ひら、とその手が動くたびに注意がそれる。形良く磨かれた爪に、真っ赤な色が乗っているからだ。きらきらとした粉を甘いイチゴジャムに丁寧に混ぜたような色。
ひら、とその手が動いて、手の動きを追っていた土方の頬へ止まった。
「とうしろうさん」
ひとつひとつの音を確かめるかのようにゆっくりと動く唇は安っぽい照明にてらてらと光っている。歯を立てて皮膚を食い破れば流れる血はきっと甘いのだろうな、と思わせるような色だ。
その唇が弧を描いて、唇の隙間から白い歯が覗く。頬に触れていた手がするりと離れて、それだけで妙な喪失感が土方を襲う。
「山崎」
名前を呼ぶ声が掠れているのが分かった。余裕のない土方の様子に、山崎はうっとりと笑みを深くして、土方の唇に人差し指を当てる。
「さ、が、る」
弧を描く目が、いたずらをするときの色だ。
雰囲気を盛り上げるためか薄暗く設定された照明が山崎をほのかに照らして、その頬に睫の影をほんのりと作る。瞬きを作るたびにそれが動くのが幻想的だ。
唇に触れている指を土方が舌で絡め取る一瞬前に、山崎の手がひら、と動いて、色付いたその指を離してしまう。
「名前で呼んで」
甘えるような声で言って、首を傾げてみせる仕草が、わざとらしすぎると言えばそうで、それだけが妙に土方を冷静にさせている。一分の隙もなく作り上げられた媚態。いつもより少し高く作られた声にもさして違和感がない。
これは本当に山崎なのか、という、少しの疑問が、土方の頭には浮かんでいる。
「……ま、いっか」
黙ったままの土方の様子を拒否だと受け取ったのか、山崎が諦めたように言って、ベッドに座った。ベッドが、ぎしりと安っぽい音を立てる。
山崎の前に立ち、その姿を見下ろすような格好の土方に向かって、山崎はもう一度「とうしろうさん」と呼びかけ、それから、見せ付けるようにゆっくりと片足を持ち上げた。
まくれ上がったスカートの中は、目線の高さを下げればすっかり見えてしまうだろう。
山崎はそのまま足首を器用に動かして、その足から靴をすべり落とした。細く高いヒールの靴が、鈍い音を立てて絨毯の上に転がる。
黒いストッキングで覆われた足先は、その爪までもが丁寧に色づけられていた。
なるほどこうして化けるのか、と土方が冷静に思っているのは、脳を犯していく熱を逃がすためだ。冷静に分析でもしていないと、あっと言う間に流されそうだ。
そんな土方の思いを知ってか知らずか、山崎は靴を落としたその足で、一度だけ緩く土方の中心を撫でる。無関心を装っているくせに形を変え始めていることに気づいて、山崎が楽しそうに笑った。
「ね、舐めて」
中心から離した足をひら、と動かして、山崎が笑う。
「……お前な、」
調子に乗るのも大概にしろよ、と言いかけた土方を、山崎が眼で牽制した。
睨むような視線だが、目元が少し染まっている。
「約束は?」
「……そりゃあ、したけどよ」
「だったら」
ほら、と山崎が足で土方の手を突いた。土方は大きな溜息を吐いてその足を手に取り、その場に跪く。
「お前は俺に何をさせてーんだ」
うんざりした口調で言う土方に、山崎はえへへ、と笑ってみせる。その笑い方がいつもの山崎のものに近かったので、少しだけ土方は安心する。
「俺にメロメロになって欲しいんです」
仕草や雰囲気と裏腹に、口にする要求が子供っぽすぎることに土方は苦笑した。
そんなの今更、と思っている。教えてはやらないが。
仕方ねェなァ、と殊更面倒くさそうに言ってみせて、その手に包んだ足先に、土方はそっと唇を近づけた。
どうせするなら外でしたい。けれどそういう場所へ入るには、男同士ではまず無理だ。
そう言って、お前女装をしろと提案したのは土方で、山崎はそれを文句を言いながら受けただけのはずだった。
そんな格好じゃ連れ立って屯所を出れないので外で待ち合わせをしましょう、と言ったのは山崎で、もっともなことだったので土方は快諾した。
待ち合わせ場所に立っていたのは、濡れた黒髪に白い肌、色づけられた爪に目元、唇。
とうしろうさん、と呼ぶ甘い声。
こんな格好してあげたんだから、俺の好きにさせてください、と笑い混じりに言われ、簡単に許した土方の失態、だろうか、これは。
ぴちゃ、と濡れた音が響く。黒い布からうっすらと紅の透けるつま先を口に含んで軽く吸い、丹念に舐め上げながら土方は山崎の様子を窺う。
ぎゅ、と握られたシーツに皺が寄っている。目を細めてうっとりとした表情の山崎は、唇を半開きにして、ぼうっと土方を見下ろしていた。
視線を絡めたままで軽く噛み付いてやれば、開いた唇から僅かに声が零れる。
「と、しろ、さん」
甘い声のまま名前を呼ばれて、土方は軽く目を瞑った。頭の芯がぐらりと痺れる。
軽く持ち上げるようにした山崎の足の付け根には、黒いドレスがまとわりついている。山崎がぴくんと足を揺らすたびに布がずれ、ストッキングを留めているガーターベルトが見え隠れした。
土方の口角が上がる。あれは外さないままでしてやろう、と心に決める。
「ん、……や、ぁ」
土方の舌が爪先から離れ、足首を通って徐々に上に上がると、山崎が濡れたような声を上げた。体重を後ろ手についた腕に預け、首を逸らして天井を仰いでいる。
その首筋に噛み付きたい。手首を掴んで体を倒し、貪ってしまいたい。
どうにもならない欲求が土方の中を駆け巡る。
「ひ、じかたさ、」
「……名前、呼ぶんじゃなかったのかよ、退」
「あ、……っ」
低い声で囁けば、山崎が体を竦めて身を捩る。
その拍子に足が動いて、土方の歯が軽くストッキングに引っかかった。
軽く高い音を立てて、破れたような線が入る。
土方はそこに指を引っ掛け、思いっきり穴を広げた。
高い音を立ててストッキングはあっけなく破れる。
「あ、ダメ、ちゃんと脱がしてくださいよ!」
気づいた山崎が体を起こして抗議の声を上げるが、土方は動きを止めない。薄すぎる布を裂きながら、露になった足に丹念に口吻けていく。甲高く上がる布の裂ける音が、気持ちを高揚させていく。土方はそれに浮かされるかのように、裂いた部分から覗く白い足にむしゃぶりついた。吸い付き、歯を立て、舌を這わせる。
「ん、ぁ、……ねえ、」
体を捩る山崎を見上げ、土方は布を裂いていた手をするりと移動させた。黒くひらひらと動くドレスの中に、その手を滑り込ませる。そのまま足の付け根だけをくすぐるようにすれば、山崎が声を上げて首を振り、涙の溜まった目で土方を見下ろした。
長く伸ばされた睫に涙の雫がついている。頬と目尻は誘うように色づいている。薄く開かれた唇は零れそうな唾液でてらてらと光り、隙間から零れる吐息は深く、甘い。
土方はそのまま山崎の両足を掴み、そのままぐっと持ち上げるようにした。山崎を押し倒すような形でベッドに手をつく。
ドレスがひらりと捲れ上がり、ご丁寧にレースのついた女性物の下着と、その下から伸びるガーターベルトが露になった。
「とうしろ、さん」
足を無理に折り込まれるような形になった山崎が、抗議するような目を土方に向ける。
けれどそれは、挑発以外の何でもない。
土方はそのまま唾液に濡れた山崎の唇を啄ばみ、耳朶に口吻け、耳に唇を付けたまま低い声で囁いた。
「メロメロになってやった。余裕ねェから覚悟しろ」
山崎はその声と、続いてぴちゃりと響いた水音に首を竦め、それでも土方の首に手を回す。
土方の黒い髪を、赤く色づいた爪の光る指で緩く梳き、その首筋に唇を付けながら山崎は嬉しそうに微笑んだ。
「どうぞ、ご自由に」
その夜紡がれた意味のある言葉は、おそらくそれが最後だったろう。
シロップ9℃のゆりこさんにネタをいただいてやってみました。女装は正義。