薄暗い店内に案内され、妙にふかふかとした席に腰掛けメニューを手にした辺りで、真選組の副長さんじゃないですかぁー、と甘たるい、大変聞き覚えのある声が聞こえて、土方の顔が引き攣った。
ヤバイ、と思い立ち上がって逃げるより先に勢いよく抱きつかれ、腕をがっしり組まれてしまう。その腕に押し当てられた胸の感触が普通に柔らかくて、土方は溜息を飲み込んだ。
「……何、名前」
「あ、普通に山崎です」
「え、何そんなバレそうな名前付けてんの」
「だって急だったんだもん。大丈夫ですよ、地味な名前だし」
こそこそと囁きあうように会話をして、土方はくっついている体を少しだけ引き離す。
けばけばしいドレスを身にまとって、いつもより大分派手な化粧を施している山崎が、拗ねたように口を尖らせた。
それからふにゃりと笑って、土方の方に頭を凭れかからせる。
「えーと……山崎、さん?」
ていうかどうしてお前がここに、と混乱する頭を必死で回転させながら、その体を引き剥がそうとするが上手くいかない。
「副長さん、ちょうど良かった。ね、今日、アタシをお持ち帰りしてくれませんか?」
何言ってんだ、とギョっとして山崎を見れば、山崎は潤んだ目で土方を見上げて、
「ダメですかぁー?」
とか何とか、甘えた声を出した。
何言ってんだっつーかどうしようコレ、と土方が混乱しながらもとりあえず頷けば、山崎はにっこりと笑う。
「じゃあ店長に言って来ますねー」
と一度奥へ引っ込んで、ものの数分で戻ってきた。
派手なドレスの上にコートを引っ掛けただけの格好は、暖色系の照明で埋め尽くされた室内で見てもちょっと寒そうだ。足とか。
仕方なく土方が自分のマフラーをその首に巻いてやれば、山崎は少し驚いた顔をして、それから「ありがとうございます」と笑った。その笑い方がいつもの山崎のものだったので、土方は少し安心した。
「……で、何でお持ち帰り?」
「ていうか土方さんは何であんなところにいたんです?」
腕を組み、体を密着させながら歩くので、若干歩きづらい。
もう店も見えなくなったことだし普通に歩いてもいいのではないか、と土方が山崎に視線を向けるが、山崎はその腕を離そうとしない。
いつもは控えめに盛られている胸の大きさが、今日はなんだかとても大きい気がする。
どうせ中は偽者だと分かっているのに、押し当てられているその感覚に土方は妙にそわそわした。
「……ていうかお前、あんな店に入ってバレねーの?」
「ていうか土方さんは何であんな店に来たんです?」
あ、これは誤魔化されてくれない気だな、と土方は気づいて、天を仰いだ。
普段の山崎なら、土方のこんな行動一つには大して文句を言ったりしない。関係上、それもどうかと思わなくもないが、土方にだって付き合いというものがあるし、山崎だって仕事上は同じ組織の、しかも男なのだから、別に気にならないのだろうと思っていた。が。
(この絡み方は、相当怒ってんな……)
腕を組み、体重を預けるようにして歩く山崎は、今どこからどう見ても女だ。
派手な、ぺらぺらの安っぽいドレスと、けばけばしいな化粧。髪に挿された髪飾りの輝きも安っぽく、どうにも場末の娼婦にしか見えない。
そんな格好をしているから珍しく嫉妬などしたのか、それとも、と土方は山崎の肩を掴み、その体を自分へ向けた。
「え、何、」
驚きふらつき足を止めた山崎の腰を支えて唇を塞ぐ。
「――――――ん…ぁ…」
「……酒くさ」
やっぱり酔ってやがんのか、と唇を離し呆れたように呟いた土方に、山崎の鋭い視線が向けられた。
「酔ってません」
「酔ってっだろ、さすがに」
「酔ってませんー。俺お酒強いですもん」
「うん、それは知ってっけど。今は酔ってると思うぞ」
「んー、酔ってないです!」
ほら、そうやって駄々をこねるあたり、酔っている。
土方は大きく溜息をついて、その手をぐい、と引っ張った。二、三歩よろけた山崎は、けれどその後の足取りをしっかりとさせ土方について行く。
「お前、そんな格好でそんな酔ってんじゃねーよ」
「だから! 酔ってないですってば」
「そう言う奴ほど酔ってんだよ」
「ていうか土方さんまだ俺の質問に答えてないでしょ! 何であんな店に来たんですか?」
繋がれた手を逆にぐい、と引っ張るようにして山崎が立ち止まる。
完全に拗ねて頬を膨らませかねない勢いでこちらを見る山崎に、土方は軽い頭痛を覚え思わず額に手を当てた。
「えーと……そりゃ、あれだ、付き合いだろ。上との」
「ふーん……」
「そういうお前はなんであんな店にいたんだよ。俺ァ聞いてねーぞ。つーかさすがにバレんだろ、これ」
言って、大きく盛られた胸をぎゅっと掴めば、山崎がものすごく嫌そうな顔をする。
別に本物ではないので痛みも快感もあるわけないのだが、山崎の手が勢いよく土方の手を振り払った。
「あそこ、女の子買うお店ですよ? 知ってて来たんです?」
「酒飲む店でもあるだろうが。俺だってあんなとこ行きたかねーよ」
「ふーん……」
「つうか! だから、その買われる立場にお前がなってどうすんだよって俺は言ってんだよ!」
「だって松平のオッサンに頼まれたんですもん」
「で、聞いたわけだ?」
「だってあのオッサンしつこいんですよ! 請けたらうちの設備費増やしてくれるって言うし、女装してお酒飲んでちょっと情報ちょろまかすくらいだったらいいかなーって」
「つって、買われたらどうするつもりだったんだよ」
「早い段階でオッサンが直接来て、俺を指名してくれる予定だったんです。その前に土方さんが来ちゃったんだもん」
いじいじと言いながら、山崎は自分がさっき振り払った土方の手を両手で握ってその指を絡めたり離したりしている。
その仕草が、甘える女そのもので土方は再び溜息を吐いた。
(土方さんが来ちゃったってのは、どういうことだよ)
俺より松平のオッサンが良かったってーのか! と殴りたい、が殴れない、のは山崎がどこまでも女らしさを装っているからだ。
これは山崎だと分かっていても、女の姿をしているそれを手酷く扱うことができない。
ぐ、と奥歯を噛み締めて、土方は山崎の手を振り払った。あ、と悲しげな声を出すのを一睨みして、片手を握って歩き出す。
「……そんで? そんだけ酔って、情報とやらは引き出せたのかよ」
「酔ってませんってばー。引き出せましたよ、もちろん。あなたの優秀な監察、舐めんでください」
へへーと笑って山崎が土方に擦り寄るように近づいた。
(あなたの監察、ねえ……)
だったら人にほいほい使われてんじゃねーよ、と舌打ちをする。
とっとと着替えさせて化粧を落とさせて、それから存分に殴ってやろう、と心に決めて歩みを早くした土方の動きを、再び山崎がぐい、と止めた。
「……ンだよ!」
「そっち行くんですか? こっちじゃないです?」
山崎が、土方の曲がりかけていた方向とは反対方向を指差して首を傾げた。
こいつ相当酔ってやがる、と土方の顔が険しくなる。
「お前、こっちだろ、屯所は。帰ったらまず酔い覚ませ馬鹿」
「え、屯所帰っちゃうんですか?」
「はぁ?」
何言ってんだ、とうとう頭もおかしくなったか、と山崎の顔をまじまじ見れば、山崎は本気で不思議そうな顔をして、右側に首を傾げ唇を尖らせた。
「だって、俺、言いましたよね。お持ち帰りしてくださいって」
「は……」
「買ってくださいって、言ったつもりだったんですけど」
屯所がいいなら屯所でもいいんですけどぉ、と、どこか不満そうに言った山崎は、困惑したままの土方の顔をじっと見つめてから、その首にするりと腕を回した。
「土方さん、さむそ。マフラー返しましょうか?」
「……いや、いい」
「照れてます?」
「別に、照れては……ねーけど……」
ふふ、と山崎が軽く笑い、土方の唇に口を寄せてちゅう、と音を立て吸ってみせる。
口紅がついてしまった土方の唇を、指で軽く擦って再び静かに笑った。
「……お前、酔ってんの? 酔ってねーの?」
「土方さんが言うなら、酔ってるってことでも、いいですよ?」
だからね、行きましょうよ、と土方の手を引いて、答えを聞かないまま屯所とは逆方向のホテル街へと歩き出す。
その腰を抱き寄せるようにすれば、山崎が土方を見上げて、うれしそうににっこりと笑った。
(これは、なんというか……)
土方は溜息を吐き、まだ口紅が残ったままであろう口を手の甲でごしごしと擦る。
お持ち帰りが買うってことに直結するなら、お前はオッサンとヤるつもりだったのか、とか。
酔ってるってことでもいいですじゃねーよはっきりしろよ、とか。
俺の与り知らないところで仕事請けんのは金輪際やめにしろ、とか。
言いたいことは山のようにあるし、一つ一つ言い聞かせながら殴ってやりたいのだけれど。
(……これァ、無理だな)
多分、きっと、化粧を落としてドレスを脱がれても、土方は山崎を殴れないだろう。
顔を肩にする寄せるようにして上機嫌な山崎にちらっと視線を落として、土方は苦笑いを浮かべた。
(仕方ねェからその代わり、買った分だけ遊んでやるか)