生ぬるい夜の風が肌を撫でる。
山崎は足を止め、鯉口を切った。
「人違いではあるまいか。私は真選組隊士、山崎退である。人違いであればよし、そうでないなら、」
湿気を多分に含んだ風が強く吹く。ざ、と響いた足音に山崎は軽く目を閉じた。ひとつ、ふたつ、みっつ……多すぎる。
見上げた空は生憎の曇り。
自分の不運を呪いながら、山崎はすらりと刀を抜いた。
人間ってえのは何日寝ねえと死ぬんだったか、と、土方は少しだけぼやけた頭で考えている。
指折り数えて、まあ三日くらいなら死にやしねえだろ、とは思ったが、たった三日を指折り数えなければ把握できない程度には疲れているという自覚はある。
まあそれも仕方がない。なんつっても三日寝ていないのは土方だけではないのだ。
しかしそろそろ帰ってきやしねえか、と顔を上げたちょうどそのタイミングで、ぎしりと廊下が一度鳴った。
それまでまったく気配を見せなかったくせに、突然近くで鳴った音に、土方は深く息を吐く。溜息ではない。安堵の息でも、ない。言うなれば疲労だ。やっとか、という。
「山崎退、ただいま戻りました」
夜に押し殺した低い声がこそりと部屋に入り込み、部屋の襖がほんの3センチばかり開いた。
「入れ」
許可を出し、煙草に火をつける。土方が一度深く煙を吸い込む間に、襖は人一人が通れるだけ音を立てずに開き、山崎はその間からするりと器用に部屋へ入りこんだ。
「遅くなりまして」
「まったくだ」
報告はもちろん、あるんだろうなァ。低い声で脅すように言ってやれば、山崎はにい、と口の端を上げる。どかりと胡坐をかいて煙草をふかす土方の前に折り目正しく座って、すっと背筋を伸ばした。
「報告いたします。虎子組、総勢23名、例の場所に潜伏中です。ここ三日の様子からして、動き出すのは明後日の深夜から明け方にかけてかと。聞き込みの結果、先日あった辻斬りも、虎子組一派の仕業だと判明しました」
こちらがその証拠です、と山崎は小さな録音機器を畳の上にそっと置き、土方の前へと押し出した。チャリ、とそれを手におさめ、
「ご苦労」
短く言った土方に、山崎は軽く頭を下げる。
その動きの違和感に、土方は軽く眉を顰めた。
「それでは、俺はこれで、」
「山崎」
「……何でしょう」
「てめえ、いくつ斬られた」
「…………」
「傷はどんだけだっつってんだ。答えろ」
煙草の煙とともに吐き出された土方の言葉に、山崎は口を引き結ぶ。が、逸らされない土方の視線に耐えかねたのか、しぶしぶといった様子で溜息を吐いた。
「いくつとか、数えちゃいませんよ。深いのはふたつ。肩と足です。応急処置は済んでますから、問題ありません」
「相手は」
「さあ、名乗られませんでしたので。虎子組の人間じゃあないので安心してください。見たことのない顔でしたから」
「斬ったろうな」
「当然でしょう。そうでなけりゃ、俺が殺される」
あなたにね。小さな笑いを混ぜて、山崎は言った。傷が痛むのか、笑い方が少し控えめだ。
半分ほどの長さになった煙草を、土方はぎちぎちと噛んだ。
「おい」
「なんですか。休ませてくださいよう」
「寝ろ」
「は?」
「そんな傷でうろうろすんじゃねえ。寝てろ」
「……だから、部屋に帰るっつってんでしょ」
そうじゃねえよ馬鹿か。苛つきをにじませた土方の声に、山崎が顔を顰める。それに構わず土方は、襖の開け放たれている部屋の奥を指差した。
「ここで、寝てろっつってんだ」
山崎は首を動かし、土方の指の先を見やる。土方の布団が端まできちんと揃えられて敷かれているのを見て、ますます顔を顰めた。
「いいっスよ、そんなん。副長こそ寝てください。ひでえ顔ですよ。どんだけ寝てないんですか」
「俺のこたァいいんたよ。さっさと休め」
「でも、」
「そんな状態でどうやって部屋まで帰るってんだ。もう一歩も歩けねんだろうが」
睨みつければ、山崎は少し肩を揺らして黙りこくった。
少し俯いて瞬きを繰り返す。
「……ンなこたねえです。舐めんでください」
「うるせえ、聞き分けろ」
「部屋に戻るくらいならできますよ」
「勘違いしてんじゃねえ。おめえのために言ってんじゃねえよ。俺の部屋の前で倒れられたりしたら、俺が、迷惑なんだ」
分かったか。言って、土方は手を伸ばす。俯いたままの山崎の頭を軽く叩き、そのままその髪をぐしゃぐしゃとかき混ぜる。
「……あんただって、寝てないんでしょうが」
「俺ァ忙しいんだよ。まだ仕事が終わんねえんだ」
「…………副長」
顔を少しあげ、山崎は少し笑みを浮かべた。その顔を見て、土方は山崎の頭の上に乗せていた手をさっとどける。渡された録音機器を袂に仕舞い、山崎が何か言うより先に文机へと向き直った。
「余計なこと言ったら叩っ斬るぞ」
「はは、なんでもねえです。……ありがとうございます」
すいません布団お借りします。言って山崎はふらりと立ち上がり、よろけるように部屋の奥へと向かった。どさり、と音をたてて、たどり着いた布団の上へ倒れ込む。
「上かけて寝ろよ。風邪ひくぞ」
「はいよ」
体がよほど痛むのか、ゆっくりと不自然な動きで布団へ潜り込む山崎を、土方は横目で見る。新しい煙草を口に銜えて火をつける。
人間ってえのは、何日寝ないと、死ぬんだったか。
まあまだ三日で、四日寝ずとも、死ぬこたねえだろう。
考えながら、ずきずきと鈍く痛む目がしらを指で押さえた。
「山崎」
「はいよ」
「よくやったな」
煙草の煙を吐き出すのに織り交ぜて言えば、山崎は驚いたように少し黙って、それから、控えめに笑い声をたてた。
「寝ずに待っててくれる人がいるから、俺みたいなのでも、頑張れんですよ」
嬉しそうな笑い声が耳に届いて、土方は眉根を寄せた。
眠くて頭が働かないので、うるせえよ、と言うだけで、精一杯だ。
頭痛がするのでこめかみをきつく押し、煙草のフィルターを軽く噛んだ。
「信頼関係のある上司部下な土方と山崎」というリクエストで書かせていただきました。
普通の上司部下ということだったので、あんまりがっつり土山じゃない方がいいのかなーと思ってこんな感じです。でもやっぱり土方さんが山崎に素直に優しいのはわたしの趣味です。
普段真選組の仕事についてまじめに書かないので、ぼんやりとした感じになりましたが、よろしかったでしょうか。少しでも気に入って頂けたらうれしいです。
リクエストありがとうございました。