あいつは俺のことが好きなのだと、口には出さずとも思っているだろう。
 頭が悪いのだ。俺はかっこつけるように屋上のフェンスにもたれかかって煙草をふかしている男を見上げた。風紀委員の副委員長のくせに、こういう不良みたいなことをしていきがっている。うざってえなァそのままフェンス壊れて死んじまえばいいのに。今度細工でもしといてやろうか。
 男は俺の視線に気づいたのか、細く煙を吐き出しながら、「何だ」低い声で言う。何かっこつけてんの馬鹿じゃねえの、と俺は思いながら、弁当のおかずを箸で突きまわすことに専念した。昨日ちょっと飲み過ぎたので実はあまり気分が良くない。
「お前、風紀委員の癖に二日酔いとかなってんじゃねェよ」
 不機嫌そうな面で男は言う。
 お前のその右手に持ってるものは何だ馬鹿かこいつ。
「俺ァいいんだよ」
 俺の気持ちを見透かしたように眉間に皺をよせ、男は言った。バレねえようにやってんだよと続けて言うので呆れる。一度テメエの制服に鼻先突っ込んで思いっきり深呼吸してみろよ、すげえ煙草くせえから。
「山崎ですかィ」
 考えている事をそのまま口にすると続きの会話がめんどくさい気がしたので、俺は全然別の話題を振ってやった。
 男はちょっと驚いた顔で、だらしなく口を開ける。
「な、何がだよ」
「見てたの」
「見てねーよ別に」
「だってそっち教室あんでしょう、教室の窓際の席に座ってて昼休み自分の机に残ってるようなかわいそうな奴って言ったら山崎しかいねェでしょう」
「見てねえって」
「かわいそうに。そんなに気になるなら、ここに呼んであげればいいじゃありやせんか」
 実際その山崎は、何度か屋上に行きたそうな素振りをみせていたのだ。俺も一緒に弁当食っていいですか、とかなんとか言って弁当掴んで立ち上がった山崎を、ダメだと一蹴したのは目の前の馬鹿な男で、随分と前のことだった。山崎というのは従順にできているので、二度ほど食い下がったが、その後はまったくそんな希望を口に出さなくなった。窓際の席でひとり、弁当を食うのが日課になっているようだ。
「呼ばねえよ」
「なんで」
「なんでも」
 うざってえ、とでも言いたそうな顔を馬鹿男は作って、ポケットから取り出した携帯灰皿に煙草をぎゅっと押し付けた。その携帯灰皿は山崎からプレゼントされたものだということを、俺は知っていたので、思わず顔を顰めた。
 あんたさァ、と声をあげようとした俺をさえぎるように間延びした重たいチャイムの音が鳴る。行くか、と馬鹿が俺を促すので、
「ひとりで行けよ」
 俺は弁当をつつきまわす作業に再び戻った。
 駄目だもう、食う気にならねえ。でも今ここであの馬鹿と一緒に出て行くのは、癪に障るのだもの、仕方ない。







 山崎、と声をかけたら携帯の画面を注視していた顔を素直にあげた。
「あ、沖田さん」
「よお」
「今から帰るんですか? 遅いですねえ」
「寝すごした」
 あはは、と山崎は軽い声をあげて笑い、風邪ひきますよう、と肩をすくめた。そういう自分こそ下校時刻をとっくに過ぎたこんな時間に、ひとり教室で何をしているんだろう。俺の疑問に気付いたのか、あはは、ともう一度山崎が笑う。
「沖田さん、土方さん見ませんでしたか?」
「あ? 見てねえよ?」
「そっかぁ」
「何、待ち合わせ?」
「うん。放課後待ってろっつわれたんですけどね。もー帰っていいかなァ」
 俺今日用事があるんですよねえ。困ったように山崎は笑って、携帯をパチリと閉じた。沖田さんもう帰るんですか? 首を傾げて尋ねるその仕草が、置いていかれる捨て猫のように、一瞬見えた俺もちょっとダメなのかも知れない。きっと教室の中が暗いせいだな、と決めて、仕方なく山崎の隣の席に着席した。
 嬉しそうに山崎が笑う。
「お前さ」
「はい」
「土方のこと好き?」
「は?」
 何いきなり、と山崎は一瞬驚いた顔をして、それからすぐに笑顔になった。予想通り、別に顔を赤くしたりうろたえたりはしなかった。
「好き?」
「そりゃ、好きですよ。かっこいいし、強いし、尊敬っていうか、憧れかなあ。俺もあんな風になりたいし。あと、」
「あと?」
 内緒話をするように山崎はくすくすと小さく笑って、声をひそめる。
「あと、俺、土方さんの、根っこのとこがまっすぐなところとか、好きなんです。馬鹿だなあって思うことも多いけど、なんだろうな、やっぱすげえ、尊敬してます」
「バカだなあって思ってんのか」
「土方さんには内緒ですよ」
「尊敬するようなとこがあるかあ?」
「ありますよう。いっぱい。沖田さんだって知ってるくせに」
 あの人の近くにいると、俺みたいなのも立派な人間になったような気がする時があります。
 大事な秘密を教えるように小さな声で、それでも誇らしげに山崎は言った。
 ほんのちょっとだけ俺の胸が痛んだのは誰のためだったろう。かわいそうに、という言葉は、山崎に向ける言葉ではないので、頭の中でそっと綴るだけにしておいた。
 かわいそうになあ。
 こんなに真っ直ぐ好かれていたって、あいつはきっと喜べないだろう。

 結局その後やってきた馬鹿に、山崎は寒い中雑用を言い渡されたようだった。口では文句を言いながらそれでも逆らわない山崎を見て、俺はこっそり溜息を吐いた。
 俺だってこれは、かわいそうだなあ。
 聡い自分が嫌いになるときだって、あるんだ。
 本当は、用事があるんじゃなかったのかい、と言って助けてやろうと思ってたけどやめた。文句ばかり言いながらにこにこと仕事をする山崎にだけ軽く挨拶をして帰る。
 土方は、当然のように山崎の文句を叱りながら仕事をどんどん押しつけている。







 見かけと普段の素行に反して実は育ちがいいのだと知れる。その男は学校近くの本屋で、文学全集の棚の前に立って真剣な顔をしていた。
「山崎なら来やせんぜ」
 後ろから突然声をかけてやっても、その男は驚きもしなかった、ゆったりとした動きで振り向き、右目を軽く細める。左目は真っ白な眼帯に覆われていて見えない。かっこつけてんじゃねえよバカ、とは思うが、俺にだって人の心はあるので口にはしなかった。
「何だ、お前」
「山崎の友達」
「へえ。退の友達ねえ」
 にや、と少し興味が湧いたかのようにその男は笑って、俺をじいっと射抜くように見つめた。何だろう隠された左目に何か仕込まれているのか、と一瞬考えてしまうくらいまっすぐに。
「で?」
「だから。待ってても山崎は来やせんぜ。馬鹿な男が攫っていっちまったから」
 俺を見つめることに飽いたのか、男は再び目の前の棚に向き直る。けれど意識はきちんと俺の方を向いているようで、
「知ってる」
 ぞんざいな口調で返答があった。
「なあんだ」
「何、テメェはそんなこと言うために俺に声かけたのか?」
 は、と馬鹿にしたように鼻で笑いながら、男の指先は俺でも知ってる作家の全集の背表紙に触れる。本棚から引っ張り出し、裏表紙を確認して、戻す。
 学校で見る姿とはまた少し違う空気が俺とその男の間を隔てているようで、俺は唾を吐きかけたくなる気持ちをぐっとこらえた。
「ちげえよ」
「あ?」
「ンなこと言うために声かけたんじゃねえよ。俺ァなあ、」
 ぐ、と拳を握る。伸びっぱなしの爪が掌に食い込んで痛い。
「あいつ泣かせたら許さねえぞって、言いにきたんでィ」
 男は本棚から俺に視線を転じ、驚いたような顔をした。
 この男のそんな顔を見るのははじめてだったので、ちょっとだけ留飲が下がった。
 驚いたように俺を見つめること、数秒。
 男はそれから唇できれいな弧を作り、見える右目を細めて、小さな声で言った。
「泣かせねえよ、絶対」
 内緒話をするような小さな声で、誇らしげに。









 俺はそのまま本屋を出てまっすぐ帰り途を辿った。俺と馬鹿男は生憎家が近いので、会っちまうかなぁと思ったら案の定会っちまってうんざりした。馬鹿の隣には、頬を膨らませて何やら文句を言っている山崎がいて、馬鹿の手には小さいコンビニの袋がぶら下げられている。多分肉まんでも買ったんだろう。
 どいつもこいつも馬鹿ばっかりだ!
 叫んで邪魔してやりたい気持ちを堪え、俺は見ない振りで家に帰った。明日も二日酔いになる気がする。こんなことなら最初に酒をかっくらって、その上であの男に会いに行けばよかった。そしたらあんな言葉じゃなくて、山崎は渡さねえよ、くらい、言えたかもしれないのに。
「渡さねーのは俺じゃねーけどお。いっそ競い合って、どっちも死んじまえばいいんだ」
 独り言は空しく冬の夜に溶ける。山崎と馬鹿は今から一緒に肉まんでも食べるんだろう。
 そうだな、あのすました色男よりは、馬鹿の方が俺にとって都合がいい。馬鹿と一緒にいる山崎になら、躊躇うことなくちょっかいを出せるんだから。
 どっちも死なねえなら俺は俺のためにやっぱり馬鹿を応援しよう。決めたらちょっとだけすっきりした。すっきりするけどほんの少し自分がかわいそうな気がするのは、色男の最後の言葉を思い出してしまったからだ。
 ないしょばなしのような、大切なものをそっと見せてくれるような。
 尊敬していて憧れます、とこっそり教えてくれた、山崎とよく似ていた、あの。

      (09.12.16)




「山崎には恋人とかがいるのに、あいつは俺のことが好きなんだと勘違いしてる土方さん」という土山を3Zでリクエストいただきました。
結局、土山なの沖山なの高山なの?みたいな…高山←土でも高+山←土でも、高+山→←土でも、どれでも。恋人がいる、というリクエストだったんですが、これ前に書いた高山幼馴染の高杉帰国子女の土山の、お付き合いする前でも楽しいかなぁとちょっと思った。
沖田さんは純粋に山崎が好きで、何だかんだで土方さんが好きなんです。 相変わらずリクエストに沿えているか微妙な出来ですが、楽しんで頂けたら嬉しいな。ありがとうございました!