3日で戻ると言って出て行った山崎が5日経っても帰って来ない。連絡も付かず、これはいよいよ殺されたかと震える思いで待っていれば、6日目の深夜、けろりとした顔で戻って来た。
 頭から血を引っかぶって、山崎は「すいません」と小さく笑った。


 山崎は副長室の障子を開けて、片膝を付いて座っている。中へ入ってこようとしないのは未だ身体が血に汚れているからだろう。よくよく見れば裸足だった。廊下を歩くために足だけは洗ったのか。
「何人だ」
 一度笑ってそれきり顔を伏せてしまい動こうとしない山崎を土方は見下ろして、聞いた。膝を付き座っている山崎の前に立った土方の位置からは、その旋毛しか見えない。
 ひい、ふう、と指折り数えた山崎は、
「4人ですかね」
 へらりと言って、また笑った。けれど、窺い見た土方の機嫌が良くないことを知ると黙り込んで俯いてしまう。
 すいません、と再び小さく謝った山崎の髪が、肌が、着物が、血で濡れている。足を洗うならいっそ風呂にでも入ってくればよかったのだ、と妙に苛々した。宣言から2日も遅れている。今少し、風呂に入る程度遅れたところで何の変わりがあるというのだろう。
 土方は山崎の前へ膝を付き、手を伸ばした。頬を汚していた血がぬるりと滑って、役者の化粧のように白い肌へ派手に伸びた。
「3日で帰るって話だったと思ったが」
「ちょっと手こずって」
「何で連絡しなかった」
「はぁ……携帯の充電が、切れちまいました」
 頬に触れたままの手に戸惑う山崎が、視線をさ迷わせながら言った。その答えに舌打ちをした土方に山崎の肩が震える。
 4人も人を殺してきて頭から返り血を引っかぶってへらへら笑っておきながら、舌打ち一つに怯えるのか。と呆れて、土方はその頬から手を引き剥がした。馬鹿馬鹿しくて殴る気も失せた。
「……すいません」
 三度目、山崎が謝った。
 土方は溜息を吐いて、自分の右手を見る。山崎の頬へ触れた所為で、誰のものともわからない血がべったりと付いている。
 血など見慣れているはずなのに落ち着かないな、と視線をさ迷わせて、そこでやっと血に落ち着かないのではなくて山崎が返り血をこうまで浴びているということに慣れず落ち着かないのだ、と気付いた。
 監察だから、あまり派手な仕事はしない。
 人を殺すのでも、痕跡が残らないように感心するほどきれいにやってのける。
 ならば何故、と山崎に視線を向ければ、叱られた犬のように身体を縮めて目だけで此方の様子を窺っていた。そのおどおどとした様子とぐっしょりと着物を濡らしている血が、これまた合わない。
「何があってそんなに斬った?」
「……すいません」
「別に怒ってるわけじゃねェよ。余程腹に据えかねる絡まれ方でもされたか」
 珍しいな、とわざと揶揄するように言えば、山崎が少しだけ笑った。笑ったが、それはどちらかというと自嘲のようで、土方はそれを見て少し気分が悪くなった。
「確かに俺は、殴られても蹴られても足開けって言われても、滅多なことじゃ怒りませんがね」
 これは、土方に対する当てこすりだ。
「俺はアンタの犬だから、飼い主の悪口は黙って聞いておけねーんです」
 ふふ、と笑って、山崎は顔を上げた。土方の目を真っ直ぐ見て、
「会いたかったぁ」
 と、今の話と全く関係ないことを言って、にこりと笑った。白い肌に鉄臭い紅を乗せて、黒い髪を血に濡らしますます黒くして、そんななりで土方を見つめながら山崎がうっとりと笑うので、土方は目も逸らせず溜息もつけず、こういうとき飼い主はどうするべきだと思案して、結局その血まみれの可愛い犬を褒めてやるため両腕を伸ばした。
 いつの間にか膝を崩していた山崎は引き寄せられるのに逆らわず土方の胸へ寄り添うようにする。その腰へしっかりと腕を回して抱きしめれば、血の匂いで噎せ返りそうだった。
 山崎を汚している返り血が、土方の手へ、腕へ、着物へ、首へとべたべた付く。それがまるで、死体を抱いているように思えて、土方は少し震えた。山崎はそれに頓着せず、ぼんやりと土方の胸に耳を当てている。
「アンタは、恨みを買いすぎですね」
 くすりと笑って山崎が言った。
「そりゃあな」
「悪口聞いてて、頷けるとこもいっぱいあったんスけどね」
「ンだとコラ」
 いつものように片手で髪を梳こうと手を伸ばしかけて、やめる。指に触れた髪は固まった血でごわごわとしていた。
(死ぬときは、)
 せめて髪だけさらさらと柔らかいままでいて欲しい、とどうでもいいことを考える。結局、髪を梳く代わり抱きしめている両腕にぐっと力を込めた。
「……でも、あんまりにも酷い言い様だったから、斬ってる間中、頭の中で言い訳をしたんですが」
 急に抱きしめる力を強められ思わず山崎が身じろいだので、腰に差したままの刀がごと、と音を立てた。
「そうやって、斬ってる間中ずっと、アンタのことを考えてたので」
 山崎は首をぐっと上向けて、土方を下から覗き込む。
「本物に会いたくなったんです」
 へら、と山崎は笑った。笑ってからすぐ笑みを消して、静かに土方の顔を見つめる。土方はそれを見下ろしながら、キスするには抱きしめる力を緩める必要があらァなァ、と、ぼんやり思った。
 暫く視線だけ絡ませ合って、先に目を逸らしたのは山崎だった。再び土方の胸に耳と頬を押し付けるようにして、それから胸に揃えて置いていた手を土方の背へと回す。
 隙間がなくなって、土方の着物へ返り血が余計に付いた。

 山崎はそれきり何も言わずに、大人しく土方へくっついている。
 土方は何も言う言葉が見つからず、かと言って抱きしめた腕を離すのも惜しく、結局きつく抱きしめたところから動けないでいる。
 山崎が人を殺すところをあまり見たことがないな、と土方は思った。
 あまり見たことがない。小さなラケットばっかりを振っていて、刀を振るところですらまともに見たことは少ない。
 斬るのが嫌いか、といつか、かなりの昔に聞いたときには少し困った顔をして「はぁ、あんまり好きではないですね」と言った。
「血が派手に出るでしょう。あんま好きじゃないんですよねぇ」
 と言っていた。
 だから山崎は仕事で人を殺すとき、血が出ない方法を好んで使う。
 毒を使ったり、針を刺したり、そういう陰湿なやり方でもって静かに命を奪っていく。
「重みがないから、あんま良いことじゃないんでしょうけどね」
 そう言って山崎は、あのときもやっぱりへらへらと笑って、「どうせ振るなら、ミントンのラケットがいいです」と言った。ので、軽く殴ったのだった。

 血が派手に出るのが嫌いなので人を斬ることは好きではない、と言った人間が、自分のために人を殺したのか、と思えば妙に嬉しく、嬉しい自分は成程鬼だな、と少し笑う。
 笑いの振動を不思議に思ったのか山崎が顔を上げて、視線だけで理由を問うた。
 その顔があまりにあどけなく見えたので、土方は惜しいなあと思いながら腕の力を少し緩めて、その、誰かの血が汚している唇に自分の薄い唇を、殊更優しく重ねてやった。

「……刀をね、」
 唇をそっと離すと、とろんとした目で土方を見上げている山崎が口を開く。
「血を拭わず鞘に入れて放っておいたら、錆びて抜けなくなっちまうじゃないですか」
「ああ」
 それがどうした、と聞けば、山崎は自分の腰に差した刀をちらっと見て、それから土方の首に腕を回しきつく抱きつく。
「山崎?」
「こうやってくっついてたら、俺と副長も、錆びて離れなくなんないかなぁ」
 小さく聞こえたその声が笑い飛ばすにはあまりにも真剣だったので、土方は溜息を吐くことも、できず、緩めていた腕の力を再びきつく入れなおした。
「……こんだけくっついて離れなかったら、困るだろうが」
「困りませんよ」
「困るだろ」
「……困りませんよ」
 頑なに言う山崎の声が少し悲しそうだったので、土方は、
「…………そうか」
 と短く答えてやるより他なかった。
 ずっと抱きしめているせいで嗅覚も麻痺してしまって、鉄の重たい匂いはあまり感じない。べたべたとする感覚にも慣れてしまった。このべたつく血は放っておけば乾いていくだろうなあ、と思う。乾いて、ぼろぼろ剥がれ落ちるのだろうけど、剥がれ落ちずに一緒に固まってしまえるのならば、それはそれで心地よいかも知れないな、と、土方も思ってしまって、そんな頭の悪い自分に少し項垂れた。
 まったくもう、頭が悪いにも程があるのだ。
 こうやって抱き合うことより先に、返り血を落とすとか、報告を聞くとか、やることは沢山あるはずなのに、どれも出来ずに腕を離せないでいる。

「お前が死んだら、それもいいな」

 口の中だけで呟いたので、その言葉は山崎には上手く届かず、
「何ですか?」
 と聞き返された。土方は教えてやらずに、
「何でもねーよ」
 とだけ返した。

 死んでしまったら、それでもいいな。
 流れた血でお互いにくっついて固まって、歪に一つになってしまうなら、それはそれで、心地よいかも知れないな。

      (08.09.19)