いつものように短く「できたか」と聞かれたので、いつものように短く「はいよ」と答えてまとめた書類を手渡した。ら、指が触れて、触れた瞬間びくりと肩が揺れたようだったのでこちらまで驚いてしまった、と、そういう話。
「な、何ですか」
「何が」
「いや、今の反応」
「は?」
「え、何ですか乙女ですか触れちゃった、きゃっ、みたいなことですか似合わないのでやめてください」
「よし今ここで切腹しろ介錯は俺がしてやる」
妙にうろたえる山崎の言葉を顔も上げずに土方はあしらった。皮の厚い、爪の短い、煙草の匂いのする指が、意外な繊細さで書類を捲っていく。
肩を揺らしたのはそっちじゃないか、と文句を言いたいところを堪え、山崎は土方の傍にある湯のみを引き寄せた。すっかり空になってしまったそれに、熱い茶を新しく注ぎ足す。熱いお茶の嬉しい季節になってしまったなぁ、と思って、山崎は開け放たれている障子の向こうへ目をやった。緑にまじって、彼岸花が揺れている。もうそんな季節である。
「どうぞ」
「おう」
熱いお茶をすっと差し出せば、ひとつ頷いて土方が手を伸ばす。先程の反応がやはり気になる山崎はそのまま湯飲みを持ったままでいて、自然、再び指が触れた。
今度はしかし、肩は揺れず。その代わりやっと上がった顔の眉間に皺が寄っている。
「冷てェ」
「え、いや今結構熱湯入れましたけど」
「じゃねえよ。手」
「手?」
「お前の手。冷たくね?」
言って、土方は湯のみではなく山崎の手を取って、その、皮の厚くて煙草の匂いのする肉刺のできた手でぎゅっと握りこむようにした。山崎はそれにやはりうろたえて視線を左右へさ迷わす。自由な左手を閉じたり開いたりして、「冷たいスか」と言うのが、今のところの精一杯だった。
「何、冷え性? そんなとこまで女みてェなのな」
「違いますよ、別に」
「じゃあこれ何」
「あー……さっきね、氷触ったから、それかな」
「氷?」
「原田が熱出して伏せてるの知りませんか? その氷、俺が用意したんで」
そこで土方の眉が僅かに跳ね上がる。
「何で」
「何でって……俺がたまたまそんとき台所にいたからです。副長のお茶用意してて」
「……あっそ」
投げるように言って、土方は握っていた山崎の手をぱっと離した。山崎はその態度に小さく唇を尖らせてから、きつく握られていたせいでじんわりと熱くなっている右手と、自分で握ったり開いたりをしていた左手をぴたりと合わせてみる。右手の指先が、熱い。こうしてみれば、なるほど放って置かれた左手は少しだけ冷たかった。
顔を上げれば、土方はすでに書類へと目を落としてしまっている。指示されていた仕事は済んだし、これはもう退室していいのかなぁ、と考えながら山崎は、空いている湯飲みに自分のための茶を注いだ。半分ほど注いでから、湯飲みを両手で握りこむようにして緩く回す。濃い色のお茶が湯飲みの中でぐるぐると回って、じっと見ていれば目が回りそうだ。
「……何やってんだ」
いつの間にか書類を点検し終わって顔を上げていた土方が、そんな山崎を見て怪訝そうな声を出した。
「冷ましてんです。俺猫舌なんで」
言えば、へ、と言って口を歪ませる。熱く淹れられた自分のお茶をぐいと飲んで、「子供か」とからかうように言った。
「子供でいいです。それに、こうやってれば冷えた手も暖まって一石二鳥でしょ」
わざとらしく唇を尖らせた山崎の言葉に、土方が低い声で笑う。それが少しだけ楽しくて、山崎も小さく笑った。それきり、とりあえず会話は途切れた。
外では彼岸花が咲いていて、濃い秋の香りがしている。少し肌寒いので障子を閉めてしまいたいなぁ、という気持ちと、この秋の香りをもう少し堪能したいなぁ、という気持ちがない交ぜになっている。
空気の淀んだ季節感のない江戸の街にあって、この屯所は不思議なほど季節の香りを運んでくるのだった。それは、花好きの隊士が育てている花のせいであったり、広々とした中庭に生えている雑草のせいであったり、いくつかある大きな木のせいであったり、するだろう。山崎自身が上司のために淹れる、濃いお茶のせいでもあるだろう。
「もうすぐ、手の悴んで動かない季節ですね」
やっとぬるくなったお茶を一口飲んで山崎が言った。土方が眉を顰めた手の冷たさはすっかりなくなっている。
「鍛え方が足んねぇんだよ、それァよ」
土方はそう答えて、空になった湯飲みに自分で茶を注ぎ足した。やりますよ、という山崎の言葉は無視される。
「鍛えてどうにかなるもんじゃないでしょう」
「どうにかなるだろ。甘ェこと言ってんな」
「つって、自分はどうせ冬になったら火鉢抱えて離さないくせに」
「ンだとコラ、調子乗ってんじゃねェぞ」
凄んでみせる土方の語調に笑いが含まれている。機嫌がいいなぁ、と気付いて、山崎はぬるいお茶をゆっくりと飲む。
任されていた仕事はとうに終わってだらだらと茶など啜っていても、出て行けだとか仕事しろだとか言われない。珍しいなぁ、機嫌がいいのか、と思えば山崎も嬉しくなってしまって、小さく笑って茶を飲み干した。
「俺は鍛え方が足りないんで、多分冬は、手が悴んで動きません」
「胸張ってんじゃねェよ、何得意になってんだ」
「なので、いいことを思いつきました」
「あァ?」
へへ、とふにゃふにゃ笑って言った山崎に土方が眉を寄せる。それに構わず山崎はすっかり冷たくなってしまった湯のみから手を離して、つつっと土方へ擦り寄る。
「……何だよ」
反射的に身体を引いた土方の手をぱっと奪って、自分の両手で握りこむようにして。
「俺の手が冷たくなったらね、土方さんが、こうして暖めてくれたらいいんだと、思うんですけど」
どうですか? と、細めた目は完全に悪戯っ子のそれである。
「お、っ前、なあ」
「何ですか?」
声を上ずらせた土方の様子が楽しくて、山崎は笑ってしまう。空いている方の手でその頭をばしんと叩いて土方は、
「仕事しろよ、テメェはよォ」
低く呻いて、それから、笑っている山崎の唇に緩く噛み付いた。
そしてまあ、いつものように、握っていたはずの手をすっかり握り返されていて、そのせいでじわじわ伝わる熱が痺れるようだなぁと思っていて、閉じた目の向こう側で秋の香りとお茶の香りと煙草の香りがしている、と、そういう話。仕事をしろってあんたもでしょう。俺ばっかり、責めないでくださいよ。