総、と名前をつけたのは、太陽の光に透けるきれいな茶色の毛並みが、よく似ていると思ったからだ。
気まぐれなところも、やさしいところも似ている。
呼べばすぐに寄ってくるところも、撫でるとにゃあと甘えるところも、餌をねだるようにじっと視線を寄越すところも、餌を食べるところを見ていれば首を傾げて少し場所をあけてくれる優しいところも、そっくり。
いつまでも欠けた茶碗ではかわいそうなので、貴重な非番を利用してそれ用の皿を買ってきた。いつまでも残り物ではかわいそうなので、専用の餌も一緒にだ。気に入るかな、おいしいかな、喜ぶかな、どれが好きかな。選ぶときのうきうきする感覚は、なかなかに得難いものがある。気に入ってくれたらいいなあ、と茶色の毛並みを思い描いて買った皿は鮮やかな赤。あのひとに一番似合う色を自然に選んだ自分が、おかしいやら恥ずかしいやら、うれしいやら。
新しい皿にざらざらと新しい餌を入れて、庭先にことりと置き山崎は小さく名前を呼んだ。
「そおー」
呼べば普段は草の陰からごそごそ姿を見せるのだけれど、今日は呼んでもなかなか来ない。
おかしいな、と首を傾げて、山崎はもう一度名前を呼ぶ。
「総ー? 総ちゃん? 総くん? ごはんだよー」
飼っているわけではないから、本当は野良なのだから、首輪もつけていないのだから、もしや他にとびきり上等のえさ場を見つけてそちらに行ってしまったのかも知れない。真新しいお皿に盛られた、ちょっといいお値段だった餌を山崎はしょげて見下ろした。
「そーおー……」
「呼んだ?」
「えっ!?」
突然人間の声がして、山崎は驚いて振り向いた。振り向きながらも顔が熱くなる。だってそんな、こんな距離で、自分に気配を悟られず立つことのできる人なんて限られてるじゃないか。鬼と呼ばれる副長と、それから稀代のひとごろし。
「沖田さん!」
にゃあ、と沖田の腕で茶色い毛並みの猫が鳴いた。
「何、お前、犬じゃなかったの」
「へ? は? な、なにが?」
「えさ。それ、猫んだろ」
山崎の横に置かれた餌の箱を見て、いじわるく笑った沖田は、なあ? と腕の中の猫を撫でる。にゃあ、と甘える様に猫は鳴いて、軽い身のこなしで沖田の腕から逃げた。山崎に擦り寄るようにして近寄り、それからまっすぐ餌へと向かう。
「沖田さんとこにいたんですか」
「それ、そいつのえさ? お前が買ったの?」
「はい」
「飼ってんの?」
「飼ってる……ていうか、最近よく来るので。えさやってたら、懐かれたみたいです」
「ふうん。……総って言うんだ?」
「え?」
「そいつの名前」
「……はい」
「お前が付けたの?」
「はい……」
「ふうん」
にい、と唇の端をあげた沖田は、視線を合わせるかのように山崎の傍にしゃがみこむ。いじわるくも楽しそうな顔をしているので、山崎は何も言えないで視線を逸らした。なんだかものすごく恥ずかしい秘密がばれてしまったような気分だ。顔が見れずに困っていれば、頭をやさしく撫でられた。甘やかすようなそれだったので、山崎はますます恥ずかしくなった。
にゃあ。
小さな声がして、総と呼ばれた猫が山崎の膝へ飛び乗る。
「ん? どうした? おなかいっぱい?」
半分ほどしか減っていない餌を見て山崎が問いかければ、猫はもう一度にゃあと鳴いて、真っ直ぐに沖田を見上げた。じい、と見つめた目を逸らさず、山崎の膝の上に座り込む。
「あ、こいつ」
「え、なに?」
「おい、こら、お前」
くつろぐ姿勢に入った猫を、沖田の手が軽く押した。嫌そうに顔を上げる猫を追い払うような仕草をして、沖田はわざとらしく怒った顔をする。
「そこ、俺の」
「お、沖田さん?」
「つうか、こいつ、俺のだから。お前になんか、やらねえよ」
猫はにゃあと抗議の声を上げ、沖田を見上げる。
猫は山崎の膝の上。沖田の掌は山崎の頭の上。
のどかな昼下がり、気持ちの良い風が通り抜ける庭先で突然打ち鳴らされた試合開始の合図。
にらみ合うこと数秒。
根負けしたのは猫の方で、渋々立ち上がって山崎の膝を下りた猫に、沖田は勝ち誇った顔を向けた。
「……沖田さーん、大人げなーい」
「大人じゃねえもん」
「あ、ちょっ、こら、何してんの」
「俺のだっつったろ?」
先ほどまで猫が座っていた場所に、今度は沖田の頭が乗る。薄茶色の髪が山崎の膝の上にやわらかく広がった。心地いい重さだ。山崎はついうっかり、その髪に指を伸ばす。指先でそっと触れて、少し梳いて、掌で撫でてみる。沖田は目を閉じて気持ちよさそうにそれを受け、喉の奥で少し笑った。まるで猫のようだった。
「重い?」
「大丈夫ですよ」
「重いつってもやめねえけど」
「何それ」
「だって俺んだもん」
「なにそれ」
はは、と軽い笑い声。
「本当に寝ます?」
「んー……そうしよっかなぁ……」
「昨日遅かったですもんねえ」
「昨日つうか、今日な。もうすでに」
「ですねえ。寝れました?」
「うん、ちょっとな……」
「今日お休みかと思ってました」
「俺もそう思ってた」
「はは、かわいそう」
「お前、かわいそうとか、思ってねえだろ」
「思ってますよう。かわいそう。今夜はゆっくり寝て下さいね」
「……ん? なんだ、それ」
「俺は明日遅番なんですけど、っていう」
「お前なあ」
「なあに?」
「……寝る。ちょっと、俺、今から寝る。起こすなよ」
「はいはい。……でも俺遅番なだけですからね? 休みじゃないですからね?」
「だいじょーぶだいじょーぶ」
「……ほんとかなぁ」
「山崎ぃ」
「はい?」
「好き」
「……俺も、好きですよ、沖田さん」
すう、と子供のような寝息が返事の代わりに返って、山崎は小さく笑った。
さらさらと零れる髪を優しく撫でる。やわらかくて日に溶ける、あたたかい色をしている。
ずっと見ていたくて、ずっと触れていたくて、本当は、ずっとずっと一人占めしたいと思っているのは、山崎の方だ。俺のだから、と言ってまわりたいのは、きっと自分の方だ。
「かわいそう。かわいい。……いい夢、見れるといいですね」
安心しきって本当に眠ってしまったその寝顔を見下ろす。少し長い前髪をそっと指でよける。白い額。長い睫毛も日に透けるきれいな色。通った鼻筋。薄い唇と、そこから穏やかに漏れる呼吸。
山崎はゆっくりと息を吸って、それからゆっくりと吐いた。心臓がどきどきとうるさく動いて、それがあんまりにも響くから、沖田が起きないかと心配になったくらいだ。
額に触れて、頬に触れて、ばれないように指先だけでそっと、唇に触れる。
指に触れる呼吸。やわらかな感触にどきどきして、山崎は慌てて指を離した。
離したそれで、自分の唇に触れる。
「好きです、総悟さん」
にゃあ、と再び鳴き声がして、山崎は落としていた視線を上げた。
庭先にちょこんと姿を見せて、総と名付けられた猫が鳴く。
「ああ、ごはん、食べた? おいしい?」
にゃあ。
「まだまだいっぱいあるからね。おなかがすいたら、食べにおいで」
にゃあ。
「……えへへ。ごめんね、この人が大人げなくて。いじわるしてるんじゃないんだよ」
にゃあ。
「子供みたい。かわいいでしょう。本当はね、優しくて、かっこよくて、お前によく似た素敵なひとだよ」
猫は首を傾げて山崎と沖田をじっと見つめる。太陽の光に透ける茶色の毛並み。行儀よく座ったきれいな姿で首を傾げて目をそらさない。
山崎は微笑んで、沖田の髪を再び撫でた。
「お前のおかげでたくさん名前を呼べるから、俺は嬉しい。ありがとう」
うれしそうな山崎の言葉に、猫はもう一度にゃあと鳴いて、それからふいと姿を消した。まるでそれが拗ねているようで、そんなところまでよく似ていて、山崎は思わず声をあげて笑った。
「惚れた男はかわいいものよ お気の毒だが主じゃない」という都々逸いただきました!のでやりました。
相変わらず都々逸使うとそれには沿わない出来になりますな。沖田さんは猫に似ているとずっと思っていて、沖山のときの山崎も犬っていうより猫だよな、と勝手に妄想しています。
沖田さんが山崎にめろめろなだけじゃなくて、山崎も随分沖田さんにめろめろなんだよ、という話、になってればいいな。素敵なリクエストありがとうございました!滾りました。