「七夕んときも思ったけどさァ、人殺しってえのは案外迷信深いですね」
 まだ薄暗い、朝が来る前の道を、山崎は白い息を吐きながら歩く。
 手袋をしていない手が真っ白に凍っているようで、あまりにも冷たそうだから、土方はちょっと手を伸ばせない。コートのポケットの中で自分の手を温めるので精いっぱいだ。
「何だ、いきなり」
「だってさァ、初詣だって行くとかはりきってるしさァ」
 相変わらず山崎は、土方と二人でいるときは語尾を伸ばしてだらだらと喋る。
 甘えているのか。いや、なめているのかもしれない。
「神様に、何お願いすんだっつう話でしょ。お願い聞いてもらえるような立場じゃあないと思いません?」
 尖った言葉を吐きながら、その声は笑っている。白い息がふわふわと山崎の言葉に合わせて踊る。
「そんなのさ、お願いごとが叶うんだったら、全部お願いしたらいいんだよ。そしたら俺たちなんて、いらないですよ」
「いるだろ。神様だって万能じゃねえんだ」
「ええー、そうかな。でも神様が万能じゃなくて、たくさんされる願い事のうちほんの少ししか叶えられないんだったら、やっぱり神頼みなんて、意味なくないっすか」
 楽しそうに笑う山崎の鼻が赤い。触れたら冷たいだろうな、とわかるくらい。
 同じように頬も赤く、唇も赤く、吐く息だけ闇に白い。
 ベージュのコートには真っ白なファーがついていて、首周りだけあったかそうだ。山崎は意外とお洒落なので、私事で出掛けるときに支給品のコートなどは使ったりしない。対して土方は支給品の、制服とあまり変わらない真っ黒なコートを着ている。
 二人きりで歩いている。夜明け前の道だ。
 刀は二人、腰にぶら下げているが、今日は人を殺しに行く用ではない。それが嬉しいのか、山崎はいつもより少しはしゃいでいる。
 土方はコートの袖を少しずらして時計を見た。後もう少しで日が昇る。
「初詣は嫌で、初日の出はいいのか」
 軽い足取りの山崎を見ている土方の声も、気付かないうちに変に弾んだ。呆れた笑いを含む柔らかな声音に気付いたのか、どうか、珍しく土方よりも少し先を歩いていた山崎が大げさな動作でくるんと振り向く。
「嫌っつってないですよう。おかしいなあっつってるだけで」
「初日の出は」
「おかしいです。すげえおかしい。でも何より」
 ふふ、と笑う形に白い息がふわふわと消えて
「土方さんと二人で見に行けるって、それが一番おかしくって、そんで俺は嬉しいな」
 本当に嬉しそうに笑いながら赤くなってしまっている指先にその白い息を吐きかけるものだから、土方は思わず右手をコートから出して、せっかく温まった手で冷たい山崎の手を掴んでしまった。


 冷たい右手と左手を繋いで昇ってくる太陽がよく見える場所までせっせと歩く。
 山崎はどうもくだらないことばかりぽつぽつと喋って、土方はそれに相槌を打つ。
 普段と同じことをしているようで、やっぱり少し違うのだ。年が明けたからかな、とちょっとずれたことを、土方は考えている。
「さっきの話」
「はい?」
 会話がちょうど途切れたので、なんとなく気になったまま聞けなかったことを聞いてみた。
「迷信がどうとかっていう」
「ああ、はい。土方さんもそういうの信じる方ですよね、おばけとか」
「……信じてねーよ別に」
「あは、そういうことでも、いいですよ」
「お前は本当に信じねえのな、そういうの」
 神様とか仏様とか幽霊とか祟りとか。
「はあ、まあ」
 山崎の言うとおり、人斬りには迷信深い人間が多い。真選組の隊士もそうだし、土方たちが追っているテロリストだって概ねそうだ。幽霊とか祟りは別にしても、神様や仏様や罰が当たるやどうのこうの、多かれ少なかれ信じている。
 その中で山崎は無頓着すぎるくらいにそういうことを信じない。
 幼いころに言い聞かされていたような、ささいな迷信もどうでもいいらしい。
 土方はちょっとそういうところが神経質なので、たまに信じられなくなるくらいだ。
「なんで」
「なんでって……だって、そんなん信じたって仕方ないでしょ。神様が守ってくれるわけじゃなし、自分たちが刀持って自分守った方が、よっぽど確実ですよ」
「お前そのうち祟られて死ぬぞ」
「死にません」
 あはは、と楽しそうに笑って、山崎はそれから少し、考えるような仕草をした。
 考えて、それからやっぱり楽しそうに唇の端を上げ、隣に並んだ土方を見上げる。
「死にませんよ。俺は神様に、そんなことでは死なねえと、誓ってるので」
「神様? 信じてんじゃねえか」
「はは、そうですね。信じてますねえ。俺も案外、迷信深いかも」
「何だそりゃ」
「でもね」
 冷たい風が二人の間を通りぬけて、冷えた肌をさらに凍らせた。繋いだ掌は暖かいが、むき出しの指先は冷たい。どうにか暖かくならないものか。思案の末、土方は山崎の手をつないだまま、その手をコートのポケットに押し込んだ。
 一歩分距離が近くなって、山崎が少し躓きかける。
「こけるなよ、危ねえなあ」
「……これ、俺がこけたら、土方さんも顔面からいきますよ」
「ふざけんな。こけるときは前もって言え。お前だけこけろ」
「ひどい」
「嫌なら気をつけろ。で?」
「は?」
「でも、の続き。何だよ」
「ああ」
 何の話だったか、というように山崎は首を傾げて空を見、しばらくしてやっと、ああ、と声を上げた。
「思い出したか」
「はい。あのね、でも、俺の神様はやさしくもないし、願い事なんて叶えてくれないですけどねって」
 言おうと、思ったんですけど。
 そこで再び言葉を切って、視線を足元に落とした山崎がふふ、と小さく笑う。寒さのせいだろう、頬が赤くなっていて、触れたらきっと、その肌は冷たいだろう。思わず繋いだ手を土方がきつく握れば、山崎の笑みがますます深くなった。
「……願い事なんて、叶えてくれないと思ってたけど、いきなり今年ふたつも叶っちまったなあ、と思って」
「ふうん?」
「も、ほんと、ひどい神様なんですけどね。普段はちっとも、俺の願い事なんて、聞いちゃくれないし、俺に無茶ばっかさせるし」
「はあ?」
 楽しそうに山崎が笑うたびに白い息が揺れる。
 空の端の方が少しずつ明るくなってきて、はやくしないと今年最初の太陽が昇ってしまう。
 それでもあまり歩く速度を上げられないのは、手を繋いでいるせいでひどく歩きづらいからだ。
「俺の言うことなんて、ちっとも聞いちゃくれないし、無茶ばっかするし。頭悪いし、仕事中毒だし、口より先に手が出るし、基本的に変態だし」
「……おい、そりゃ誰のことだ」
「だから、俺の神様の話ですよう」
 噛み合わない会話に土方は首を捻る。その様子をおかしそうに山崎が笑って、繋いだ手の指先に少し力が込められた。
「その神様は基本的に俺のために何かをしてくれたりはしないけど、たまにすげえ優しかったりするし、神様のおかげで俺は生きて行かれてるから、やっぱりむげにはできないな」
「……ふうん」
「今日だって、初日の出見に行きたいっつったら、叶ったし」
「……」
「二人きりがいいですっつったら、それも叶ったし」
「…………」
「あ、あともうひとつ。手、繋ぎたいなあって思ってたら、それも叶ったな。新年早々みっつも叶って、俺今年、もう悪いことしかないですかねえ」
 楽しそうに山崎が軽やかな笑い声をあげて、そこで、突然足を止めた。
 ゆっくりと歩いていたので突然止まられてもこけることはなく、手を繋いだままなので仕方なく土方も足を止める。
「どうした」
「あれ! 見て下さい!」
 山崎が指を差した先では、山と山の間から今年最初太陽が姿を見せるところだった。
「ほんとうはもうちょっと先に、絶景ポイントがあったんですけど。ここでも十分見れますね」
「ああ」
「すげえ、きれい」
 じりじりと時間をかけて昇る太陽からゆっくりと溶けだす光が、山崎の冷たそうな肌をぼんやりと照らして行く。ベージュのコートを飾るファーの細い毛にきらきらと光を零して、ついでに山崎の黒髪にまで、その光が移ってしまう。
 寒そうな肌を薄紅に染めて、山崎が土方を仰ぎ見た。
「ね、きれいでしょ」
「……ああ」
「来て良かったでしょ」
「ああ」
 よかった。と、本当に嬉しそうに山崎が笑って、それが昇りきらない太陽の薄い光に照らされてあんまりにもきれいだったから、冷たい頬に手を伸ばし、赤く染まった唇に土方は思わずくちづけていた。


「……あ」
 離した唇を少し開いて、山崎が短く声を零す。
「……なんだ」
「また叶った」
「……何が」
「キスしたいなあって思ってたら、叶っちゃった。どうしよう、今年の神様は俺にやさしいですね」
「そうかよ」
「いつもひどいのに」
「うるせえな」
「今年はずっとやさしくしてくれたら俺はもっとうれしいです」
「知るか」
「ひどくってもいいですけどね。それでも俺は好きですよ」
「……だから、何の話だっつうの」
 山崎があんまりにも笑っているものだから何だか頬が熱くなってきて、風邪でもひいたかと土方は顔をそむける。それをまた山崎が笑って、握った手に力が入ったと思ったら、
「だから、俺の大好きな、俺だけの神様の話です」
 朱色の差した土方の頬に、冷たい唇が小さく触れた。

      (09.12.30)