「……あれ?」
「何だよ」
 休憩を終えて集合場所に戻った山崎の目に映ったのは、不機嫌そうに煙草を吸っている上司の姿だった。
「俺、今から副長とでしたっけ?」
「だったら何だよ」
「いや……おかしいな。田村とだと思ってたから」
 首を傾げる山崎をちらっと見て、土方はポケットから取り出した携帯灰皿に煙草を押し付ける。見間違えだろ、と素っ気無く言って、山崎が答えるよりも早く歩き出した。
「あ、ちょ、待って下さいよ!」
 俺は足が長ェんだ、と言わんとばかりにすたすた歩く土方の背中を、山崎は慌てて追いかける。その姿を少し振り返った土方が、
「転ぶなよ」
 と一言言った。
 誰のせいだよ! と抗議の言葉を呑み込んだ山崎は、肩を竦めてすみません、と謝った。


 クリスマスはとっくに終わったというのに、街の浮かれ気分は一向に抜けない。
 残されたイルミネーションと、お正月商品を売り出す声がちぐはぐだ。けれど歩く人はそんなこと気にもしていないようで、疲れたようにスーツを着て足早に歩く人も、腕を絡めて歩くカップルも、この年末の空気に溶け込んでいる。
 その中で自分たちだけが妙に浮いているように思えて、山崎は溜息を吐いた。
(いや、まあ、そりゃあ二人で歩いてるんだけどさァ……)
 少し先を歩く上司の背中を見つめる。
 上司だ。多分、一応、恋人と言えば恋人なのだけれど、今はどうしようもなく上司と部下だ。土方はとろとろと歩く山崎の様子など気にもせず、面倒くさそうに足早に歩いている。
 真選組の制服は、目立つ。街の慌しい空気に溶け込んでいる人たちが、土方と山崎の姿を見ると少し道を開けるのがやりきれない。
 山崎だって別に、今仕事中のこの場所で土方に甘えたいわけではない。
 けれど、周囲の様子と自分の立場のギャップが少しみじめで泣きそうだ。
 上司とではなく部下と回りたかった。せめて同僚。このみじめさを共有しあってクリスマスなんてイルミネーションなんてクソ食らえだ! と話したかった。
 土方は先をどんどん歩いていく。びくりとして道を開ける人の中で、何人かの女性は土方の姿を振り返り、きゃあきゃあとはしゃいだ声を上げた。土方の後ろを歩く山崎には、その様子がとてもよく見て取れる。
(あの人には俺らのみじめさなんて、一生わかんないだろうなァ……)
 そもそも、たとえば彼女がいたとして、クリスマスデートをしてやるような人ではない。
 こんな寒い中わざわざ人ごみに女連れで出て行くなんてことは、まずしないだろう。
 彼女がいなくたって、その気になりさえすれば寄って来る女はいくらでもいるはずで、この街の流れに取り残されるみじめさとは一生無縁だろうと思われる。
 けれど山崎は地味に一般的なので、クリスマスはやっぱり恋人と過ごしたいし、年末はばたばたしながらもコタツでみかんを食べたいし、イルミネーションは好きな人と見てジンクスとか信じたい。
(……いや、叶っては、いるんだけどさ)
 クリスマスは、会議と見回りと報告とで、一緒に過ごした時間もあった。
 イルミネーションは今、一緒に見ていて、まあ一緒に見たら一生幸せにみたいなジンクスも、信じようと思えば信じられる。
 けれど今は、悲しいほどに上司と部下だ。上司と一緒に過ごすクリスマス、上司と一緒に見るイルミネーション。
(あ、やべ、泣きそう)
 はは、とうつろな目でとろとろと歩く山崎に、
「山崎!」
 と大きく声が掛かった。
「は、はい!」
 まさか考えていることが見透かされたか、と焦点を合わせれば、土方の姿がない。慌てて周囲を見回せば、裏通りに入る曲がり角に、土方が不機嫌そうに立っていた。
「こっちだ、馬鹿」
「はいよ!」
 慌てて駆け寄ると、溜息を吐かれる。すみません、と謝れば、ぼーっとすんなと叱られた。
 最悪すぎる……と肩を落とす山崎に構わず、土方はどんどん進んでしまう。
(ていうか道間違えてんの多分副長なんだけどな……)
 山崎は物覚えがいい方で、見回りのときなどは自分のルートを完璧に覚えてしまう。いかに効率よく回れるかも考える。だから今日は、ここの角を曲がるはずではない、というのは多分間違いない。
 けれどそれを指摘すれば多分殴られるし、今殴られたらみじめすぎて泣いてしまう。
「はぁ……」
「おい」
「は、はい!」
「……何ビビってんだよ。お前、歩くの遅ェ」
 いつの間にか立ち止まっていた土方が、肩を落としている山崎を見て苦笑した。
 すいません、と謝って駆け寄ると、三回目、と笑われる。
「え?」
「謝りすぎだ。殴んねーよ」
 殴る代わりに山崎の頭を軽く撫でると、土方は踵を返して再び歩き出した。
(う、わぁ……)
 何今の、とうろたえながら、山崎も慌てて追いかける。
 隣に並んだ山崎の顔をちらっと見て土方は、にっと笑った。何、と不審に思う間もなく、山崎の手が、土方の手に包まれる。
(うわっ……)
 冷たい手が、冷たい手に包まれて、寒さがぞくぞくと這い上がる。
 触れ合った先から痺れるようにじんわりと暖かくなっていって、山崎は一つ身震いをした。
「……なん、ですか?」
「何が?」
 おずおずと聞けば、しれっと言い返されて言葉に詰まる。
 手を繋いでいること以外普段と何も変わらぬように、土方は平然と前を見て、やはりすこし面倒くさそうに歩いている。
 けれどその歩幅が、少し小さい。山崎が普通に歩くのよりも、ほんの少しだけ遅い。

 今日の見回りは副長とじゃなかった。これは絶対。せめて二人きりになれないものかと、何度も何度も確認したから間違いない。
 今日のルートはこっちじゃなかった。これも絶対。山崎は記憶力に自信があるし、どうやったら早く帰れるかもよく考えたから、間違いない。

(じゃあ、)
 じっと土方の顔を見つめると、視線に気づいた土方が横目で山崎を見て、「何だよ」とぶっきらぼうに言った。
「何でもありません。……へへ」
「……気色悪っ」
 笑った土方の手に、ぎゅっと力が込められる。
 暖かいのか冷たいのか、よくわからないけれど心地いい。

 裏道はイルミネーションもなくて、人通りも少ない。
 あともう少し歩いて、角を曲がってしまったら、また大通りへ戻ってしまう。そしたらそこにはイルミネーションがあって、人通りもまた多くなるだろう。
 殊更ゆっくり歩くようにする。進みたくないなぁ、と思いながら歩いていれば、盛り上がっていたコンクリートにつま先が引っかかった。
「うわっ」
 倒れそうになる体を、繋いだ手が引き止める。あ、すみません、と謝れば土方が、
「転ぶなっつったろーが」
 と柔らかく苦笑した。

 あと、多分、もうちょっとだけ。
 上司と部下が恋人同士でいられるまで、ゆっくり歩いて、あと600秒。

      (08.12.27)