左斜め後ろに視線を感じて落ち着かない。
咥えていた煙草をまだ長いまま灰皿に押し付けて、わざとらしくことりと音を立てて筆を置いた。ちらと斜め後ろを振り向けば、特に誤魔化す様子もなく山崎が此方を見つめている。
「……何だよ」
心なしか、此方を見つめるその視線がじっとりとしたものであったので土方は少し動揺しながら声をかけた。かけてから、何か不機嫌にさせるようなことをしただろうかと心の中で記憶を洗う。
ここ最近は事務仕事が忙しく接待にも行っていないし、街を歩いていて女に絡まれたこともない。何々をする、という約束をした記憶もないし、そもそも約束の一つ忘れたくらいで怒るような奴ではない。何か不機嫌にさせるような言動をしただろうかと考えるが、今日になって先程やっと顔を合わせてから、二言三言程しか会話をしていないのに不機嫌になろうはずもない。
無表情ながらぐるぐると目まぐるしく考える土方に、山崎はじっとりとした視線を暫く送り続けた後、拗ねたように唇を突き出して
「髪」
と一言言った。
「……は?」
大人しく正座をしたまま子供のように拗ねた素振りを見せる山崎は、土方の短い聞き返しにきゅっと眉根を寄せる。
「髪、何で切っちゃったんですか」
言うが、しかし、土方はここ最近髪を切った記憶などない。むしろ、そろそろまた前髪など伸びてきて鬱陶しいなと思っているくらいで、何故切ったといきなり詰られるような心当たりは少しもなかった。
少し前、土方の髪を切らせてくれと山崎が強請ったことがあって、言う通りさせてやったらひどく嬉しそうだったのを思い返して、もしや何故自分に切らせてくれなかったのかという勘違いかと思い至る。
「別に切っちゃいねーよ。短くなってなんかいねェだろ。何拗ねてんだ」
「違います」
「はぁ?」
宥めるように優しい声音で言ったにも関わらずぴしゃりと否定され、土方の声が棘を含んだ。ひるまず山崎が咎めるような目をしているので、苛々として畳をばしんと大きく叩く。
「だったら何だってんだよ! そんな目でずっと見やがって、仕事の邪魔するんなら出てけ!」
「あんたがここにいろっつったんでしょう!?」
「るせェ馬鹿野郎、何に文句があんだよはっきり言ってみろ!」
「だから!」
ばしん、と山崎も畳を強く叩いて、それから突然勢いをなくし項垂れる。ついうっかり心配をした土方に、悲しそうな声が届いた。
「沖田さんに写真見せてもらいました」
「写真?」
「昔の、道場時代の写真です」
「あのヤロー、何でそんなもん持ってんだ」
「土方さんも写ってました」
「そりゃあな。で?」
「……髪、何で切っちゃったんですか?」
そこに繋がるのか。
土方はやっと納得して、それから呆れたように溜息を吐いた。
「何でお前、そんなことで拗ねてんだ」
俯いたままの山崎に近づいて、頬をゆっくり撫でてやる。顔を上げた山崎は土方を軽く睨むようにして、やっぱり唇を尖らせたまま「だって」と女々しい言葉を吐いた。
「髪の長い土方さん、すげーかっこよかったのに」
俺も生で見たかった! と言って、山崎の指が土方の短い髪を緩く引っ張る。
「別に、変わんねーだろ」
「変わりますって! ねー、伸ばしません?」
「伸ばさねェよ」
「いいじゃないですか。かっこいーって言ってあげますから」
「いらねェ。つか、今言え、今」
「かっこいい副長、髪伸ばしてください」
「伸ばさねェつってんだろ」
ぺし、と軽く額を叩けば山崎は大げさに声をあげ、わざとらしく額を両手で覆って見せた。
「俺がきれいなもん好きなの知ってるでしょう」
ぶーぶーと文句を言うので、土方は両手で山崎の頬を引っ張った。加減をせずにそうするので山崎が大げさではなく涙目になる。
「いひゃい! やめひぇくあひゃい」
「間抜け面」
ぶ、と噴出した土方の腕に山崎が思いっきり爪を立てる。それを合図に仕方なし手を離した土方は、赤くなってしまった山崎の頬を今度は両手で優しくさすってやった。
「……隊服に似合わねーんだよ」
「はい?」
「髪が長ェと、この服に合わねェんだよ」
真選組の幹部服は、襟元がしっかりとしたつくりになっていて、更にスカーフがあったり刺繍があったりと派手なデザインになっている。そこに黒々とした長髪がかかれば、重苦しくて仕方がないのだ。
目の前に迫っている幹部服をじっと見つめて得心がいったのか、山崎は「ああ」と呟いて、それから土方の髪を再びつん、と引っ張った。
「私服のときだけ伸びればいいのに」
「無茶苦茶だな」
「だって本当にかっこよかったんですよ」
勿体無いなあ、と未練がましく山崎が土方の髪を引っ張る。拗ねたように唇を尖らしたままぶつぶつと文句を言うので、だんだん土方は面白くなくなってくる。
「別に、今のままでもいいだろうが」
「今のままでもいいですけど、でも」
「侍が『でも』とか『だって』とか言ってんじゃねェ!」
勢い良く頭を叩けば、ひぎゃ! という声を出して山崎の手が髪から離れた。
ううーと文句の一つや二つありそうに見てくるので、苛々としてもう一発殴る。途端、大人しくなって顔を俯かせてしまったので、結局、ついうっかりと心配してしまって、艶やかな黒髪を二度、優しく撫でた。
「今の俺だってかっこいいだろ?」
山崎を宥めるためにそう言った。
言った後で、土方はすぐさま後悔をした。
今のは何だか拗ねているようで、まるでかっこいいと言われたがっているようで、あまりにも格好悪い。そんなつもりではないのだと弁解しようと口を開くが、むしろ弁解すればかえって認めてしまっているような気がして、結局口を閉じた。
かっこいいと言われたがっている、というのは正確ではないが、拗ねているようだ、というのは当たっているのだ。
過去の自分のこととは言え、あまり目の前で他の容姿を褒め続けられるのは面白くない。
気恥ずかしくなって、今度は軽く山崎の頭をはたけば、くすくすと忍び笑いが聞こえた。
肩を震わせた山崎が楽しそうな目で土方を見上げて、嬉しそうに笑う。
「……あんだよ」
「いえ、……今の土方さんも、十分かっこいいですよ?」
揶揄するような言い方に土方は舌打ちを一つ。
笑いを漏らし続ける唇に自分のそれを押し付けた。
「……ん、」
触れた唇の隙間から、笑い声の変わりに鼻に抜けた声が漏れる。それが恥ずかしかったのかどうか、山崎が土方の首に手を回して、掴んだ襟元をきつく握った。
それをきっかけに、土方は山崎の手に触れていた左手を腰にゆっくりと回し、右手で後頭部を庇ってやったままその体を倒していく。とさ、と布の擦れる音をさせて畳に横たわった山崎の指が、土方の襟足を擽った。
ゆっくりと唇を解けば、山崎が楽しそうに目を細めている。
「やっぱり、短いままでいいかも」
「気が変わったか」
「うん。だって、」
すい、と山崎の手が土方の髪を掻き揚げて、それから両腕を首に回す。
「こうしたとき、髪が長いと邪魔ですもん」
濡れた唇が弧を描いて、首に回った腕にぐっと力が篭った。
逆らわず土方が上体を屈めれば、首を伸ばした山崎が土方の首筋に唇を押し付ける。微かな痛みと濡れた感触がして、土方は目を細めた。
「勝手に跡付けんな」
「大丈夫です。どうせごてごてした襟元で隠れるんでしょう?」
悪戯っぽく笑った山崎がするりと腕を解いてしまったので、今度は土方が山崎の首筋に、同じように唇を押し付け同じように吸い上げる。
平服では上手く隠れはしないが、構うものか。
山崎が楽しそうに笑っているので、土方はもう一度その唇に口吻けた。