山崎はなにやら難しい顔をして箪笥を引っ掻き回している。よく見る光景ではあるが、今山崎の足元に散らばっているのはいつものように色とりどりの布ではなく、落ち着いた、渋い色合いの布たちだ。山崎は難しい顔をしてうなり声を上げている。後ろから抱きしめたら怒るだろうなぁとどうしようもないことを、俺は考えている。土方の代わりに呼ばれた偉い人との会食までまだしばらく時間があった。少し眠たい。
「沖田さん、これにしましょう」
どれくらいの時間そうしていたのか知れないが、どうも少しうとうとしてしまったみたいだった。山崎の声でぱっと目を開ける。現実との境目が曖昧で、ぼんやりと見ていた夢の残像が思考の混乱を招く。
「え、どれ」
「これ」
ずい、と山崎が出した着物は、落ち着いた渋い色合いで、なかなか上等なものに見えた、が、よくわからない。山崎の私物だろうか。それとも俺は、こんな着物を持っていただろうか。
「……ああ」
これくらいがいいと思うんです、と言いながら山崎が広げる着物を見て、唐突に思い出した。
姉上が買ってくれた着物だった。
江戸に上るとき、新しい着物がよいだろうからと仕立ててくれた着物だ。
特別余所行きな着物にしよう、と思って仕舞ったっきり、着る機会もなかったのでどこへやったのかすっかり忘れていた。持っていたことだって忘れていた。人の記憶ってのはひどく曖昧で、薄情だ。ずっと昔、まだこの着物のことを覚えていたときに、山崎には話したことがあった気がするが、その山崎だって忘れているのだろう。
「沖田さんが姉上様から贈られた着物って、これですか?」
……と思ったら覚えていた。
素早い動作で丁寧に着物を広げ終えた山崎は、淡々と俺の隊服を脱がしにかかる。
「えっち」
「馬鹿なこと言ってる暇があったら自分で脱いでください」
「脱がせろよ」
「何なんですか、もう」
文句を言いながら山崎はさっさと俺の上着を脱がしてスカーフをはずしてベストのボタンを素早くはずし脱がして、
「……自分で脱いでくださいよ」
シャツのボタンをはずす段になって少し躊躇し動きを止めた。
怒ったような顔を作って俺を睨む顔が可愛い。
「変な気分になっちゃった?」
あんまりにも可愛くてからかえば、少しも手加減せずに脛を思いっきり蹴られた。反射的に山崎の頭を叩けば、同じ力で叩き返される。
「うざい!」
ついでに暴言まで吐かれる。
「もう手伝いませんからね!」
そこまで怒るってことは結構図星だったんだろうなぁからかっただけなのに可愛いなぁ、と思ったけれど口には出さなかった。山崎の手伝いがなくても身支度ぐらいはできるけど、それでもやっぱり寂しいのはよくない。
ごめんごめん、と軽く謝ってもまだ山崎はじっとりした目でこっちを睨んでいる。
反省の意を示すために自分でシャツのボタンをはずして、ベルトをはずしてズボンも脱いだ。監視するように怖い顔をしたまま山崎がじっとそれを見つめてくるので、なんだかこっちが変な気分になってくる。
「脱いだぜ」
「じゃあこっち、着てください」
そこからはもう山崎の独壇場で、俺は言われるがままに着たり腕を上げたり回ったりした。脱がせるのもえろいけど、着せるのもえろいよなぁ、距離が、と思ったのは山崎には内緒。真剣な顔と半開きの口があんまりにもえろかったので一回キスしたけど、それは怒られなかった。
ところで山崎は面食いだ。
好きな女の好みも、もちろん男の好みも聞いたことがないので定かではないが、面食いのはずだ。
しかも並々ならぬこだわりがある、はずだ。俺の前髪一房の流し方について、五分も真剣に悩むくらいなので。
「……退サン」
「はい」
「動いてもいいですか」
「だめ」
「首いてえ」
「もうちょっと」
「ここでそんなに気合入れても、着くまでに崩れちまうよ」
「それでも俺はこんな中途半端な状態で沖田さんを幕府の会食なんかに送り出せません」
「どうせ穴埋めだって」
「それでもです。せっかくなんだし、料亭で見知らぬどこぞのお武家の娘様に見初められて帰ってくるぐらいでないと」
それって誰が得すんの、と聞いたけど無視された。
実際そんなことが起こったって、俺は断るのが手間だし断られたお嬢さんは可哀想だし、そもそも山崎だっていい気分はしないだろ。……と思ったけど、どうかな。山崎は自分の仕事に対して自信とプライドを持っているので、自分が手がけた作品イコール俺が、それなりの人物の目に留まったとなれば案外喜ぶのかも知れない。
「複雑」
「何がですか。はい、できた」
やっと満足がいくようにできたのか、山崎がにっこり笑って俺の胸をぽんと叩いた。
姉上の贈ってくれた上等な着物に、山崎がこだわり抜いた髪型、だけど鏡がないのでその出来はいまいちわからない。真選組衣装担当の山崎が自信満々なのだから、悪くはないのだろう、多分。
「まあ、俺は顔がいいからね」
「いきなり何ですか」
「山崎は俺の顔が大好きなんだろって話でィ」
山崎は一瞬きょとんとした顔を見せてから、
「否定はしません」
くすくすと女のように笑って曖昧に頷いた。
怒ってる顔も可愛いけど、こういう顔も断然可愛い。満足そうな顔も可愛い。泣いてる顔も困ってる顔も考え込んでいる顔も全部可愛いので、つまり山崎ならなんでもいいってことなんだけど。
「かっこいい」
俺が山崎の顔に見惚れている間同じように俺の顔に見惚れていたらしい山崎が、うっとりした声音で言う。言って、遊女がそうするように指の背でそうっと頬を撫でてきたりするので、俺の肌が軽く泡立つ。
好きだなぁ、と思うのはきっと理屈ではない。
好きだなぁ抱きしめたい、と理屈抜きで思ったけれど、今髪型や着物を崩せば山崎は悲しむかも、とどうしようもないことを思って自制した。変わりに山崎の頭を撫でる。山崎は女のように笑って、
「かっこいいです。好き」
女のようなことを言う。けれど、そこいらの女よりずっと可愛い。俺のことを好きな山崎は世界で一番可愛い。
俺のために真剣に着物を選んでくれて俺のために真剣にそれを着せてくれて俺のために真剣に髪型を整えてくれて、俺がとっくに忘れた思い出を俺の代わりに覚えてくれている。
愛おしいと思わないほうがどうかしている。
「行きたくねえなぁ」
思わず口から零れたら、山崎が少し困ったように笑って、
「行かせたくないですねえ」
俺の手をぎゅっと握って、足りなくなったのか腕を掴んで、「やだなぁ」とかなんとか呟いて、ぎゅっと俺に抱きついてきた。俺の自制を返して欲しい。
極力丁寧な動作で山崎の背中に腕を回す。「俺本当に沖田さんの顔が好きだなぁ」と独り言みたいなトーンで山崎が呟く声が直接鼓膜を震わせる。
「顔だけ?」
「顔が一番ウエイト大きいですよね」
「見せたくない?」
「見せたくないです。でも見せびらかしたい。俺作って名前書いときたい」
「顔は両親作だけどな」
「そんなかっこよくなったのは俺のおかげですよきっと」
「言ってらぁ」
「だって本当だもん」
俺のことを好きな沖田さんは世界で一番かっこいいです。
と、山崎がうぬぼれたことを言って、
「行かせたくないなぁ」
心底残念そうに言うので、俺は山崎から時計を隠すために手のひらで目を塞いでしまって、
「まだ、平気だろ」
平気じゃないのを知っていたけど、ついでに唇も塞いでしまった。