ばさり、と畳の上には4枚の古新聞紙。開け放した窓から吹き込む風にそれらが飛ばないようにと膝で押さえた山崎が、土方を見てちょいと手招いた。渋い顔をした土方が文句を言わずに従うのを見て、山崎が楽しげに笑う。それにますます機嫌を悪くした土方は、きれいに整えられた新聞紙をわざと乱すようにしてその真ん中へ座った。
「もうっ」
土方の膝をぺしりと叩いて、山崎が新聞紙の位置をぐいと正す。
「ちょっと待っててくださいね」
楽しそうに言い置いて、山崎は箪笥へと向かった。ごそごそと何やら探す音がして、すぐに戻ってくる。手にしているのは小刀と風呂敷で、戻ってきた山崎は小刀をとりあえず畳の上に置き、紫色に染め上げられた風呂敷を土方の膝へふわりとかけた。
土方は憮然とした様子のままで、そんな山崎の動きを見ている。
最後に懐から取り出した櫛を小刀の横へ置いて、山崎は土方の真後ろに、膝をそろえて座った。
「はい」
「……おう」
「じゃあ、切りますね」
「……さっさとしろ」
苦々しげに響く土方の言葉とは対照的に、山崎の声はどこまでも弾んでいる。うきうき、というのが正しいように膝立ちになった山崎は、小刀を手にとって刃をそっと土方の髪に当てた。
位置を迷うように少し刃を滑らせた後、ざ、という音をさせて髪を切り取る。
土方は諦めたように一つ溜息を吐いて、知らず肩に入っていた余計な力を抜いた。
ざ、と刃物が髪を切り落とす音だけが響く。時折、髪を掬うようにする山崎の手が首に触れ、それが楽しく土方は思わず唇に笑みを浮かべた。
髪が伸びてきたな、と何気なく言った土方に、山崎がおもしろいほど食いついたのは1時間程前のことだ。
「そろそろ切るか」
その言葉に、山崎がきらきらと目を輝かせた。
「じゃあ俺が切ります!」
「え、やだ」
「何でですか」
「やだよ、そんなの」
今すぐにでも! と言わんばかりの山崎に若干腰を引けさせつつ、土方は拒絶の言葉を口にする。自分で切るのも床屋で切ってもらうのもどちらでも構わないが、相応の技術を持たない他人に刃物を持って背後に立たれるなど、いくら山崎相手でも真っ平ごめんだ。
しかし山崎はその答えに拗ねたように唇を尖らせる。じとりとした目で土方を見ながら、いいじゃないですかー切らせてくださいよーなどと我侭を言った。
「嫌だっつってんだろ」
「別に減るもんじゃなしー」
「確実に減るだろ、どう考えても」
「絶対ちゃんとしますから。俺上手いんですよ、人の髪切るの」
「……嘘くせぇ」
「嘘じゃないですって! 沖田さんの髪だって時々俺が切ってるし」
「へぇ」
「ね、だからいいでしょう?」
「駄目」
滅多に出さない甘えるような声でねだる山崎に、土方の意思が一瞬ぐらつきかける。鋭い山崎にそれが隠せるわけもなく、睦言のような甘さで「いいでしょう?」と畳み掛けられて、結局頷いてしまった。
甘い声に押し切られたことが情けなく機嫌の悪い振りをしてみたが、楽しそうな山崎を見ているとまあ良いかと思ってしまう土方は、そんな自分に苦笑を零す。
それに気付いたのか、ざくざくと土方の髪をそろえていく山崎が土方の髪をつんと引っ張った。
「どうしたんですか?」
「ッテェな、引っ張んじゃねーよ」
「やらしい笑い方してる土方さんが悪いんです」
「やらしい笑い方に見える山崎がやらしいんです」
土方の言葉に楽しそうな響きが混じったことに気付き、山崎は小さく笑った。
「後ろは粗方終わりましたから、前を失礼しますね」
整え終わった後ろ髪を指で何度か梳いて、山崎は一言断る。
土方の前方に回りこんで、その前髪をゆっくりと櫛で梳いた。
長く伸びた前髪が、土方の視界を薄く覆う。覆われた先に山崎の真剣な眼差しがあって、常にないその状況に土方が再び唇の端を上げた。
失礼します、と再び一言断ってから、山崎が土方の前髪に刃を当てる。
至近距離に刃物があることに思わず目を閉じれば、ざ、という音が響いた。
薄く目を開ければ、ざくざくと削がれていく前髪が膝の上に広げた風呂敷にぱさりと落ちて行くのが見える。
「……目、瞑っててください」
「何で」
「…………見られてると、手元が狂いますよ」
「狂わせたら殺す」
「だから、見ないでくださいってば」
お願いだから、と山崎が苦笑を浮かべながら土方の目に掌を当てた。土方はそれに怒ることもなく、言われた通りに目を閉じる。
「恥ずかしい?」
「は?」
「俺に見られて、恥ずかしいかよ」
今度は、土方の声がひどく楽しそうだ。山崎の声に苦さが混じる。
「恥ずかしいって言わせたいんですか?」
「言わせたい」
「……変態ですね」
「変態だと思う山崎が変態ですね」
切った髪が鼻や頬に張り付くのでむず痒い。時折、山崎が指で優しくそれを払うので、それがまたくすぐったかった。
ざくり、と髪を切る音と、山崎の呼吸だけが近い場所で聞こえる。
髪を梳いて、掬って、軽く引っ張り整える、その行為に土方は次第に心地よさを覚えいく。前髪が終わったのか、音がやんで長さを確認するようにゆるく引っ張られる。それから横の髪も引っ張られ、よし、と満足げな声が聞こえた。
「目、開けてもいいですよ」
許可を出されて目を開けた先が眩しくて、一瞬視界が眩む。
いつの間にか用意された鏡にはすっきりした髪の自分が映っていて、土方は満足そうに笑んだ。
「なかなかじゃねえか」
「でしょう?」
得意気に笑って、山崎が土方の頭を撫でる。その手を取って土方が山崎へと向き直れば、山崎が珍しくうっとりしたような顔で土方を見て、かっこいい、と呟いた。
「…………」
「やっぱ俺天才かも」
絶句する土方に、山崎の言葉の続きが届く。
「……何だよそれは」
「えー、だって」
手を取られたままの山崎が、空いている左手で土方の頭を撫でる。
「すごい満足なんですもん。きれいにできて」
「あ、そう」
うっとりと笑ったまま、山崎は土方の髪を何度も撫でる。先ほどは見るなと言っておきながら今はこちらを見つめっぱなしの山崎の勝手さに、土方が掴んだままの手をぐいと引いた。
バランスを崩しかけた山崎が、寸でのところで手をついて身体を支える。
「ちょっと! 髪捨てるのが先!」
「見すぎ、お前」
「だって、かっこいいんですもん」
「何だよそれ」
「言ったでしょう。満足なんです。あんまりにもきれいにできたから」
微笑みながら土方の前髪をつんと引っ張り、
「ずーっと、見ておきたい」
近い場所でそんなことを言う山崎に、土方がうろたえ息を呑む。それに気付いた山崎が、ふは、とおかしそうに笑った。
「お前なぁ」
「すいません」
楽しそうに笑いながら謝って、山崎は土方の膝にかけた風呂敷を手に取る。切った髪が落ちないように纏めて抱え、捨てるために部屋の隅へと向かう。
その背中でさらと流れる黒髪に、土方が声をかけた。
「なあ」
「はい?」
はさ、と屑入れに髪を捨てながら山崎が振り向く。
土方の、ひどく楽しそうな顔。
「お前の髪も、切ってやろうか。俺が」
そんでずっと見つめてやるよ。
落とされた低い言葉に、山崎が笑った。笑ってから、首を横に振る。
「遠慮します」
「何で」
楽しそうにしたままの土方をうっとりと見つめて、山崎は笑みを深くする。
「恥ずかしいから」
その答えになおも楽しそうに笑って土方は、山崎をさっさと抱き寄せるために新聞紙の片付けに取り掛かった。