肉の一片、血の一滴も残らないように、最後まできちんと殺してね。






 目隠しをされて耳栓をされ、駕籠に乗せられ連れ回されて、ここがどこやらわからない。
 箪笥のひとつもない部屋の中央に布団が一組だけ敷かれていて、その中で長い間山崎は高杉に抱きしめられていた。今日でちょうど三日目になるだろうか。
 駕籠に乗せられていた間の感覚が曖昧なので、自分が行方不明になってから世間でどれだけの時間が過ぎているのか正確にはわからない。元より地味な立ち位置なので、いてもいなくても気付かれないような気もする。潜入捜査で屯所を長く留守にすることも頻繁だったし、そう考えればあの場所に自分の居場所はなかったのではないか、と思わなくもない。
 三日ずうっと閉じ込められて、感覚が麻痺してしまっている。
 この、何にもない、窓の一つだってない部屋こそが、自分の居場所のように思えてくるから不思議だ。

「攫ってやったぞ。かわいそうに」

 それが、山崎の目隠しをほどきながら高杉が言った言葉だった。
 ああとうとう攫ってくれたのかと、山崎はそこで、ほんの少しだけ安堵をした。
 お互いに不利益ばかりを生み出す逢瀬を繰り返しながら、いつになったらこの人は自分のことを捨てるのだろうと、長い間怯えていたからだ。
 そんな山崎の思いも知らず、高杉は「かわいそうに」と繰り返し、山崎にひとつくちづけをした。そっと触れるだけの、風より軽いくちづけだった。

 それが夢の始まりだ。
 三日三晩、山崎は、終わるとも知れない夢を見ている。
 誰がかわいそうなのか、ずっと考え続けているのだけれど、未だに答えは出なかった。




 窓のないこの部屋では、いつ日が昇っていつ暮れていくのかもわからない。最初の日に時計を探してみたが、ぐるりと見回しても死角のひとつもないこの部屋に、そんなものあるわけもなかったのだ。
 だから今の山崎には、高杉の行動が全てを把握する手段だった。
 高杉は一晩中山崎を抱きしめ、朝になると布団を抜けだし、部屋の外へと出る。それから水の張った盥と、渇いた布を枕元に用意し、優しく山崎を揺り起こす。
 山崎の身支度が済んだのを見届けて、再び部屋の外へ出た高杉は、だいたい昼まで帰ってこない。
 山崎はその間、何もない、なさすぎる部屋で、気が狂いそうな時間を持て余す。高杉の残り香のたっぷりと残った布団にくるまれて、うとうとと二度寝をしたりもする。
 山崎が空腹を覚える頃に高杉は食事を持って戻ってくる。膳を向かい合わせて食事をし、それが終わると、高杉は再び部屋を出てしまって、それきり夜まで帰らない。
 山崎は本当にすることがないので、初めの日は大半の時間を眠って過ごした。
 眠ることにも飽きたので、二日目には高杉にそれを訴え、紙と筆と墨を用意してもらって、ひたすら落書きをして過ごした。それもすぐに飽きたので、暇だ暇だと駄々をこねてみれば、三日目の今日は三味線を与えてくれた。弾くことのできないそれを前に眉根を寄せる山崎に、高杉は「頑張ってみろよ」と笑うだけだった。

 そして三日目の夜が来て、二人でやはり向かい合わせに食事を取って、それから高杉は膳を下げに部屋を出て行き、布と盥を持って戻ってくる。
 濡らしてかたく絞った布で、高杉が山崎の体を清めて行く。これも、今夜で三度目だ。
 最初は戸惑った山崎も、今では躊躇なく帯をほどく。慣れとは怖いものだな、と苦笑を零す山崎の頬に高杉の唇が軽く触れ、それをはじまりの合図のようにして、布が山崎の鎖骨に触れた。
 性的な匂いをいっさいさせないまま、高杉は山崎の肌を拭っていく。
 されるがままになりながら、山崎は時折、高杉の頭を撫でたり、そのなめらかな髪を梳いたりして時間が過ぎるのをただ待った。
 まるで、大切なものでも扱うように、高杉の手が動く。
 その髪から、首筋から、着物から、甘たるい、毒のような、官能的な香りが立ち上っているというのに、その手つきはただただ実直で、優しいだけで、二晩続いた儀式のようなそれは、今夜もまた、そうだった。

「……高杉」
 緩く髪を梳きながら、山崎は声をかける。やっとその体を清め終わった高杉が、山崎の体に再び丁寧に着物を着せながら、優しい声で「うん?」と相槌を打った。
「……三味線、やっぱひけなかったよ」
「はは、そりゃそうだろう。おめえに感性があるようには見えねえからな」
「高杉がひいてくれたらいいのに」
「そのうちな」
 きゅ、と着物の帯を結び、高杉は山崎に掌を差し出す。
 その上に山崎がちょこんと手を乗せれば、ぐい、と引き上げられた。
「おら、寝るぞ」
「高杉がひいてくれたらいいよ」
 手を引かれながらも言い募る山崎に、高杉が苦笑を零す。
「またひいてやるよ。今日はもう遅い」
「……じゃあ明日」
「ああ」
「明日の昼に、ずっとひいてよ」
 布団の上に連れられて、子供にするように布団の中に押し込まれながら、山崎は小さく零した。
 箪笥の一つもない部屋は音をちっとも打ち消さないから、きっと容易に、高杉の耳に届いただろう。
「……昼間、俺すげえ暇だし。三味線自分じゃひけねえし。高杉が、ひいてくれたら、いいよ」
「…………」
「たかすぎ」
 山崎の言葉に、高杉の目が伏せられる。右側しかないその目が、戸惑うように左右に揺れ動くのを、大人しく寝かされながら山崎はじっと見つめた。迷うように動いた高杉の手が頬に触れるかと思ったのだけれど、結局その手は布団を掴み、山崎の顎のあたりまでしっかりと、布団を引き上げただけだった。
「……もう、寝ろ」
「晋助さん」
「……馬鹿、お前、ほんと、」
 殺してやりてえなあ。
 微かに笑って高杉は言った。笑みの形を残したままの唇で山崎の額に触れ、山崎が何か言うより先にその隣にするりと潜り込んでしまった。
 大きめの布団一組を二人で分け合って眠る。
 三回目の夜が、山崎にはなんだかとても嬉しいことのように思えて、同時に、とても悲しいことのように思える。
 何もない、時間さえない部屋にひとりきりで残されて、頭がおかしくなってしまったのだ。
 きっとそうだ。
 だったら全部、高杉が悪いのだ。心の中でそう決めて、山崎は高杉にすり寄った。布で体を清められただけの山崎とは違って、風呂で芯からあったまったのだろう。高杉の体温は少し高い。

「……退」
 高杉以外、他の誰も呼ばない名前を静かに呼んで、高杉は山崎を抱き寄せた。
 腕の中に閉じ込めるような動きをする。腕が少し緊張をしているようだ。まるで、強く抱きしめすぎないようにと自制しているかのように。
 このまま抱きしめられたら息が止まって死ぬだろうか。
 高杉の胸元に自ら寄り添いながら、山崎は考え目を閉じる。
 息が止まって、死ねるだろうか。
 そうしてくれたらいいのにな。
「……帰りたいか」
 山崎のつむじに唇を触れさせながら、高杉が囁いた。吐息が肌にかかってくすぐったい。
「……元の居場所に、帰りたいか」
 山崎の体を抱きしめながらのその言葉は、どこか懇願に似ていた。
 山崎は身じろぎをしないまま、その言葉を反芻する。帰りたいだろうか、自分は。元の居場所に。
 元の居場所とは、どこだったろうか。
 今この腕の中こそが、自分の居場所である、という気が、するのに。

 山崎の返事を催促することなく、高杉は山崎を柔らかく抱きしめ続ける。
 腕の中に抱きしめて、足をわずかに絡めあって、ひとつの布団でそうしているのに、高杉はそれ以上山崎に触れようとしない。
 くちづけのひとつ、唇に落とそうとはしない。
 それがどういうことなのか山崎には分からない。
 朝起こすときも昼顔を出すときも夜体を清めさせるときも、高杉の手つきはただひたすら優しくて、優しいだけで、それが何故だかわからない。どこだかわからないこんな場所へ勝手に攫ってきておいて、そのくせ、昼間でかけている間中、見張りのひとつもつけないのだ。
 襖に鍵はかからないから、山崎は簡単に逃げ出せるだろう。
 場所がわからないとはいってもそこは真選組監察なのだから、屯所へ帰るくらいならできるだろう。
 どうして。
 もっとひどく、閉じ込めてくれればいいのだ。
 部屋の明かりも全てなくしてしまって、光も音も全て奪ってしまって、好き勝手に扱って、夜には手酷く抱けばいいのだ。
 そうしてくれるのだったら、いいのに。


 山崎を抱きしめながら、高杉はとろとろと眠りの淵に沈んでいく。
 今ここで山崎が高杉の首を締めれば、あっという間に殺せそうだ。
 それほど無防備だ。刀がなくても人は殺せるのに。
「……高杉」
「ん……なんだ」
 眠たそうな声で返事が返る。ごそごそと腕が動いて、山崎の体を抱えなおすようにする。
「俺、お願いが、あるんだけど」
「……うん、…ああ、お前な」
「うん」
「あんまり、簡単に…明日とか、言うんじゃねえ。逃がせなく、なるだろうが……」
 ほとんど寝息のようにして、高杉が囁く。
 明りの落とされた部屋の中、いつの間にか、左目を隠す包帯がとれていて、山崎は思わず唇を噛んだ。
 爆ぜたような跡だった。
 陰惨で美しく、悪夢のような傷跡だった。
 腕の中から手を逃がし、指先でそっと傷跡に触れる。一瞬体を緊張させた高杉は、すぐにその緊張をほどいて、やんわりと山崎の手を取った。
「……毒が移るぞ」
「毒なの」
「さあな……」
「移してよ」
「……なあ、もう、寝ろ」
 取った手を握ったまま、握り込んだままで、高杉は簡単に眠りに落ちて行く。
 穏やかで規則正しい寝息がその唇から零れ落ちるのを、山崎は息を殺して聞いた。

 帰りたいかと高杉は聞いた。
 山崎には答えられない。答えが見つけられないのだ。
 かわいそうにと高杉は言った。
 誰がかわいそうなのだろう。山崎はずっと考えている。

「……ねえ、高杉」
 返事はもう返らない。
 細く吐息を零し続ける唇に、山崎はそっと口づけを落とす。
「お願いがあるんだ。もし、俺を殺すときには、どうか、……」

 吐息を軽く奪って飲みこみ、それから高杉の胸元に擦り寄って、耳をそっと押し当てた。
 とくとくと穏やかに血が送りだされる音がする。生きている音だ。こうして生み出された血は高杉の体をめぐって命を作る。
 もしも居場所があるとしたら、自分の居場所は、ここだろうか。
 薄く笑って山崎は目を閉じた。
 出会って、恋をしたときから、ずっとずっと願っている。

「……おやすみなさい、晋助さん」

 言えば高杉は困るだろう。
 わかっているから、ずっと言わない。

      (10.01.16)




「この人にいつか絶対に言ってやろうと思いながら、言わずにおこうと決めていることがある。」のお題をリベンジ…のはずだったのですが、むしろ遠く離れました。
余裕を見せる山崎、というサブリクエストがあったにも関わらず…。
高杉が病んでると見せかけて、山崎の方がずっと病んでる、みたいな、そういう高山です。高山の山崎は被害者にさえなれれば心が楽なのでずるいなあと毎度思います。
当たり前ですが好き勝手やらかしまして大変楽しかったです。
リクエストいただかなかったらこの話は生まれませんでした。ありがとうございました。そしてごめんなさい。