馬鹿みたいな夢をずっと見続けている。
 夢だという自覚は、わりとある方だった。こんなのは現実ではないな、と、日に何回か我に返ることだってあった。だが、それだけだ。その我に返る一瞬をとっかかりにして現実の世界に戻ることが、沖田にはどうにも、出来ないでいる。
「だいぶ涼しくなりましたねえ」
 間延びした声で、山崎が言った。少し背伸びをして抱えている本を本棚に戻す。資料室に二人きりでいるのだった。山崎の隊服の裾から白い肌が覗いた。
「お前さあ」
「はいよー」
「シャツくれえ、着ろよ」
「えー。だって暑いじゃないですかあ」
 唇を尖らせて文句を言う横顔を、沖田は下から見上げるようにして、見ている。山崎の足元に膝を抱えて座り込んで、ただじっと見ている。山崎は別段それを注意しようともからかおうとも邪険にしようとも、しない。当たり前のようにしているので、沖田はどうにも、現実の世界に帰れない。
(ああ、きれいだなあ)
 無性に、思う時がある。たとえば今のように二人きりでいるときなどに。
(好きだなあ)
 無性に、可愛いと思っていとおしいと思って抱きしめたいと思って、それなのに、まるで山崎がとても神聖で心の奥底まできれいなものであるように見えて、触れることが、できない。
 山崎はひとごろしだ。沖田ほどではないが、上手に人を斬る。
 その殺し方のいやらしさでいけば、沖田の上をいくかもしれない。沖田は概ね隊務として人を斬るが、山崎はどこか、こだわりと持っている。一滴も返り血を浴びないような工夫を考え出したり、用途によって武器を使い分けたりが、それに当たる。そのほか、職務の特色上仕方のないことではあるが、人を騙したり、誘ったりして、相手の抵抗を奪った上で容赦なく殺したりもする。
 きれい、という言葉とは、真反対にいる人間だ。
 もちろん、外見だって、取り立てていうほど美しくもない。
 むしろ美醜だけで言えば自分の方が勝っていると沖田は思っていた。自分の顔が整っているということを、沖田は知っている。隊服など着て黙って立っていれば、言いよる女が絶えないことも、知っている。
(……つって、好きになるのが男じゃあ、なんの意味もねえや)
 隊服の裾からちらちら見える白い肌を、沖田はじっと見つめながら、唇を少し歪めて苦笑の形を作った。
 どういう工夫があるのだろう。きめ細かい白い肌である。
 思わず掌で撫でまわし舌を這わせて歯を立てたい、と思うような。
 残る鬱血はひどく美しいだろう、という想像を掻き立てる色だ。

「沖田さん? 終わりましたけど」
 不意に山崎が声をかけたので、沖田は不覚にも驚き肩を揺らす羽目になった。
 どれくらいの時間自分が山崎に見惚れていたのか分からない。沖田を見下ろす形のまま山崎は、「どうします?」首を傾げる。黒い髪がさらりと揺れる。
「どうします、ってえのは?」
 沖田は別に山崎と何か約束をしているわけでも、示し合わせて一緒にいるわけでもなかった。ただ、山崎が本を抱えて資料室に入る背中を見つけたので、ふらふらと誘われるように付いて来ただけで。
 だから、どうします、という問いはおかしい。沖田がこの後どうするのであっても、山崎は別に気にすることはないはずだった。
「仕事、終わったんだろ?」
「……だから、」
「うん?」
 何だよ。首を傾げる沖田に焦れたように山崎は「いじわる!」と小さく叫んで、沖田と視線を合わせるように急にしゃがみこんだ。
 驚いたのは沖田だ。ぐい、と体を近づけられ、思わず呼吸が止まる。
「山崎?」
「仕事、終わったけど、しばらくここで二人でいましょうか、って」
 そう言いたいの! 子供のように言って、山崎は沖田の首にするりと腕を回した。沖田の両膝の間に体を収めるようにして座り込み、ぎゅう、と抱きつく。山崎の髪からいい匂いがする。これももしかしたら夢かもわからない。屯所にあるのは大衆風呂だから、山崎だけが特別良い匂いがするという道理もないだろう。
 が、わからない。何しろ山崎はこんなにきれいで愛らしくいとおしい生き物だから、何か特別な工夫が、あるかも知れない。主に沖田を惑わすための。
(これも、夢だ)
 わかっている。自分が抱いている幻想に過ぎないことは分かっている。目の前に、山崎の白い首筋がある。沖田は山崎の細い腰に腕を回し、抱きしめ返しながらその首筋に唇を押し当てた。
 山崎の体がぴくんと揺れる。そっと吐き出された吐息が、沖田の襟足をくすぐった。

 山崎の言うように、ここ最近は涼しい。
 資料室は日当たりが悪く夏でもひんやりとしている方だから、今は、抱き合っているくらいがちょうどいいように感じられる。
 山崎の体温は少し低く、沖田の体温は少し高い。それが、触れ合った部分から溶けて混じり合い、同じ温度になっていくようだ。
 腰に回していた腕を緩め、山崎の隊服の隙間から、そっと手を差し込んだ。山崎が沖田に抱きつく力を強くする。それを許諾と受け取って、沖田は掌をゆっくりと白い肌に這わせた。
 きれいで、触れた部分から、自分が汚してしまうのではないかと思うときがある。あまり気軽に触れてはいけないもののような気がしている。
 今のように、山崎の方から沖田へ触れてくれさえすれば、そんな恐怖はなくなるのでよかった。山崎が許してくれて初めて、沖田はその肌に触れることができた。
 神聖視を、している。ありていに言えばそういうことだ。
 山崎とともにいられるということが、得難い幸福であるかのような錯覚を、沖田は覚えている。これは夢だ、恋の見せる。そう思いながら、心のどこかで、これは錯覚ではないだろう、と断言している自分もいる。
「お前さあ、」
「はい」
「やっぱシャツ、着とけよ」
「どうしてですか?」
「触りたくなるから」
「…………は、」
 もう触ってんじゃん。軽く笑った山崎は、抱きついていた姿勢を起こし、沖田の顔を覗き込む。少し頬のあたりが染まっている。これは、気のせいでは、ないだろう。
 くちづけたいな、と沖田は思っている。腰を撫でる手はそのままに、山崎の髪をゆっくりと耳にかけてやる。そのまま後頭部を引き寄せれば、山崎は少しも抵抗せず、むしろ進んで沖田に顔を近づけた。
 目を閉じるその最後の一瞬まで見ていたくて、沖田はなかなか目を閉じれない。
 短い睫毛がゆっくりと動いて、薄い瞼がその目を覆いきってしまってからやっと、沖田は目を軽く閉じ、その唇にくちづけた。
 甘い味がする。これは錯覚だろう。
 ぴちゃ、と音が鳴った。人気のない狭い場所では、やけに響いたような気がした。沖田の手が山崎の背を緩く撫で、山崎の指が沖田の肩の掴む。
 馬鹿みたいな、夢を見ている。こういう幸福がこれから先一生続いて、何よりうつくしい魂を持った山崎が一生自分のものであるような、そんな夢だ。
 唇を離し目を開けた先の世界で山崎がとろけるように笑っているので、沖田は今日も、現実世界に戻れない。

      (09.09.14)




「普通設定で沖山」の自由課題をいただいたので、自分で勝手に「山崎を神聖視する沖田さん」というテーマを掲げて書いてみました。
沖田さんが山崎のことをすごく好きで、山崎がすごくきれいなものであると勘違いしている、というのがとても好きです。でも実際に常識人なのも歪み方が少ないのも性根がまっすぐなのも沖田さんの方だといいな。
非常識で歪んでいて根性が悪い山崎が天使に見えるというラブマジックが大好きです。