「おい退、ノート貸して」
「えー、またですかぁ?」
「いいじゃねえか、減るもんじゃなし」
「もー。絶対次の時間までに返してくださいよ」
「わーったわーった」
「……絶対わかってない、その返事」

 席替えをして山崎と沖田が前後の席になってから、毎日のように繰り広げられている会話である。離れた席からその様子を見て、土方は眉間に皺を寄せた。
「え、トシ何いきなり怖い顔してんの?」
「別に」
「いや、別にって感じじゃないんですけど……」
「別になんでもねえよ」
「あ、そう? ……ところで」
 いつもよりもまだ低い土方の声に、近藤は追及を諦める。強制的に打ち切られた会話のフォローをするように殊更明るい声を出し、別の話を持ち出すところまでは、空気が読めている。だが、
「何で今日山崎あんな髪型なんだろうなあ?」
 選ぶ話題が決定的に間違っているのが不幸だ。
 バン、と土方が机を叩き勢いよく立ちあがった。ガタン、と椅子が倒れて大きな音を立てる。驚いて口を開けたまま土方を見上げる近藤に構わず、土方は自分の席を離れ、同じく驚いた顔で土方を見上げている山崎の二の腕を、おもむろに掴んだ。
「ちょ、え、土方さん!?」
 無理矢理立たせられた山崎の足が椅子に引っかかり、土方の椅子と同じようにガタンと倒れる。あっけにとられた教室中の視線を無視して、土方は山崎を引きずったままずんずんと教室の外へ向かった。
「え、ええ、ちょっと、土方さん!」
 山崎の声だけが空しく響く。
 山崎の倒れた椅子を沖田が、土方の倒れた椅子を近藤がそれぞれそっと元に戻すまで、クラスメイトは呆然としたままだった。





 ガン、と勢いよく屋上の扉が開き、日差しの強い外に出てからやっと土方は山崎から手を離した。加減をせずに掴んだので、白いシャツから見える二の腕が赤くなってしまっている。
「もー…何なんですかぁ」
 痛む部分をさすりながら、山崎がじっと土方を見上げた。唇を尖らせて抗議の格好を取っている。
「それは俺の台詞だ」
「え、何が?」
「何なんだよ、その髪型は」
「え、これえ?」
 語尾を無駄に伸ばし土方の苛立ちを煽るように、山崎は自分の髪に触れる。
 耳の後ろからそれぞれ、ぴん、と結ばれた髪。あまり長さもないので、やわらかくは流れず、二本の尻尾のように後ろに伸びている。
「暑かったから」
「暑かったから、じゃねえよ。何でそんな女みてえな、なあ」
「だって、沖田さんが」
「総悟が何だよ」
「可愛いって言うから」
 土方の拳が真っ直ぐ山崎の脳天に落とされる。痛みでうずくまった山崎を置いて、土方はさっさと給水塔の影へと向かった。
 よろよろと立ち上がった山崎は、頭を押さえながら土方にひょこひょこと付いてくる。それをちらっと見て、土方は溜息をついた。
 何で付いてくるんだろう、こいつは。こんな理不尽な暴力を振るわれて、何でそれでも、逃げないんだろう。

 最初に好きになったのは多分土方だったが、最初に好きだと言葉にしたのは山崎だった。
 俺はあんたが好きです、すいません。と、罪を告白するように体を小さくして、それでもはっきりとした声で言った。俺はあんたがおかしな意味で好きなんです、気持ち悪くてすいません。

 気持ち悪くなんてなかったし、嬉しかったし、俺も好きだと言い返したし。そういうわけで土方と山崎は今、付き合っていることに、なっている。当然ながら誰にも言えないので、二人の間だけで通用する約束事のようなものだ。

「おい、こっち来い」
 給水塔にもたれるように座り、山崎を手招きすれば素直に近づいてくる。そんなんじゃ悪い奴にさらわれっぞ、と心配になりながら、その手首を掴んで引き寄せた。今度はそっと、優しくだ。
 膝をついた山崎の腰を抱え、自分に背を預けるようにする。驚いた山崎が一瞬暴れ、すぐに大人しくなった。
「……お前さ」
「はい」
「あんま、他の奴に髪とか、触らせんなよ」
「……沖田さんですよ?」
「余計に危ねえだろ」
「友達ですよ?」
「関係ねえよ」
 俺とお前も、最初はそうだったんだし。言って、山崎の髪に顔をうずめる。山崎の体が軽く緊張したのが、抱きしめた腕を伝わって分かった。
「これ」
「……はい」
「ほどいていい? 邪魔なんだけど」
「ど、どうぞ」
 ぎこちなく山崎がうなずくのを待って、その髪に指を伸ばす。髪をまとめている細いゴムを外してやれば、二つにくくられていた髪は元のように柔らかく流れた。結んでいた部分に癖が残っているので、軽く指で梳いてやる。
「ていうかさ」
「はい」
「あんま仲良くすんじゃねえよ」
「……えーっと、それは……」
「……いや、いいや。今のは忘れろ」
 ぎゅ、と山崎の腰に回した腕に力を込め、山崎の肩に顎を預ける。山崎はやはりまだ少し緊張していて、呼吸がいつもより浅い。それがおかしくて低く笑えば、山崎の肩が小さく揺れた。
「名前」
「え?」
「なんで、総悟はお前のこと名前で呼び始めたんだよ、いきなり」
「あー……何かゲームしてるときにふざけて呼んだ、のが、流行ってるだけだと思いますけど…沖田さんの中で。多分すぐに、飽きるんじゃないかなあ」
「ふうん」
「……何でですか?」
「別に」
 風が柔らかく吹いて、山崎の髪を軽く揺らした。耳の裏や、首筋に唇を押し当てたいな、という衝動と、土方は静かに戦っている。山崎の体からは少しずつ緊張が解けていき、ごそごそと動いたと思ったら、土方の背中に体重を預けるようにして大人しくおさまった。
 遠くでチャイムの音が聞こえる。休み時間が終わったのだろう。
 それに対して何か言いかけるように口を開いたのも、それを閉じたのも、多分同時だった。

「……退」
「え、」
「何だよ」
「いや……えっと、いえ、あの、何ですか」
「別に」
「……ええと」
「退」
 びく、と山崎の肩が跳ね、再びその体が緊張するのが分かる。
 キスでもしたいな、という気持ちを押し隠しながら、土方はもう一度低い声で、山崎の名前を呼んだ。
「……な、何なんですか、いきなり」
「何だよ。お前、総悟には呼ばせて、俺に呼ばれるのは嫌なのか」
「そ、そういうわけじゃないですけど」
 でも、と口ごもる山崎を、きつく抱きしめることで黙らせた。あまり抱きしめたら山崎が苦しいだろう。痛いかも知れない。それでも一度抱きしめたら、腕の力がなかなか調節出来なくて焦る。けれど山崎は、痛いです、とも、苦しいです、とも言わず、ただ土方の腕にすがるように手をかけただけだった。
「お前は、」
 耳に唇が、触れるか触れないかの距離で。
「もう、俺のものなんだから、好きに呼んでも、いいだろ?」
 土方の腕に触れる山崎の指に力が籠った。
 退、ともう一度呼ぶ。山崎の爪が、土方の皮膚を柔く引っ掻く。
「土方さん、俺の名前、呼びたかったんですか?」
「うん」
「お、きたさんに、嫉妬、してたんですか?」
「……うん」
 山崎の声に少しずつ、少しずつ嬉しさが滲んで、退、と呼んだ土方に、
「十四郎さん」
 躊躇いがちのゆっくりとした声が返った。

 音が、空気に溶けてやさしい。自分の名前はこんなにも、あたたかく柔らかい名前だったろうか。

 黒髪の、癖が残ってしまった部分に唇を付ける。うん、確かに、可愛かったな、と思い返す。それを施したのが自分でないのが気に食わない、というだけの話だ。それを見て可愛いと思うのが自分だけではないのが腹立たしい、というだけの、話だ。

「好きだ」
 そのまま近くで囁いた。山崎の体が強張り、耳が赤くなる。
 それがおもしろくて、嬉しくて、「退」ともう一度、溢れそうな愛しさを声に滲ませ口にした。

      (09.09.06)




「土山で3Z」の自由課題で書かせて頂きました。3Zの土山は絶対的な主従関係がない分いろいろと対等なので、いつも書いてるものと違う距離感で書けて楽しかったです。
そしていろいろと青い土方君っていいよね! と思いました。キスどころか多分まだ手もまともに繋いでいないはずです。
普段なかなか書く機会もないので、うれしかったです。リクエストありがとうございました!