不治の病に冒されている。
 それは体の奥深くに巣食って、血管という血管に毒を流し込んで、沖田の頭の先から爪の先まで支配している。心臓は不規則になって呼吸は時に上手くできず、指先ひとつ不格好に震え、言葉ひとつ口にできない。
 そういう病だ。
 あまりにひどいので、いずれ死に至るだろう、と沖田はふんでいる。

「明るい色と暗い色、どっちがすきですか?」
 少しずつ色の違う二色の口紅を右手と左手にひとつずつ持って、真剣な顔で山崎は言った。
 沖田はもう怒る気力もなくして、力なく
「どっちもでいいっつーの……」
 うんざりとした感じで答えたが、本当は、端から怒る気もないのだった。真剣な顔をして沖田に塗りたくるための口紅を選んでいる山崎はかわいい。芯からかわいい。
 これも病のなせる技であろうか。視神経までどうにかしてしまったようだ。いよいよ本当に死ぬのかもしれない。
「沖田さんは顔がきれいだから明るい色の方が似合うと思うんです。でもあんまり似合いすぎると目立っちまってばれちまうから意味ないしなあどうしよう!」
「どうでもいいからはやくしろよ。おめえの準備もあるんだろうが」
「俺の準備より沖田さんの方が大事です」
「なんで」
「だって! こんな機会、次にいつあるかわかんないじゃん!」
 もう二度とねえよ。冷静に指摘してやれば、山崎は「じゃあなおさら、今を楽しまなきゃ損じゃないですか」とか何とか言って、再び口紅を念入りに選び始めた。色合いを変えてみてはどうだろうかと余計なことに気がついたのか、大きな化粧箱をがちゃがちゃと漁っている。
 これは仕事のはずである。
 そしてあの化粧箱は、あくまでも山崎の仕事道具であるはずだ。
 沖田は仕事のために仕方がなく、女物の着物を着せられ髪を結われ、白粉を塗られ頬紅を付けられ、睫毛には黒々とした液体を塗りたくられても、大人しくしているのである。仕事のために仕方がなくだ。
 なのに山崎はと言えば、まるで遊んでいるようなのである。
 しかも真剣だ。ふざけていない分タチが悪い。人と会う約束なのだから時間が取りきめられているはずだが、沖田が山崎の部屋に連れ込まれてから、かれこれ2時間は経とうとしている。
「なあ、山崎」
「はい?」
「あの、なんだっけ、大黒屋の主人との約束っつうのは、何時なんでィ?」
「大丈夫ですよ、まだ時間はありますから」
「お前もさ、友達紹介しますなんて、余計なこと言うんじゃねえよ。これで俺がいなかったらどうするつもりだったんだ」
「もともとは、監察部でどうにかするつもりだったんですよ。でも、まさか別件に全員投入なんて俺知らなくて」
「ハブられてんのか、かわいそうに」
 山崎はなかなかに局長や副長の覚えもめでたく、加えて裏番長である一番隊隊長のお気に入りなので、隊内での風あたりが厳しいのだ。
 半ば冗談、半ば本気で憐れんでやれば、やっと口紅の色が決まったのか、右手に小さな筆を持ちながら山崎が拗ねたように唇を尖らせた。
「違いますぅー。俺が潜入捜査やってる間に入った仕事だったんですぅー」
「そうかいそうかい」
「でも本当に、沖田さんがいてくれてよかった。ありがとうございます」
「命かけて感謝しろよ。お前の頼みじゃなきゃ、こんなこと絶対やらねえもん」
「これ終わったら、なんでもひとつ、言うこと聞いてあげますね」
「絶対だな。忘れんなよ」
「はいはい」
 小さく笑いながら山崎は小さな筆に紅を乗せ、沖田の顎を左手で掬った。
「顔、動かなさいでくださいね」
「うん」
 口づけをするような体勢で顔を覗きこまれ、うっかり沖田の胸が高鳴る。そんなことなどまるで知らず、山崎は真剣な顔で目を細め、筆を沖田の唇に乗せた。一瞬ひやりとするそれが、優しく敏感な皮膚の上を滑る。くすぐったさに唇を震わせる沖田を
「動かないで」
 そっと叱って、山崎は慣れた手つきで沖田の唇を色づけていく。

 近い位置で唇を見つめられ、仕事だとわかっていても、呼吸の仕方が分からなくなっていく。顔を優しく支える山崎の左手を掴んでしまいたい衝動を必死で押し殺して、沖田はしばらくの間息を詰める様にしていた。
 指先がじりじりと痺れるようで、思わず膝の上で握り込む。
 山崎の吐息が頬に触れ、皮膚が粟立つのを感じる。

 すい、と筆先が離れると同時に、山崎の顔も遠ざかり、沖田は少し安堵をした。同時にひどく惜しいとも思って、そんな自分にうんざりした。

「終わった?」
「はい、いや……ちょっと待って」
 先ほどよりも離れた位置から沖田の顔をまじまじと見た山崎は、考えこむように眉を寄せる。
 まだ何かあるのか、と身構える沖田の口元に、山崎の指がすっと伸びた。
「……っ、」
 山崎の爪が沖田の唇をかすめる様にして、その指の腹が優しく沖田の唇の端を拭う。
 余計なところに付いてしまった紅を取ったのだとは容易に知れた。
 けれど、でも、だって。
 その手つきがあまりに柔らかで優しくて、そうしながらの山崎の表情があまりにかわいかったので、仕方がなかったのだ、これは、もう、仕方がないだろう。だって、そんな。
 痺れる指を隠していた手を解いて、山崎へ伸ばす。
 きょとんとする山崎の手首を軽く掴んで、それをそのまま畳に縫い付けるよう押し倒す。
 ついいつもの要領で動いてしまったので、せっかく山崎の着つけてくれた着物が乱れてしまう。
 きっとひどく怒られるだろう。これは仕事でやっているのだ。人との約束でそうしているのだから、時間の取り決めも、あるだろう。
 けれど山崎が悪いのだから、沖田に反省する気はない。
―――……お、きた、さんっ!」
「何でも言うこと聞いてくれんだろ」
「仕事終わったら! に決まってんでしょう! 何やってんですか……」
「俺ァ今したい」
「馬鹿言ってんじゃありませんよ。俺の支度もあるんだから、ねえ、どいて」
「やだ」
「沖田さん!」
 山崎の抗議の声でさえ、甘たるいように聞こえてしまうから、病というのは聴覚にまで支障をきたすもののようだ。いよいよこれは危ないかも知れない。
 熱を持った指先を山崎の頬に滑らせれば、山崎が軽く緊張したように体を強張らせた。頬を撫で、まるい曲線を辿って顎を掴む。軽く支える様に上向けてやれば、山崎がそっと目を伏せて、「ばか」と戯れのように言った。
「塗ってやろうか、紅」
「……いいです。沖田さんがやったら失敗するもん。余計に時間がかかっちまう」
「馬鹿だなぁ。俺以上に、おめえをかわいくできる奴なんて、いるわけねえだろ」
「なにそれ……」
「ほら、目、閉じて」
 呪文のように囁いて、沖田は山崎の顎を支えたまま、紅の塗られた唇を山崎の渇いたそれにそっと寄せた。
 怒るかと思われた山崎は、意外にも大人しく言われた通りに目を閉じる。
 濡れた唇と渇いた唇をそっと触れ合わせて、丁寧に押し当てたあと一度だけ軽く啄めば、山崎の塗った沖田の紅が山崎の唇に鮮やかに移った。

「……沖田さん、さあ」
「ん?」
 顎からそっと指を離して、今度は掌で頬を撫でてやる。それに擦り寄るようにしながら上機嫌に微笑むのは、山崎の癖だ。うっとりとしたように目を細めて、沖田の掌に頬を預けながら、山崎は嬉しそうに言う。
「やっぱり、すごくきれい。俺ねえ、絶対、沖田さんに化粧してみたかったんですよ。思ったとおり、すっごくきれい。どうしよう、自慢したいな」
「誰に?」
「会う人会う人、みんなにです。こんなにきれいな人、俺のなんだって、言って回りたい」
 くすくすと笑って、山崎は薄く色付いた唇で「おきたさん」と軽やかに名前を呼んだ。
 指を伸ばして沖田の唇に軽く触れ、うれしそう目を細める。
「ちょうどいい色に、なりましたね。やっぱりきれい。きっと、世界一ですよ」

 ああ、もう、本当に、まったく、ひどい、どうしようもない。
 この短時間に山崎が沖田に与えた仕草に言葉に何もかもに、沖田は思考を奪われて、
「ばぁか。俺の方が、お前のこと、自慢してえよ。世界中に」
 ひどく情けないことに、それ以上のうまい返し方が、ちょっと見つけられなかった。



 病は確実に進行している。
 世間では恋と呼ぶらしい。

      (10.01.20)




「沖田と山崎の女装話」というリクエストだったんですが、山崎女装してませんね…。山崎が沖田さんに化粧をしてあげる、という心躍る追記に全力で乗っかってみました。
両者ともに相手にめろめろな沖山ってかわいい。毎日のように「これ以上好きにならせてどうする気だ!」と思っているんだろうなあ二人とも、と妄想してにやにやします。
素敵なリクエストありがとうございました!大変楽しく書かせていただきました。