刀を振るうのは得意だった。剣の上手と褒めそやされて幼い頃は調子に乗った。時流は転変、世界は荒れ、刀は人斬りの道具になった。人を殺すのは苦手だった。
ぬめる脂、飛び散る血、足場は悪くずるりと滑って手を着いた先にある死骸。腕と足と胴と首がばらばらになって転がって、ヒトではなくただの肉になったそれ。
作りだすのは嫌だった慣れて行くのも嫌だった。それでも自分が、自分たちがこの国をよくするのだという思いだけが先走り、沢山の死体の山を作った。敵もあったし味方もあった。守った命と見捨てた命、数えればどちらが多いだろうか。
せめて天人の血が赤でなければこうも空しくなかったかも知れない。
歯毀れの出来た刀を見るたび、やりきれなくてひとりで泣いた。
泣いて斬るも笑って斬るも怯えて斬るも勇ましく斬るも、どうせ行きつく先は同じなのだ。だったらてめえが納得できるように、納得して刀ァ握れよ。そう一喝したのは誰だったろう。黒髪の血気盛んな友人だったかも知れないし、銀髪のとらえどころのない友人だったかもしれないし、あるいは、癖毛で訛りの強いやさしい友人だったかも知れない。
自分はなんと答えただろうか。そうだな、と答えたかも知れない。
自分だって。そんなことはわかっていた。結果が同じならもっとうまくやりたかった。本当にそれに徹したかった。でもできなかった。
こわかった?
いや、違う。でも、できなかった。
できないままで全部が終わった。たくさん殺した。守った以上にきっと見捨てた。
自分が臆病だったせいで、きっと、たくさんの、誰かの大切な人が死んだ。
「……だったらテロリストなんてやめれば」
馬鹿じゃないの、というような顔で、まるきり馬鹿にしたように話を聞き終わった男は言った。
人の少ない公園でのんきに二人並んで座っている。
中途半端に伸ばした髪を耳にかけながら、はあ、とわざとらしい大きさで男は溜息をついた。
「それができれば苦労はせん」
「だっていっぱい人が死ぬじゃん、あんたらみたいなのがいると」
「幕府の狗に言われたくはない」
「俺たちのは仕事。あんたらのは自分が好きでやってんだろ。嫌ならやめなよ」
「…………」
それができれば苦労はしない。
刀を握って振るうことより、からくりを使って手を汚さないようにすることが多くなったって、誰かを傷つけるのを止められない。
ここで止めてしまえばきっと、たくさん殺した命たちすべて、無駄になると思っているからだ。
「過去の、百の犠牲を正当化するために、」
「……」
「俺は明日千殺す」
緩く風が吹いて、長く伸ばしたままの髪を無遠慮にかき混ぜた。
この髪だって、昔友人がきれいだと褒めたから、なんとなくそれが嬉しくて、その言葉を大切にしたくて、伸ばしたままにしている。本当は刀を振るうにもからくりを使うのにも邪魔だ。些細な感傷のために、自分はいくつの無駄を重ねるのだろう。
「……馬鹿じゃね」
今度こそはっきりと男は言って、今度は、ふう、と憂うような溜息をついた。
「馬鹿か」
「馬鹿だよ。こんなん真剣に追ってる俺らがかわいそう」
「捕まえればいいだろう」
「知らねえの? 俺今日非番」
無駄な仕事はしない主義なんだ、と薄く笑う、彼の腰にも刀がある。
彼も人殺しだ。それも、本物の人殺しだ。
「……俺はお前が羨ましい」
「はっ。本気で、馬鹿」
唇に笑みを浮かべたまま、男は少し眉を下げて、悲しそうな顔をした。憐れむような顔だったかも知れない。
こんな人間らしい表情を浮かべる、この男がほんとうに地獄の生き物なのだとは、最初から知っていた。
たくさん人を殺した。後悔をした。それでも、後悔を消すためにはそうせざるを得なかった。
後悔を和らげるために後悔を重ねて生きる先、黒い獣に出会った。
彼の姿は闇に溶けていて、まるで闇そのもののようだった。
右手に握られぶら下げられた刀からは真っ赤な血が滴っていて、ああ、同じ生き物だ、と思うと同時、ああ、違う生き物だ、とわかった。
そうだ。こんな風になりたかったのだ、とも。
こんな風に、心も体も全部、闇に溶けれしまえれば、きっと、どんなにか、よかったろう。
「……テロリストなんて、攘夷志士様なんて、馬鹿ばっか。俺は最初から、あんたが羨ましかったよ」
いつのまにか合わさっていた目をすい、とそらして、遠くを見るような目で男は言った。
憐れむでなく、すこし、悲しそうな顔をしている。
「何故だ」
「何故って……なんでだろう。俺もあんたみたいになりたかったなって、思ったよ」
「だから、それは何故だ」
自分はこの男に憧れていたというのに。
しつこく聞けば男はちょっと嫌そうな顔をして、それをすぐに困ったような表情に変え、
「きれいだったから」
早口で言った。
聞き逃せばいい、とまるで思っているようだった。
「……きれい?」
「顔が、とかじゃないよ。言っとくけど。……顔もそりゃ、きれいではあるけど」
「そうか」
「そこ相槌うつとこじゃねえし」
おかしそうに男は笑う。先ほどまで困惑を浮かべていたというのに、簡単にきゃらきゃらと高い笑い声を上げる。幸福そうな笑顔を見せるから、あのとき憧れたあの姿は幻だったろうかと思うことがある。が、幻であったとしても、いい。幸福そうな顔も好きだから。
「ああ、俺と同じ生き物だなって思った」
こちらの思いも、知らず、男は言葉を続けた。
その言葉に、思わず首のあたりが冷えた。
「でも、違う生き物だなってわかった」
「それは……」
「俺は、あんたみたいになりたかったよ。少しも汚れず、光の下にきちんと立っていたかったな」
それは。
聞き取れるか聞き取れないか危ういほどの、小さな声だった。
風が大きく木の葉を揺らしていれば、きっと聞き逃してしまったくらいの、囁きに似た声だった。
「俺は」
「しっ! かくれて」
こちらの言葉を突然遮り、男は厳しい顔を作って立ち上がった。素早く庇う様な立ち位置に立って、視線をそっと巡らせて、それからやはり囁くように
「隠れて、はやく」
言った。
「おい」
「いいから、はやく! ……あんたの好きな、俺のためだよ」
一瞬見えた悲しい顔は、すぐ厳しさの中に隠れた。
仕方なし、言われるがままに木陰に隠れる。それを確認して、男は再び何気なく立ち位置を変えた。
隠れた隙間から見えた、黒い隊服を着た、山崎の仲間が数人。
喉のあたりがちり、と痛んで、やり過ごすように拳を握った。ぎり、と爪が肌に食い込んだので、爪を切らねば、と、ひどくどうでもいいことを思った。
「山崎」
「はいよ。どうかしました? こわい顔」
「ここいらで桂見なかったか」
「え、出たんですか」
きらきらと太陽にきらめく茶色の髪を軽く振って、隊服の男は言う。
「うん。でも逃がした」
「またですか」
「いいんだよ。遊んでやってんだ」
茶髪の男は生意気にそんなことを言って、男の手を握った。
引かれるがままに男は歩く。
一歩、二歩、遠ざかっていく。
何度も何度も何度も何度も男が、山崎が、後ろを振り向くので、ばれるのではないかとひやりとした。
ひやりとした後、吐きそうになった。
好かれている自信はあった。逃がしてくれているのも知っていた。どちらかの性別が違えば恋をしていたかも知れない。出会いが違えば友人になれただろう。
それなのに、今。
自分は、山崎の、離れてしまう悲しみより、ばれてくれるなという不安より、逃げ切ってくれという心配より、何より、捕まりたくないという自分の保身を今、優先したのだ。
闇に溶ける山崎は美しい。一点の迷いもない。
迷いだらけの自分は、闇にも溶けれず光にも混ざれず。染みを残して、それでもただ、生き延びることだけ考えている。
醜い。
ひどい。やっぱりひどい。
自分はいつも中途半端で、後悔をしてばかりだ。
こうしてきっと、誰かを殺す。
こうしてきっと曖昧に、自分のことだけを考えて生きているから誰かを泣かす。
山崎も泣くだろうか。きっと泣くだろう。
自分が捕まれば泣くだろう。
けれど、自分が捕まらなければ、彼は彼の曇りない心に嘘をついていることになるから、きっと、やはり、苦しいだろう。
ああひどい。やっぱりひどい。
闇に紛れらていたらきっとよかった。
溶ける様に生きて、その中で出会っていれば、きっとそれが幸せだった。
正解だったろうと、思うのに。
「俺は、いつも……」
臆病者なのだ。攫うことすらできない。
きっともう会えない。会わない。
あれは闇に生きる生き物なのだ。本当は、慣れ合うような生き物ではないのだ。
少し情を見せたことで、きっと彼は後悔しただろう。しなくてもいい後悔をして、自分を激しくせめるだろう。
優しいからこそ、苦しむだろう。そしてきっと、山崎は、自分のことを、捨てるだろう。
それでいい。それがいい。そうして欲しい。自分と違ってあの生き物は、大切なものとそれ以外を、きちんと線引きできるのだ。
線の外に放り出されて、不格好に隠れたまま、拳を強く握り続けた。
爪を皮膚に立てても立てても痛くないとぎりぎり力を込めるうち、皮膚が傷ついて血が滲んだ。
それでも、痛くないから爪を立て続けた。
ああ泣いてしまいそうだ。
自分はいつだって、こうして誰かを殺すのだ。
彼のあの、優しい気持ちや憧れでさえ、臆病な自分が殺すのだ。
七月の夕暮さんが書かれた桂と山崎の友情話「極東の夜に泣く」に触発されて書きました。
大いに桂を誤解している気もしますが、雰囲気だけ受け止めていただければ…。
タイトルは夕暮さんに付けていただきました!コラボレート!という自慢です。