浪人同士の諍いということで事件現場を処理してしまって、そのまま電話一本で「今日は帰らない」と告げた。電話の向こうの親友兼上司がそれをどう解釈したかはわからない。何か言われるより先に、通話を切ってしまったので。
用途にあわせて薄暗く調節された光源で、部屋の空気まで艶めいて見える。山崎は、と様子を伺えば、上等とはいえない布団の上で正座をして、こぶしをぎゅっと握り締めていた。
恐怖か後悔か軽蔑か緊張か、いまいち判然としない。
土方はひとつため息をついて、部屋に入るとき注文した酒に手を伸ばす。猪口に並々注いでやって、ん、と山崎に突き出せば、山崎はゆっくりと顔を上げた。
「まあ、飲めや」
「…………」
「別に、酔わせて犯そうなんざ思っちゃいねえよ。どっちみち、帰り方もわかんねえしな、夜露しのがなきゃなんねえだろ」
山崎の手に猪口を押し付け、土方は自分の杯にも酒を注ぐ。
「嫌だっつーなら、てめえは外で寝てもいいけど」
「……いただきます」
「おう」
ぐ、と一気に飲み干した山崎の杯へ、土方は再び並々と酒を注ぐ。
酔わせて犯すつもりはないが、酔わせるつもりは大いにあるので。
「お前さぁ、」
「はい」
「俺のこと好きなの」
あ、間違った。自分の酒を舐めながら土方は山崎の様子をちらと窺う。今のはあまりに直球すぎた。
案の定山崎は、土方と目をあわさないように深く深く俯いてしまう。中途半端な長さの髪がさらりと零れて顔を隠す。
「だから、尊敬してますって」
「だから、そういうのはいらねえって」
「何で、」
「聞きてえのか」
「……聞きたくない、です」
「お前、本当うぜえな」
言えば山崎はますます俯いてしまう。俯きすぎて首を痛めるのではないかと、妙なところが心配になる。
「あのな、俺ァ怒ってんだ」
酒の減らない猪口を置いて、山崎の前髪を掬って落とす。一瞬、山崎の肩がびくりと跳ねて、その体を取り巻く緊張感が増した。
「まず第一に、無茶しやがったこと。あんなくだらねえ状況で死にそうになってんじゃねえよ。おめえが死んだら今おめえに任せてる仕事は誰がやるんだ? どうすんだ? もっと考えて行動しろよ頭足りねえんじゃねえのか、あァ?」
本当は髪でも引っ掴んでがくがくと揺さぶってやりたかったが、掌に滑らかな冷たい髪の感触が心地よくて、なかなか離しがたい。苛々した土方の口調とその動きの差異に、山崎が戸惑ったように顔をあげる。
「……すみませんでした」
「第二に、それを助けてやった俺に対して説教垂れるたァどういう料簡だ? 何目線? え? 助けてもらったらまずありがとうございますだろーが」
「……すみません」
「俺ァおめえの理想通りに動いてやる気はねえからな」
前髪を梳いて頭を撫で、顔を隠す髪を耳にかけてやり、ついでに耳朶を優しく擽る。再び肩を揺らす山崎の反応が面白くてそのまま続ければ、とうとう真っ直ぐ顔をあげた山崎に、ばしっと腕を叩かれた。土方はそれを叱りもせず、酒の残る猪口を山崎の手にしっかりと握らす。
「飲めよ」
「はぁ……」
「たまにいるんだよ、てめえみてえなのが。勝手に憧れて勝手に尊敬して、ちょっとでも気に食わねえと『副長はそんな人じゃありません』って、だったらどんな人だってんだその清廉潔白な副長様を俺の前に連れて来てみろってんだよ」
空になった山崎の杯に土方は再び酒を注ぐ。大人しくされるがままにそれを飲み干す山崎の頬が、ほんのりと赤くなっていく。
「俺は、俺なんかを尊敬するやつが信用できねえ」
「…………」
「おめえが本気で、本心で、俺を尊敬してるっていうなら、それ以外の感情がねえってんなら、やっぱり俺はおめえを信用できねえ」
「……でも、」
「言えよ。お前、俺のこと好きなんだろう」
それは少し、懇願に似ていたかもしれなかった。
土方は、自分のことが好きではない。ろくな人間ではないということを知っているし、誰かから目指され憧れられるような人生を歩んでいるとも、歩もうとも思わない。やっていることの大半が間違っているのではないかと思うこともある。盲目に全肯定されるのも気に入らない。
それでも尚、山崎を傍に置いたのは。
「……好きです、俺は、副長のことが、」
ようやく酔いの回ってきた山崎が、ゆっくりと口を開いた。
土方は少しも減らない自分の酒を舐めながら、それに耳を傾ける。
「好きで、好きで、本当に……好きです。でも、副長は、」
そこで言葉を区切って、山崎は残った酒を一気に煽った。含み切れなかった酒が口の端から零れ落ちて、布団を濡らす。酒の匂いと、わずかに香る金木犀。
「副長は、俺を、大事にしないでください」
酔いのせいで潤んだ目のせいで、泣いているのかと錯覚した。
土方は手を伸ばし、思わず山崎の頬に触れる。渇いたそれを拭えば、山崎は困ったようにへらりと笑った。
「俺はね別にね、副長がすごい賢いとかかっこいいとか世界で一番正義だとかやること全て正しいとか間違わないとかそういうことを、盲目に、思ってるわけじゃあないんです」
頬を包むようにする土方の手に、山崎の手が重なる。酔いのせいか少しく熱い。
「だから、今まで副長を尊敬してるって言ってきた奴らみたいに、ちょっとのことで幻滅したりとか、そんなことは、しません。別にそれは、恋でなくたって、そうです」
「…………」
「でも、嫌なんです。俺を大事に、しないでくださいね」
「何で」
「俺はねぇ、土方さんの、ことが。すごく好きなんです。ちょっと自分でも引くほど好きなんです」
小さく笑って山崎は、重ねた土方の手をきゅっと握った。泣き笑いのような顔をしている。抱きしめたいな、と少し思って、土方は少し、躊躇っている。
「だからなんていうか、駄目なところもいいところも、基本的に全部知ってんですよ。土方さんが、優しすぎることも、知ってるんです」
「……何の話だよ」
「土方さんさぁ、俺を好きになったら、俺を大事にし始めたら、本当に大事にしてくれるでしょう。俺、そういうの嫌です。ミツバ殿のときみたいに、」
言って、山崎は少し土方の顔色を窺うような顔をした。
空いている手で頭を撫で続きを促せば、安心したように息を吐く。
「……ミツバ殿のときみたいに、黙ってかっこつけるでしょ。俺を本当に大事にしだしたら、土方さんは優しいから、またああいうことをするでしょ」
「しねえよ」
「するよ。したじゃん」
「…………」
「俺はね、あれがこわい。ああいうのが、一番怖い。俺の頭の中だけで、副長俺のこと好きなのかなって思ってる間は楽しいし、怖いことなんて一個もないけど、でも、やっぱそれは、よくないなって実感しました。俺はあんたが大事です。この世で一番大事です。だからやっぱ、駄目だ」
握っていた手が離されて、土方の首筋が少し冷える。が、咎めるよりも先に山崎の手が躊躇ったままの土方の腕へ伸びた。縋るようにそうされて、促されるように、土方は山崎の背に手を回す。抱きしめた首筋から香る、金木犀の香り。
「……両思いになっても嬉しくないなら、告白すんのなんて無意味じゃん」
抱きつくようにして隠された声が震えているので、泣いているのではないかと疑う。
「だから、尊敬ってことに、しといてください。今言ったの、ぜーんぶ嘘だってことに、しといてください」
忘れてね、と言う声が鼻声だ。思わず体を引きはがして、その顔を覗きこめば、案の定泣き出していた山崎が眉根を寄せて土方を睨みつけた。
「っ、何ですか」
「お前さぁ、もっときれいに泣けねえの。台無し」
「ひでえ!」
「そうだなぁ。優しいっつうのはてめえの勘違いだろうなぁ」
「ばかじゃないっすか、もういい。離してください」
「てめえで抱きついてきといて何言ってんだか。お前な、言ってることと行動が噛み合ってねんだよ」
「だって! ……もういいじゃないっすか、いい夢みたなぁって、そういうことにさせてくださいよ……」
「やだ」
「副長!」
「お前さ、」
着物の袖でぐずぐずになった山崎の顔を拭ってやるついでに、とばかりに、土方は山崎の体を軽く押す。突然のことにバランスを崩したその体を布団の上に横たえて、土方はその体を組敷いた。ほんのり赤かった山崎の顔が、さっと血の気を失う。
「ちょっ、」
「何か勘違いしてるっつうか、根本的に馬鹿だろ」
「何が、」
「おめえが俺を好きかどうかってことと、俺がおめえを好きかどうかってことに、因果関係はねえと思うんだけど」
抵抗するように伸ばされた手を握って、手首に軽く吸いつけば山崎の目元が赤く染まる。羞恥か怒りか知れないが。
「山崎」
「……はい」
「かわいいなぁ」
「は、」
「好きだっつったら、怒りますか」
さ、と山崎の顔が赤くなった。きゅっと眉根が寄せられて、握っていた手が振りほどかれる。逃げるように暴れ出すので軽く体重をかけて押さえこめば、困ったような泣きそうな顔をする。
本当は逃げられないわけがないのに。
だから詰めが甘いと言うのだ。
「お、こります……」
「ふうん。俺、お前の怒った顔、好き」
「……っ」
「マヨネーズ摂りすぎだとか煙草吸いすぎだとかちょっと休めとか、こいつどんだけ俺のこと好きなんだよと思って」
「……す、……好きなんだから、仕方ないじゃないすか」
「俺もお前のこと好きなんだから仕方ねえよ」
再び手を握って、少し顔を近づければ、山崎はきゅっと唇を引き結んでやはり困ったような、怒ったような顔をした。目元にまだ少し涙が残っている。
「な、」
「な?」
「……何もしないって、言いました」
「あー、言ってねえ言ってねえ。酔わせて犯さねえとは言ったけど」
「一緒じゃん」
「一緒じゃねえだろ。合意だったら」
「…………」
「抱かせろっつったら、抱かせるんだろ?」
山崎の、涙で湿った頬に土方の唇が落ちる。山崎はきつく目を瞑って体を硬くした後、そろそろと目を見開いて、やはり困ったような顔で土方を見上げた。
「……俺の勘違いですかね。優しくない」
「優しくねえよ俺は。お前の勘違いだよ」
「……俺を大事にしませんか?」
「お前が下手なことしなきゃな」
「俺のために、危ないこともしませんか?」
「人に言う前にまずお前が気をつけろ、馬鹿が」
「……ひとつだけ、言っておきますね」
はあ、と緊張を逃がすように息を吐いて、山崎が体の力を抜く。へらりと口元を緩ませて、やはり泣き笑いのような顔。
「抱かせろって言われたから、抱かせるんじゃあ、ないですよ。好きで、好きで、好きだから、触ってほしいなって、思うんです」
どうしようやっぱり嬉しいです。小さな声で言って、山崎はゆっくり目を閉じた。
夜が明けたばかりでまだ薄靄に包まれた道を手を繋いで歩く。一度なんとなく繋いでしまったら、離しがたくなったのだ。さすがに屯所に着く前には離さなければならないだろう、と思って、知らず知らず歩調が遅くなる。
山崎はと言えば少し辛そうで、繋いだ手に縋るようにしてひょこひょこと付いて来ている。そんなことで真選組の監察が務まるのか、甚だ疑問だ。
「前から思ってたんだけどよォ」
「はい」
「お前、監察向いてねえんじゃねえの?」
「はあ?」
何でですか、と山崎は不満そうに唇を尖らせるが、そうやって全部顔に出す当たりがもう、と土方は苦笑する。いざ仕事となれば優秀にこなすのは百も承知だが、普段を知っているとやはり、向いてないのではと疑わざるを得ない。
「人の気配でも起きねえしよ」
「……部下の寝込み襲って、襲い逃げするような上司に適正云々言われたかないです」
「……おっま! 起きてたのかよ!」
「起きますよあんなの!」
「じゃあもっと動揺しろよ!」
「思いっきりしたっつうの!」
「わかりづれえんだよ!」
「ほら、監察向きじゃないっすか」
にい、と口の端をあげた山崎は、勝ち誇ったように胸を逸らした。少し足取りを軽くして、手を繋いだまま土方の隣に並ぶ。
「離れませんからね」
「……別に、そういう話はしてねえよ」
「でも、使えなくなったら捨ててくださいね」
「そしたら小間使いとして拾ってやる」
「やだなぁ……なんか、際限なくパシられそう……」
「安心しろ。今でも変わんねーから」
「やっぱり優しくない……」
「だから、お前の勘違いだって」
あともう少ししたらこの通りも人通りが増えはじめ、あといくつか角を曲がったら広い通りに出てしまう。繋いだ手を隠す薄靄も朝の光にだんだん溶けて、そろそろ魔法が解ける時間だ。
けれどもう、一夜限りの夢ではないし。
繋いだ手をそっと解く。反応を窺って顔を見下ろせば、同じように山崎が土方を見上げていて、目が合った。どちらからともなく笑い、前へ向き直る。
「好きだぜ、山崎」
「大丈夫です。まだまだ、俺の方が好きですから」
笑い声は低く響いて、人知れず朝靄に溶けた。