「俺はね、別にね、土方さんに捨てられても、どうってことないんです」
お茶を一口啜って山崎はぽつりとそう言った。
それをじいっと見つめる沖田に向かって小さく笑う。
「おかしいですか?」
「おかしいっつーより、意味がわからねェ」
「そうですか?」
「おめェ、アイツのこと好きなんだろーが」
縁側に座って。沖田は足を縁側からぶらつかせて、山崎は足を崩して座っている。沖田は隊服を着ていて、山崎は着物の私服を着ている。いつもの、いつも通りの昼下がり。初夏。淹れたお茶は冷たいもので、グラスの中でからりと氷が鳴る。
いつも通りの昼下がり。
「……好き、なんでしょうか」
沖田の問いかけに、緩く首を傾げて山崎は遠くを見ている。風も吹かずにじんわり暑い。
「好きじゃねーのかィ」
「好きか嫌いかと聞かれれば、好き、なんですけど」
「けど?」
「恋か、そうでないかと聞かれたら」
くるくると手元で回していたグラスを唇に当てて、傾けて、お茶を飲む。グラスに付いた水滴がぽとりと落ちて、山崎の着物をわずかに濡らした。風も吹かずに、じんわり暑い。それなのに、隊服の沖田は仕方なし、山崎まで袖の長い服を着ている。
先日の捜査のときに、腕についた傷がある。
火傷のように爛れたそれは治ったその後も痕を残し、それを隠すようにして山崎は長袖を着ている。理由を尋ねた沖田に、土方さんには内緒ですよ、と笑ったのは山崎で、けれど服の下に付いた傷など土方が気付かないわけがない。隠しておけば隠しただけ、土方は怒るだろうということは沖田にも容易に予想できるのに、それでも尚、隠すのは。
「恋では、ないでしょうねぇ」
遠くを見て、山崎は自嘲気味に笑んだ。
「恋でもねェのに、抱かれてんのかィ」
「恋でなければ、抱かれてはいけませんか?」
「恋でなくて抱かれるんだったら、俺が迫ったら抱かれるかィ?」
「そんな気もないくせに」
「ないけど」
「でしょう?」
「俺は趣味がいいんでね」
「あ、ひどい」
「少なくとも」
沖田は遠くを見て笑んだままの山崎の頬にぴたりと視線を当てる。
「好きな相手を傷つけて平気でいるほど、悪趣味じゃねェな」
腕をそっと伸ばして、山崎の左腕に触れた。びくり、と山崎の身体が強張る。衣服の下には傷があって、痛みはないが痕が消えない。隠しているのは土方のためで、けれど土方が気付かないわけがない。それでも尚、隠すのは、それは山崎の優しさだ。
「……平気じゃあ、ないですよ」
「…………」
「泣きそうな、顔を、するんです」
沖田の手から逃げるように腕を庇い、笑う山崎の方こそ泣きそうだった。
「俺を見て、泣きそうな顔をするから」
沖田へ視線を向け、瞬きを一度。
「俺はね、別に、土方さんに捨てられても、どうってこと、ないんですよ」
「…………わからねェ」
「わかりませんか?」
ふふ、と笑う山崎から視線を外し、沖田はお茶に手を伸ばす。グラスを置いていた場所に、水が溜まってしまっていた。
「俺を捨てて、土方さんがそれでいいなら、俺も別に構わないんだ」
「…………」
「俺を傍に置いていて、土方さんが辛いのなら、捨ててくれても構わない」
「…………」
「道具のように使って、捨てられても、あの人がそれでいいのなら」
それが一番、いいんです、と。
「犠牲的だなァ」
「そうですか?」
「それが恋じゃないって?」
「恋じゃ、ないでしょう」
ふふ、と小さく笑った山崎は伸びた髪をそっと耳にかける。その仕草が美しい。山崎は無駄のない動きをするから、動作の一つ一つが美しいのだと、沖田は今更のように知る。
「こんな欲ばかりの想いを、恋なんて呼んだらいけません」
「…………わからねェ」
「わかりませんか?」
「そんだけ犠牲的で、自分のことは二の次で、何が欲なんだ?」
その問いに、山崎は答えなかった。答えないまま、氷の溶けて薄くなったお茶を静かに飲む。
「俺は土方さんのために死ねるけど、土方さんは俺のために死んではくれないだろうなァ」
「……どうかな。死ねって言ったら死ぬかもしれませんぜ。試しに言ってみなせェな」
「あのプライドの高い我侭な人が、俺のために死ねると思います?」
「じゃあお前から死ね、くらい言うだろうな」
「そう」
楽しそうに、山崎は笑った。嬉しそうに笑って、遠くを見つめた。
そっと、左腕の傷に庇うように触れる。沖田は知らないが、山崎のその傷周りには、土方のつけた無数の鬱血が残っている。
「それで、いいんです」
自分が死んでも、決して後を追ってはくれないだろうと山崎は思っている。自分の想い人は、そんなことで死んではくれないだろうと思っている。その癖、自分が死にそうになったときは、こちらを道連れにするのだろうと思っている。一人で死ぬのが怖いとは、それこそ死んでも言わないだろうが、当たり前のように、こちらが付いて行くことを願うだろう。
それでいい。
「土方さんは、俺のものじゃないけれど」
自分のためになど、生きてくれなくても。
「俺は、土方さんのものだから」
俺のために生きろと、そう言ってくれるなら。
「だから別に、捨てられても、どうってことないんですよ」
「…………やっぱり、わからねェ」
諦めたように溜息をついた沖田に、山崎は意味深に笑った。
捨てることを選べるほど所有物として思ってくれているのなら、それでいいのだ。
道連れに出来るほど所有してくれているのなら、それで。
「醜い独占欲ですよ」
「……酔狂だねェ」
溶けかけた小さな氷が、グラスの中で、からんと涼しい音を立てた。