山崎は基本的に腕は立つし優秀なのだけれど、時たまどうしようもないほどのへまをして土方や近藤や沖田を心配させることがある。
 今日がまさにその日で、密偵中に敵にばれ、薬を嗅がされた上に派手な斬りあいを演じるという失態を晒した。
 山崎の報を受けての討ち入りがすぐ後に控えていたので間一髪。助け出された山崎を叱ろうか褒めようかどうしようかと迷いながら見舞いに訪れた土方は、大人しく横になった山崎の傍に座って、思わず絶句した。

 別に死ぬほどの怪我ではないのに、何故か山崎は最期のように笑っている。
 少し深く斬られただけで、少し多く血が流れただけで、少し白い包帯の面積が多いだけなのに、透き通った笑みを見せている。
 悟りきったようなその笑い方に土方の背筋がぞっと冷え、血が凍るような思いがした。
 ねえ、土方さん。と、夜によく聞く甘えたような声で、山崎は土方を呼んだ。
「何だ」
 声に滲む苛立ちを抑えられない。だって、山崎は死なないのに、どうしてこんなか細い声を出すのだ。
「俺ねえ、死ぬかもしれません」
「はァ? 何勝手なこと言ってんだ。こんくらいで死ぬような部下はいらねぇんだよ」
「だって、体が動かないんです」
「薬が回ってんだろ。あと、血が足りねえんだ」
 少し、多めに薬が回っていて、それで体の自由がいつもより少しばかり利かなくて、だから、そんなに心が弱くなっているのだ。死ぬ前にような声を出すのだ。
 土方の言葉に山崎は軽く首を傾げて、不思議そうな顔をした。黒い髪が、白い枕の上で音を立てる。
「そうでしょうか」
「決まってンだろ」
 山崎がへまするのは別に今日がはじめてではないし、この程度の怪我を負って帰るのは山崎がはじめてでもない。土方だって沖田だって、それなりに血を失って骨を折って帰ってきたことだってあるのだし、そんなもので死んでたまるか、と土方は思っている。
「あのね、土方さん」
「何だよ」
 失敗を叱ろうか、耐えたことを褒めようか。どうしようか。
 それを迷いながら来たはずなのに、土方はそのどちらも実行できないでいる。
 山崎が透き通ったように笑って、ガラス玉のような目で土方をじっと見るからだ。

「死んだら、土方さんの思い出になりたい」

 いやにはっきりとした発音で、山崎はそう言った。
 聞き取りやすいように、という配慮をしているかのような、不自然なくらいはっきりとした喋り方だった。
「……だァら、死なねえっつってんだろ」
 馬鹿なことばっか言ってっと、殺すぞ。
 土方がすごんで見せれば、その言い様に山崎が少し方を震わせて笑う。
 その笑い方がいつもの山崎と同じだったので、土方は幾分かほっとした。
「はは。うん、そうかも。でもね、覚えておいて、くださいね。俺はあんたの思い出になりたいんだよ」

 思い出になれば美化されるでしょう? 一番よかったときばかり思い出すでしょう? 俺を必要だったんだなあって痛いくらいに思うでしょう? いいことばかり思い出すでしょう? 俺がいないことで寂しくて苦しくて泣くでしょう? 俺のことをますます好きだったんだなあって思うでしょう?

「だから、」

 一息に言って、山崎はふっと息をつく。苦い顔で黙り込んでいる土方を見て、へら、といつものように軽く笑った。

「土方さんの一番の思い出にしてね」

 少し多めに薬が回っていて、いつもより体が少し上手く動かなくて、少し傷が大きくて少し血が多く流れただけで、それなのに。
 わざとらしいほど弱った声で山崎が言って。言い終わったら気が済んだと言わんばかりに目を閉じてしまう。
 土方が少しだけ取り乱して、少しだけ山崎に優しくしてしまったから、調子に乗っているのだ。きっとそうだ。けれどあまりに山崎が透明な笑顔を見せるから、もう二度と閉じた瞼が開かないのではないかという恐怖に、土方は捕らわれている。
「ばかやろ、そんなこと許すかよ」
 これ以上調子に乗らせたくないから、殊更平坦な声を出すように心がけた。
「死ぬような怪我じゃねぇんだよ。こんな怪我ごときで死んでたらなァ、あの世から引きずり起こしてもう一回切腹させンぞコラ」
 いつものように、を心がけてわざと傷口の上辺りを殴った。いつもより当然軽くはしたけれど、あいた! と大きな声を上げた山崎はぱっちり目を見開いて、からかうような目で土方を見上げた。
「へへ、うん、知ってます」
 ごめんなさい、と謝ってみせる声が柔らかくて、土方はそれが少しだけ怖い。
「大丈夫です。冗談ですよ。死んだあとの俺に価値がないなんてこた、わかってるんです。副長の役に立てないんだったら意味ないなんてわかってんです。でもね」
 思い出んなっても、あんたの傍にいたいんですよぉ。
 だらだらとそう言って、山崎はまた緩く目を閉じる。

(……ふざけんなよ)

 閉じてしまった目は、殴れば簡単に開くだろう。
 きっとこの先もずっと、殴れば、呼べば、簡単に目を覚ますだろう。
 もし、殴っても呼んでも優しく触れてもひどく嬲っても目を覚まさないようなことが、あったなら。
 思い出すそれは美化されるだろう。一番よかったときのことばかり飽きずに思い出すだろう。山崎のことを自分がどれほど必要としていたか、痛いくらいに思い知らされるだろう。いいことばかり思い出すだろう。傍にいないことを、寂しがって苦しがって泣くこともあるかも知れない。どれほど大切だったかを知って、どれほど好きだったかを、何度も何度も思い出すだろう。

(だからって、)

 それがたとえば本当に山崎の一番の望みだったとして、そんなこと、土方は許せるはずがないのだ。

「お前な、ふざけんなよ。怪我人だと思って加減してりゃ調子に乗りやがって。お前のそんなくだらねえ自己満足なんかなァ糞の役にも立ちゃしねぇんだよ。思い出にしてくださいだァ? 甘いこと言ってんじゃねえ。お前は俺の傍で、俺の用事を聞いて俺の言いつけ通りに仕事してナンボなんだよ。わァってんのかお前、いなくなったあとの思い出なんてな、何の役に立つってんだ。おい、聞いてんのか山崎。……」

 だから冗談ですってば、と言い返すはずの山崎は、いつの間にか穏やかな寝息を立てて眠ってしまっている。
 そんなことただの冗談で、調子に乗ってからかっただけだと断言して欲しかったのに、すっかり意識を手放してしまっている。
 少し血が多めに失われた体はいつもより少し青白いように見える。

 少し深く斬られた傷は、それでもすぐに塞がるだろう。
 血は、また生成されて、青白くなった肌をすっかりあたたかい色に戻すだろう。
 薬もそのうち消えてしまって、体は自由に動くようになって、また余計なことばかりをして土方を怒らせるだろう。

 汚くても泥だらけでも最低の人間でも、傍にいることに価値があるのだ。
 きっと山崎は、薬が脳みそまで回ったのだろう。血が足りていないのだろう。だからいつも以上に、頭の悪いことを言って、土方をこうして苛立たせるのだ。
 穏やかに聞こえる寝息が、少しだけ怖い。
 薄く開いた口元に耳を近づけて、規則正しい呼吸を確認する。
 胸は静かに上下している。
 明日になれば起き上がって、馬鹿だから仕事をしようとするだろう。山崎は頑丈にできているのだ。

「お前本ッ当、何にもわかってねーのな」

 冗談じゃなかったとして、思い出になってまで気持ちを独占したいだなんてそんな我侭、誰が許すというのだ。

「意味がねーだろ。意味が」

 きれいなだけの思い出なんているかよ。

      (08.12.01)