か動いてくれた方が助かるんだと」
ぴく、と山崎の指先が動いた。
沖田は握っていたその手を離す。山崎の目が少し戸惑うような色を浮かべている。
「……これが本当だったら、おめえ、行くだろ」
「…………」
「今、仕事がなくて、ちょうどいい時期で、都合のいい言い訳だって用意できて、だからわがまま聞いてくれたんだって、俺ちゃんとわかってるよ。だから逃げてもいいんだぜ」
手を伸ばして、山崎の髪に触れた。前髪をかき分けて額に触れれば、山崎がぴくんと動く。
その指がゆっくりと、それでも確かに沖田の服の裾を掴んだ。
「……ごはん、食べましょう。あっためなおします」
「山崎」
「知ってますか? 俺、あんたのこと好きなんですよ」
「…………」
「だからわがままだって許すんです。本当ですよ」
だから大丈夫です、と、山崎はもう一度甘やかすように言って、沖田の髪を優しく撫でたので、沖田はやっぱり少し悲しかった。
こんな自分に甘くて優しい大切な人を閉じ込めておかなければならないほど好きになってしまったことが、身勝手だけれど、どうしても。