俺の全身には無数の傷があって大きいものから小さいものまで様々だ。俺はそれを誇りに思っているけれど俺を抱く相手にしてみればこんな体は気持ちが悪いのではないかと時々気になることもある。あの人は俺を抱くとき必ずと言っていいほど丁寧に俺の傷跡に口づけをしていくので余計だ。いとおしそうな顔をするときもあるが苦しそうな顔をするときもある。大きな跡に触れるときは大抵何かを堪えるような顔をする。
死にませんよと言うたびに、意味わかんねえよ、と誤魔化されるのだけれど、その言葉を口にするまでに不自然にあく間が真意を語ってしまっているのだとは、あの人自身もきっと気づいているだろう。
あの人のために作る傷があの人を苦しめるのかと思えば辛かったが本当は嬉しかった。きっと俺は嬉しかった。傷ひとつで、こんなちっぽけな命ひとつで苦しんでくれるほどあの人の心の中に俺があることが嬉しいだなんて、きっと歪んでいるのだ。ちっとも優しくない。これは愛ではない。
死にませんよ。大丈夫ですよ。事あるごとに口にするようになったのは、あの女性を知ってしまったからだった。儚く美しく透き通るようにきれいで、けれど芯の強い優しい女性。ああこれはあの人が好きになるのも道理だ、と思った。守りたくなるのも道理だ。守るために手放す辺り不器用で無骨で、らしいな、と思った。らしいな、と笑える自分が少し誇らしかった。悲しかった。それと同時に、だから自分なのかと気づいて胸の奥にあったつっかえがすとんと取れた気がした。女なんてより取り見取りだろうあの人が自分なんかに手を出したのは、ただの酔狂か、女に飽きたのか、面倒事を避けたいからか、どれかだろうと思っていたけれど、違ったのだ。ああ、俺が殴っても蹴っても斬りかかっても危ない場所へひとりで送りだしても死なないから、だからそれで選んだのだな、と知れた。
そばに置いていても死なないから、そして、守るべき対象ではないから、だから選ばれたのだ。きっと。
だったら自分は、あの人のそばにいることで辛い思いをすることがあってはならないし、苦しむことがあってはならないし、不幸になることがあってはならないし、簡単に傷ついてはならないし、先に死んではならないだろう。
女を相手にすればいいのに、と思っていた。今でもときどき思うことがある。
こんなに素敵な人なのだ。自分なんかにつかまらず、女を相手にして、きちんと好きになって、大切にして、守ることはこわくないことなんだと気づいて、遺伝子の一つや二つ残すべきだ。
けれどそれができない間は俺がそばにいてあげなければ。
手放さなければならなかったほど、手放した後は顔も見れなかったほど愛した人を失ったあの人が、次に、俺を失えば、きっと、二度とひとを愛せなくなるに違いない。
俺は、あの人が俺をきちんと好きでいてくれることを知っているのだ。そこに愛があることを知っている。俺はポジティブな人間なのだ。
けれど死ぬなら守って死にたいな。守られる対象ではないから、死ぬことがあるなら守って死にたい。あの人が俺より先に死ぬなんて耐えられない。
愛だの恋だの言うより前に、あの人は俺の守るべきひとだ。
生きる理由だ。出会ったときから。
ゆっくりと瞼を押し上げ、ゆっくりと瞬きを繰り返す。霞んでいた視界が徐々にはっきりとしていく。眠気がひどい。体中が痛い。見慣れた天井が目に映る。嗅ぎ慣れた煙草の匂いがして、そちらにゆっくりと目を向けた。緩慢な動作しか出来ない。
「……ひじかたさん」
声がおかしい。喉がねばつく。
「山崎、」
あおむけに横たわっている俺の枕元に胡坐をかいていた副長は、目を少し見開いて小さな声で俺の名前を呼び、ふつりと黙った。何かを堪えるような顔をしている。目が赤く腫れている。眼球が潤んでいる。
それで全部思い出した。
といっても、記憶があるのは途中までだ。まあそれも、仕方のないことだろう。こういう仕事なのだから、命が削れたりすることもある。
体が痛いのはあらゆる痛みを限界まで与えられたからで、眠気がひどいのは体が限界だからで、声がおかしいのは薬のせいだ。そして副長のこの様子は。人間観察なんて得意じゃなければよかった。一番見たくないものをみてしまったような気がする。
「……おれ、いま、死ぬ夢を見てましたよ」
「馬鹿、夢じゃねえよ。死にかけてたんだ」
「ああ、そうですね。そうでした……痛くなかったけど、こわかったです」
「……それァ、夢の話か。それとも、」
「やだなあ、夢の話ですよ」
小さく笑えば全身が痛んだ。もうどこが痛むのか分からないくらいどこもかしこも痛い。
「俺が死んで、葬式とかやってくれてんだけど。あ、前にも実際葬式あげられたけど。はは。でもやっぱ夢は、願望っていうか、すげえ立派な葬式を、あげてもらいました」
やめろ、と副長は掠れた声を出して、汗で額に貼りついた俺の前髪を指先で軽く払う。その指先がかすかに震えているのに気づいてしまって、俺はしばらくまばたきの仕方を忘れた。
「……なかなか、いい、夢でしたよ。あー俺、ここにいてよかったなあ、って、ここで死ねて良かったなあって、思いましたもん」
「山崎」
「でもこわかった」
まばたきをして、額に触れたままの副長の指にそっと触れる。少し動かすだけで全身が悲鳴を上げるが、構っていられない。俺のことはどうでもいいのだ。重要なのはそんなことじゃない。
指に触れれば、副長は少し目を細めた。軽く絡めれば副長の指に力がこもる。
目が赤い。腫れている。少し、潤んでもいる。声が小さい。掠れている。
こわい。
「土方さんが泣いてたから俺はすごくこわかった」
副長の顔が少し強張って、指にきつく込められていた力が少しだけ緩む。
さっと目を逸らされてそれだけで、ああやっぱりこれだけは夢ではなかったのだ、と確信が持ててしまって苦しくなる。
他の何が正夢であってもこれだけは現実のことであって欲しくなかったのに。
「俺が、死んだくらいで、あんたは泣かないでください」
「……死んだのは、てめえの夢の中でだろ。生きてんだろおめえは」
「副長、今のは泣いてねえよって文句つけるところですよ」
「…………」
「副長」
ずず、と、何か啜るような音が聞こえて、俺の方が泣きたくなった。
指は絡んだままだ。冷えているのは俺の指ではなく副長の指だ。
どのくらい俺がここで死にかけていたのかは分からないが、俺が目を覚ました時に、多忙な副長が傍にいる確率はいったいどれくらいのものだろう。
「……死なねえんじゃなかったのか」
震える声を聞きたくないのに、片手を繋ぎとめられているので耳が塞げない。
「……大丈夫なんじゃ、なかったのか」
「副長、」
「お前は、俺の、」
「副長お願いだから」
「俺の許可なしで、勝手に死のうとしてんじゃねえよ……」
震える声が、指先が、嬉しいと思ってしまう自分が俺はたまらなくこわかった。
ぱたりと畳に落ちた水滴が見えて本当に死んでしまいたくなる。
「……俺は、副長を守りたいんです。命の使いどころがあるのなら、副長のために使いたい。でも、俺はあんたが大事だから、あんたが苦しむのは嫌だから、土方さんより先に死にたくはないんです。どうすれば、いいですか」
副長がゆっくりとした動作で逸らした視線を俺の方へ戻す。頬が濡れていて胸が苦しい。
つなぎとめられた手はずっとそのまま。反対の手で、副長は俺の方をするりと撫でた。
「……生きてりゃいい。俺はおめえに守られるほど、弱くねえんだ」
顔が近付いて柔らかく唇が重なった。繋いだ指先は凍るほど冷たいのに、唇もひんやりとしているのに、吐息だけ熱い。伏せた睫毛が濡れているのを俺は目を開けてじっと見ている。
「名前を、呼べ」
「……土方さん」
「もう一回」
「土方さん」
「もう一回」
「……土方さん」
「……俺ァ、忙しいんだ。お前の様子なんか見てる暇、ねえんだ」
言いながら、言葉とはまったく逆に、再び唇が塞がれる。
俺はそれを、じっと見ている。
「だからさっさと、治しやがれ」
嬉しいけれど悲しい。夢の中で泣いていたあの姿を見て、俺は本当に目の前が真っ暗になって呼吸が止まる思いがしたんですよ。はは。死んでる夢なのにね。夢だからか。
俺の全ては矛盾しています。けれどそれは俺があなたを好きだからでどうしようもないことなのです。俺は嘘つきです。きっといつかあなたを置いて死ぬでしょう。でも、許してくれると、うれしいな。できればどうか泣かないで。
山崎が自分の死ぬ夢を見るお話、というリクエストで書かせて頂きました。
彼らは常に死の傍にあって生きていて、死についてきちんと覚悟をして刀を振るっていると思うので、自分の死ぬ夢を見ることはこわいことではないのだろうけど、これが相手の死ぬ夢だったらきっと起きても泣くだろうなあ、とか横道にそれたことまで妄想しました。
副長の傍に仕えたい、ということと、土方さんを好きで傍にいたい、というのは同じことのようで、実は真反対なことなんだろうなあと思います。
こういう話とても好きなので楽しかったです。ありがとうございました!