珍しく洋装で女の格好をした山崎が、顔だけ庭から覗かせて「土方さぁん」と情けない声を上げたので、まるで本当に女にそうやって甘えられたかのようにうろたえてしまった、というのは内緒にしておくことにして。

「何これ?」
「捻りました」
「ダサ。つーか何やってんだよ間抜けなことしてんじゃねーよ」
 うっかりうろたえたのをばれないように、と気を張って殊更呆れたように言ってみせる。
 山崎は幸いその不自然さには気付かず、少し赤くなった足首をしきりに擦っている。
「うう……」
「あー、これ靴擦れにもなってんな。痛そ」
 女物の、細く高いヒールのサンダルが山崎の足を容赦なく傷つけていた。痛そう、と思うと同時に、よくもまあ足のサイズがあったものだと感心する。そもそも、何だ、こういう服や小物は一体どういう経路で調達しているのだ、と土方は時々不思議に思うが、しかし山崎には直接聞けないでいる。
 懇意にしている女性がいてその女性に用立ててもらっています、としれっと言われたら、とかそういうことに怯えているわけではない。断じてない。
 一番最初に女装での潜入捜査を命じたときは思いっきり嫌な顔をしながら、土方が用意してやった着物の柄や色にこれは嫌だあれは合わないと散々に文句をつけていたから、もしかしたらそちらの趣味があるのかも知れない、と時々考える。
 とにかく、どうやって用立てたのか知らないが、今回も土方の知らないうちに山崎が揃えていた女物の服や小物は、特別にあつらえたかのように山崎にぴったり合っていた。ご丁寧に胸まで出来ている。恐ろしい。
 けれど、サンダルだけが、山崎の足を赤く傷つけていた。それは山崎がヒールの高い靴など履きなれていないからで、やはり、山崎は男なのだった。高いヒールを鳴らして、背筋を伸ばして歩く、ということが自然にはできていないのだ。

「一応靴擦れしづらいの選んだんだけどなぁ」
 庭からそのまま廊下に上がった山崎は、赤く擦れた足を見て涙目になっている。これでそこに爪を立てたら怒られるだろうな、と一瞬想像して、想像したら試したくなったが、そこはぐっと堪えた。あまりに可哀相な気がしたのだ。
(いつもだったら、怒られても構わねェけどな)
 かわいそう。と思ってしまう自分がおかしくて、土方が少し笑う。それに気付いた山崎が眉を吊り上げて、
「何がおかしいんですか」
 怒ったように言った。自分が笑われたのだと思っていて、怒ってみせている。可愛い。それは、結局土方に甘えているのと同じことだ。傷ついた足を引きずって土方を呼んだのも、結局は甘えているからだ。どんなに足が痛くたって、玄関で普通に靴を脱いで普通に自分で手当てをすることぐらい簡単にできるだろうのに。
「おら、部屋入れ」
 座り込んだままの山崎の腕を掴んで引き上げると、山崎はするっと立ち上がって、特に足を引きずることも気にすることもなく土方の部屋へ入る。ほら、やっぱり、甘えているのだ。
 畳の上に両足を投げ出して、山崎は土方を見上げた。土方は一つ溜息を吐いて見せて、棚の上から救急箱を取りそれを持って山崎の傍へ座る。
「痛いか」
「痛いです」
「赤くなってっぞ。皮剥けてる」
「うう……言わんでください。余計痛い」
 殴っても、蹴られても、しれっとしているくせに。少し足を捻って靴擦れしたぐらいで痛いことがあるものか。
 けれど土方はそれを言わず、優しく山崎の足を取って自分の膝の上に乗せてやった。皮が剥けているところを丁寧に消毒していく。消毒液を染みこませた脱脂綿を傷口にあてるたび山崎の足がぴくりと小さく動くので、それが楽しくて殊更丹念に消毒をした。
 消毒の合間ちらりと視線だけで山崎を見れば、目を閉じて、唇を薄く開けていて、短い爪で畳を引っかくようにしていた。あんまりだな、と土方は目を逸らす。

 捻ったという部分を軽く冷やしてやって、包帯をきつく巻いてやった。足首が、思ったより細くて、成程これは女にも化けられるかも知れない、と今更ながら感心する。山崎は丁寧に包帯を巻かれる間、大人しく足を投げ出している。
 上司の膝の上に足を投げ出して治療をさせる部下が、どこの世界にいるだろうか。と思えばそれがおかしくて、土方は小さく笑った。
「何ですか」
「別に」
「ご機嫌ですね」
「あァ? ご機嫌じゃねーと、こんなことしてやんねーよ」
 丁寧に包帯を巻いて、丁寧にそれを留める。
 治療の済んだ足を膝の上に乗せたまま、土方はその細い足首を、撫でたり緩く握ったりして遊んでいる。
「あんた本当に女の格好好きですね」
 心底呆れた、というように山崎が言った。
 何を言うのかと思ってその顔を見れば、先ほどの色香はどこへやら、腹立たしいくらいしれっとした顔で土方を見ている。淡い化粧をしているが、男の顔である。これがどうしたら女の顔で人を騙せるのだろうかと不思議になるくらい。
「あ? てめぇが女の格好しても気色悪いだけだろうが」
「でも俺が女装してるとき、土方さんが機嫌悪いの見たことないです」
「何それ」
「殴んないし、怒んないし、甘やかしてくれるし。本当、女の格好好きですよね。女好きなのか、俺が女の格好してんのに興奮するのか知らないけど」
 後半言葉に笑いが混じって、山崎の伸びた手が土方の腕を掴んだ。その爪が、綺麗な桃色に塗られている。きらきら光る何かもついている。
「何だそれ、煽ってんのか?」
 頬に手を滑らせる。いつもより少しだけ白く塗られた肌だ。
「煽られてくれちゃうんですか?」
 くすくすと笑う唇が、きらきらと光っている。これで口吻けてしまうのは少し癪だなと思いながら、細い身体を畳に押し倒してしまっているので、我慢も本当は意味がない。

 女物の服から伸びた細い腕は、よくみればやはり、男の腕だ。それを土方の首へ絡ませて、山崎はにっこり笑う。もっと誘うような笑みを見せるかと思ったのに、状況に似合わず、それは爽やかな笑顔だった。
「山崎退、ただいま戻りました」
 涼しい声で、そう言う。その声が、山崎そのままの涼しい声が、一番土方を煽るのだということを果たして知ってやっているのかどうか。
 土方はきらきら光る唇を一度軽く啄ばんで、
「ご苦労」
 と応えた。触れる唇は、甘くもなかったし、べたべたしてあまり好ましくはなかった。
「報告します?」
「……後でいい」
「はいよ」
 笑って、山崎は無防備に目を閉じてしまう。
 全て見透かされているようで腹立たしいが、だからと言って、突き放すほど土方の意思も強くない。
 化粧の施されていない山崎のままの首筋に歯を立てながら、靴擦れのしないサンダルでも買ってやろうかな、と思っている。使う機会があるのかは分からないが、あっても困らないだろう。また、これは嫌だあれは嫌だと言われるだろうか。だったらいっそ、一緒に見立てに行ってやろうか。

 女の格好がいいと思うから機嫌がいいのではないのだ。
 女の代わりにできるから、と喜んでいるのではないのだ。
 山崎が、本当は男で誰よりも男らしくあって真っ直ぐで爽やかできれいだということを土方は誰よりも知っていて、そんなきれいな人間が、自分のために女の格好をすること一つ厭わないという、そのことに、喜んでいるだけだ。
 自分のためにこうまでするか、と思えば、それがひどく嬉しいだけだ。


 言えば笑われるだろうから、言わない。内緒のままにしておこう。

      (08.10.09)