今日ほど外を出歩くのが面倒な日はないと思ったので一日書類整理をして過ごした。おかげで、年末年始の慌しさで後回しになっていた書類の束が片付いた。実に充実した一日だった。飯も食ったし風呂にも入った。あとは布団に入って眠るだけだ。
土方は短くなった煙草を灰皿へと押し付けた。最後の煙をゆっくり吐き出しながら、背後の気配をうかがう。
まだいる。
がさがさと、包装紙の音がしている。
「副長」
おまけに、声までかけられて、黙殺することも許されなくなった。
「……なんだ」
「手作りの、どうします。食べますか」
「いらねえ」
「食べるんだったら、毒見しますけど」
「いらねえって。つうか、市販のもいらねえ」
「じゃあ、仕方ないけど手作りのは処分しときますね。カードは置いときますから」
「カードもいらねえ。市販のも、全部一緒に処分しとけよ」
「それは自分でやってください。あんたのもらったチョコなんだから」
だれもくれなんて言ってねえよ。の言葉の代わりにため息を限界まで吐きだして、土方はおそるおそる後ろを振り向いた。カラフルな箱が押し込まれた紙袋がふたつ。自分ではがした包装紙を、山崎がなぜか丁寧に元に戻している。
「……何やってんだ」
「俺が開けて、そのまま副長に渡すんじゃあんまりでしょう。食べるんだったら自分で開けてください」
「いや、食わねえけど」
お好きにどうぞ、と肩をすくめて、山崎は再び包装作業に取り掛かった。甘たるい匂いが部屋の中に満ちている。土方は山崎にじりじりと近づき、背後からその体を抱え込むようにして、薄い肩に顎を乗せ、手元を覗き込んだ。山崎は驚きも逃げもしなかったが、手元が少しだけ震えたのか、リボンが少しいびつに歪んだ。
「昼間にやっとけよ」
「昼間じゃ数が確定しないでしょうが」
「じゃあ夕飯の後すぐやれよ。遅えんだよ。俺ァ眠い」
「仕方ないじゃん。沖田さんの先にやってたんだから」
「いくつあった」
「張り合いたいんなら自分の数自分で数えて、自分で張り合ってきなさいよ」
「別に、張り合いたかねえよ。ガキじゃねえんだから」
「ふうん」
信じていないような声で答えながら、山崎は淡々と包装し終えた箱を紙袋に押し込んでいく。
「単純な興味だっつうの。あいつ顔だけはいいからな」
「あんたもね」
「……」
顔だけか。とか。何か言い返してやりたかったが、うまい文句が見つからなかった。仕方なく、子供の仕返しを装って首筋に軽く歯を立ててやる。いたい、と、ちっとも痛くなさそうに山崎は言って、チョコの匂いの移った手で土方の頭を軽く叩いた。
「邪魔です、どいて」
「ここは俺の部屋だぜ」
「何の関係があるんですか」
「俺の言うことを聞く義務が、お前にはある」
「そんなの」
ふふ、と山崎が笑いを零す。山崎はよく、こんな風に、吐息を零すような笑い方をする。
「この部屋じゃなくたって、同じでしょう」
それはそうだ。そうだった。
するりと土方の腕から逃げ出して最後の箱を紙袋に入れ終わった山崎は、肩をとんとんと叩いて大きく息をつく。
「はー、疲れた。もう来年からチョコ禁止にしましょうよ」
「俺だってそうしてえが、近藤さんがな」
「屯所で受付解放したって、あの子がチョコなんかくれるわけないじゃないですか」
「お妙さんは恥ずかしがり屋だから直接渡せずきっとこっそり屯所に届けてくれるに違いない! という一縷の望みをだな」
「馬鹿じゃね」
「俺もそう思う」
めんどくせー、と言いながら大きく伸びをした山崎が、そのまま体を後ろに倒してくるので土方は抱きとめてやる。上半身を土方に預ける形になった山崎は、下から土方を見上げてにこりと笑った。前髪を撫でてやれば、小さく笑いながら目を閉じる。
「……さっきの」
「はい?」
「義務か」
「はあ?」
「……いや、いい」
山崎の声音ですぐに後悔をして聞いたことを撤回すれば、何もかも見透かしたように山崎が笑って、薄く目を開けた。下から土方に手を伸ばすので、その指を絡め取ってやれば嬉しそうな顔をする。
「あんたが先に言ったんですよ」
「そうだったな。だからもう、いい」
「ばかみたい。この部屋でもそうじゃなくても、あんたの言うこときくのは、俺の義務ですよ」
「わかってんだよ」
「あんたのわがまま聞くのも、殴られたって逃げないのも、好きなものも嫌いなものも全部把握してるのも、部屋のどこに何があるかあんたよりよく知ってるのも、傍にいるのも、全部」
握った手に少し力がこもった。山崎は再び目を閉じる。
「俺が俺に課した、義務だよ。土方さんが好きだから。他の誰にも負けれません」
唇の端が少しあがって、それがひどく幸福そうな笑みに見えた。目が見たくて頬をくすぐれば、山崎の睫毛がぴくりと動く。じっと見ていればゆるゆるとそれがあがり、視線がかち合った。にい、と笑って山崎がくるりと体を反転させる。
一瞬、山崎が土方に抱きつく格好になったので、抱きしめてやろうと腕に力を込めたのだが、山崎が起き上がる方がはやかった。
「なんで俺が土方さんの部屋後回しにしたのかわかりますか」
「知らねえ」
「つれないなあ。考えて下さいよ」
つまらなそうに言いながら、顔はにこにこ笑っている。ごそごそと懐を探るので、いくら鈍い土方だってこれではぴんと来てしまう。
「土方さんチョコ好きですか」
「……」
「素直にどうぞ」
「好きじゃねえ」
「よくできました。これ、いります?」
ごそ、と懐から取り出されたのは、正方形の小さめの箱。真っ白い箱にピンクのリボンがかかっているが、市販の作りとは思えない。山崎が包んだのだろうと知れた。
「……もらってやる」
「素直に、俺が好きだから俺からのチョコが欲しいって、言えばいいのにね」
おかしそうに山崎が吐息のような笑いを零して、白い小さな四角い箱を、土方の手にそっと乗せた。開けていいかと目だけで問えば、山崎は肩をすくめて返事に代える。お好きにどうぞ、ということだ。しゅる、とピンクのリボンの端を引っ張って、真白になった簡素な箱のふたを土方は開けた。
かたん、と小さなチョコがぶつかって、小さな小さな音をたてる。
「……何だこれ」
「シガレットチョコと迷ったけど、他人と被っても意味ないし」
箱の中には12のチョコ。正方形の小さなチョコが4×4で並んでいる。大きさは全部同じだが、表面の絵柄が少しずつ違った。甘い物を滅多に食べない土方も、さすがにこれは見覚えがある。
「チロルチョコに見えるんですけど、退サン」
「さっすがふくちょー」
ひょい、と山崎の指がチョコをひとつ摘んで、土方の唇に押し付けた。仕方なく口を開けば、放りこまれるようにして舌の上にチョコが乗る。
「……チロルだな」
「そうですね。本命ですよ」
わざとらしく首を傾げて上目遣い。山崎はひどく楽しそうだ。
「本当かよ」
「土方さんこんだけたくさん本命もらってんだから、普通のことしたって面白くないじゃないですか」
「関係ねえだろ」
「人生の中で土方さんが女の人に絶対もらわないような本命チョコです。俺が最初で最後でしょ。ちなみに俺の手作り入り」
「え、どこらへん」
身を乗り出して聞けば、おかしそうに目を細めた山崎が、唇に人差し指をあててみせる。内緒、ということだろう。
まさかこの箱が手作りとか言わねえよな、と土方が箱をまじまじ見つめれば、山崎の指がふたたびチョコを摘んで、今度は自分の口に放り込んだ。
「ヒントだけ。このうちのどれか一つがね、俺のお手製のマヨ入りチョコです」
「は?」
「味見してないから味は知らないんですけど。まあ、あれです」
「なんだよ」
「恋人からの本命チョコを完食するのは、恋人の、義務ですもんね?」
目を細めた山崎は土方の額に唇を落として、土方の腕から逃げるようにするりと立ち上がった。その動きを目だけで追えば、山崎が向かうのは部屋の奥。つまりは土方の布団の中。
土方は苦笑して、白い箱に丁寧に蓋をした。丁寧にリボンをかけ直し、大事に机の上に置く。
他の無数の本命チョコと同じものでは意味がないから、誰も土方にあげないような、本命に見えないチロルチョコ。その中に混ぜられた、愛情たっぷりの味は知れない小さな手作りチョコが、ひとつ。
合計12個のそれが、山崎の今年の愛だと言う。
「……可愛いことすんだなあ、ほんと」
恋人からの本命チョコはもったいなくて食べれない、というのも、恋人としてありがちなひとつのパターンか。考えながら土方は、山崎を追って部屋の奥へと向かった。
まあ、こういう義務なら、悪くない。